和田 豊
 1962年9月、千葉県生まれ。右投右打。二塁手。背番号6。我孫子高校で1年時に夏の甲子園第60回大会に出場したが初戦敗退。日本大学時代にはロス五輪に出場し、金メダル獲得。
 1985年、阪神タイガースにドラフト3位で入団。39試合に出場し、打率.286でいきなり優勝に貢献する。
 4年目の1988年にレギュラーを獲得し、打率.279で当時の日本記録となるシーズン56犠打を達成して最多犠打のタイトルを獲得。翌1989年にも40犠打で最多だった。
 1992年には153安打を放って阪神を最後まで優勝争いに参加させた。
 1993年には打率.315、165安打で最多安打のタイトルを獲得。432守備機会連続無失策という守備の記録も作っている。
 1994年には1929打席本塁打ゼロという貴重な記録を達成。
 1997年には開幕から24試合連続安打の日本記録を樹立した。
 2001年限りで現役引退。1985年の阪神日本一最後のメンバーだった。
 2002年から阪神の打撃コーチ専任となる。

 巧みなミート力で広角にヒットを打ち分けることができ、特に右打ちは芸術と呼べるものだった。守備もうまく、打っては150安打以上5回、3割以上4回を記録し、1990年代の阪神を支えた安打製造機である。

 通算成績(実働17年):打率.291、29本塁打、403打点、1739安打。
 最多安打1回(1993)最多犠打2回(1988・1989)ベストナイン2回(1992・1994)ゴールデングラブ賞3回(1992〜1994)

数々の伝説


 @1年目に日本一を経験

 和田が入団した1985年は、空前のタイガースブームが巻き起こった。4月のバース・掛布・岡田3人連続バックスクリーン本塁打によって波に乗った阪神がバースの3冠王を獲得する活躍などで21年ぶりのリーグ優勝を果たした。その勢いで日本シリーズも西武に4勝2敗で勝利し、日本一となった。
 和田は、この年39試合に出場し、打率.286を残してリーグ優勝に貢献している。
 しかし、阪神は、その後、1992年に最後まで優勝を争って2位と健闘したものの2度と優勝することができず、2001年に和田は現役引退。引退時には、阪神の優勝メンバー最後の現役選手となっていた。


 A当時の日本記録となるシーズン56犠打

 1980年代に入ると、以前にも増して細かく機動力を使った野球が重視されるようになってきた。そのため、犠打を確実に決められる選手が求められるようになった。
 1989年、和田は、一年間を通じて送りバントでチャンスメイクする打者として活躍を見せ、シーズン56犠打の記録を残した。
 これは、1982年に平野謙(中日)が記録したシーズン51犠打の日本記録を大きく更新するものだった。
 しかし、1990年代に入ると川相昌弘(巨人)が犠打の名手として台頭し、1990年にシーズン58犠打、1991年にはシーズン66犠打という記録を残し、和田の記録を抜いた。

 
 B3年連続本塁打ゼロ

 和田は、現役17年間で通算29本塁打しか放っていない。これは、ホームランバッターの1年分にも満たない数である。
 1990年10月3日のヤクルト戦で1発を放って以来、和田は、1991年から1993年まで3年連続で本塁打ゼロという記録も残している。
 1994年5月25日に甲子園で行われた巨人戦で放った本塁打が通算12号で、しかもそれが1930打席ぶりの一発でもあった。これほどまで本塁打が出なかったのは極めて珍しい記録であるが、それが実にプロ3673打席目にして初のソロ以外の本塁打だったというのだから驚きである。


 C開幕24試合連続安打

 1997年4月5日、和田は開幕の広島戦で4打数1安打を記録すると、以後、毎試合ヒットを打ち続けた。
 4月29日の巨人戦では1回表にガルベスから右中間二塁打を放ち、開幕21試合連続安打を達成し、1954年のレインズ(阪急)の開幕20試合連続安打の記録を破って日本記録を更新した。
 さらに5月3日の広島戦でも安打を1本放って開幕連続安打を24試合にまで伸ばした。
 しかし、5月4日の広島戦で和田は4打数無安打に終わり、ついに開幕連続試合安打は24でストップした。


 D長嶋茂雄監督の最終試合で現役引退

 2001年10月1日、甲子園で行われた伝統の阪神×巨人戦は、既に現役を引退していた和田にとって最後の試合となった。
 そして、その試合は、長年プロ野球を支え続けた長嶋茂雄監督の勇退試合でもあった。
 和田は、スタメンで出場。
 3回には職人芸と言われた右打ちで入来祐作投手からライト前にヒットを放つ。これが通算1739本目の安打となった。
 試合も、5−0と阪神が圧勝。
 試合後は、和田の引退と長嶋茂雄の勇退を惜しむファンが多く残り、ライトスタンドからは「和田コール」、レフトスタンドからは「長嶋コール」が鳴り響いたという。





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