タイロン・ウッズ
 1969年8月、アメリカ生まれ。右投右打。一塁手、外野手。背番号:エクスポズ→オリオールズ→レッドソックス→33(OBベアーズ・斗山ベアーズ)→44(横浜→中日)。ハーナンド高校から1988年に大リーグのエクスポズに入団する。その後、オリオールズ、レッドソックスのマイナーで活躍し、1996年には2Aで25本塁打を放つ。1997年にはメキシカンリーグで.352を記録するも、大リーグでの出場はなかった。
 1998年に韓国プロ野球のOBベアーズに入団し、その年、42本塁打、103打点の活躍でシーズン本塁打の韓国記録を更新し、二冠王に輝くとともにシーズンMVPも獲得する。
 1999年に34本塁打、2000年に39本塁打、2001年にも34本塁打、113打点で打点王に輝くとともに、チームを韓国一に導き、韓国シリーズMVPも獲得する。
 2003年に日本の横浜と契約し、1年目からいきなり40本塁打を放つ活躍を見せて本塁打王を獲得する。翌2004年には45本塁打、103打点の活躍で2年連続本塁打王を獲得する。
 中日に移籍しても2005年には35本塁打を放ち、2006年には打率.310、47本塁打、144打点の活躍で中日リーグ優勝の原動力となる。
 2007年には35本塁打を放ち、チームは2位だったものの、クライマックスシリーズ、日本シリーズでも活躍を見せて中日の53年ぶりの日本一に大きく貢献する。
 2008年もシーズン35本塁打を放ち、クライマックスシリーズでも5本塁打を放ったものの、日本シリーズには進めず、オフには年俸減で契約がまとまらず、中日を退団した。

 巨体を揺らしながら打席に入り、広角に特大本塁打を放って日韓3球団のシーズン最多本塁打記録を塗り替えた。特に逆方向のライトへ本塁打を放つ技術は超一流だった。また、場面に応じたバッティングもでき、1点が欲しいチャンスではセンター前に運ぶ軽打も得意とした。

通算成績:日本(実動6年)打率.289、240本塁打、616打点、851安打。本塁打王3回(2003〜2004・2006)打点王1回(2006)ベストナイン3回(2004・2006〜2007)
:韓国(実動5年)打率.294、174本塁打、510打点、655安打。本塁打王1回(1998)打点王2回(1998・2001)シーズンMVP1回(1998)韓国シリーズMVP1回(2001)

数々の伝説


 @アメリカでは不遇

 ウッズは、1988年にレッドソックスへ入団したものの、5年目の1993年までは1Aや2Aクラスのチームで下積生活を送る。1994年頃から3Aクラスでもプレーするようになり、1996年に2Aのトレントン・サンダーで打率.312、25本塁打を放って台頭し、1997年には3Aのポータケットで29試合に出場して打率.352、9本塁打の成績を残す。
 しかし、ウッズは、大リーグから昇格の声がかからず、アメリカのプロ野球に見切りをつけて、1998年、新天地を韓国のプロ野球に求めるのである。


 A韓国プロ野球シーズン最多本塁打記録更新

 韓国は、1997年まで外国人選手の登録を認めていなかった。しかし、1998年、ようやく外国人選手の登録が可能となり、ウッズは、友人に誘われてアメリカで韓国プロ野球のトライアウトに参加する。そして、OB・ベアーズから指名を受けて契約を結ぶ。
 ウッズは、韓国で1年目から主砲として活躍を見せ、打率.305、42本塁打、103打点という抜群の成績を残して本塁打王と打点王の二冠に輝く。シーズン42本塁打は、当時の韓国プロ野球新記録であり、シーズンMVPにも輝いた。
 そして、2001年には打率.291、34本塁打、113打点を記録して打点王に輝き、韓国シリーズでも活躍したウッズは、チームを4勝2敗で韓国一に導くとともに、シリーズMVPも獲得する。


 B来日して1年目から2年連続本塁打王

 ウッズの活躍を日本のプロ野球界は、放っておかなかった。韓国シリーズMVPに輝いた2001年のオフには中日と交渉を持ち、2002年のオフには横浜と契約が成立して来日する。
 ウッズは、来日1年目から活躍を見せ、打率.273、40本塁打、87打点の活躍で本塁打王を獲得する。この活躍により、ウッズは、韓国と日本で本塁打王を獲得した最初の選手となった。また、外国人として来日1年目での40本塁打以上は、史上6人目の快挙だった。
 ウッズは、2004年にはさらに成績を伸ばして、打率.298、45本塁打、103打点を残して2年連続本塁打王を獲得する。ウッズは、練習でも試合でもしばしば横浜スタジアムの場外にまで打球を飛ばし、ミスター場外との異名をとった。


 C47本塁打で中日を優勝に導く

 横浜との契約条件が折り合わず退団したウッズは、中日と2年契約を結ぶ。
 そして、ウッズは、中日1年目の2005年に38本塁打、103打点と期待通りの活躍を見せると、2006年にはシーズンを通して好調を維持し、打率.310、47本塁打、144打点という自己最高の成績を残して中日のリーグ優勝に貢献する。

 ウッズの実力を見せつけたのが、勝てばリーグ優勝決定となる10月10日の巨人戦である。4回表にライトスタンドへ先制の46号3ラン本塁打を放つと、3−3で延長戦に入った12回表には福留のタイムリー安打で4−3とリードした後、レフトスタンドへ優勝を決定づける47号満塁本塁打を叩きこみ、落合監督には熱い抱擁で祝福を受ける。
 ウッズは、前日のヤクルト戦でも4回表に試合を決定づける満塁本塁打を放っており、2試合連続の満塁本塁打は、プロ野球史上6人目の快挙だった。
 また、この年、ウッズが放った満塁本塁打4本は、1950年の西沢道夫に次ぐプロ野球史上2位の記録であり、年間47本塁打も、西沢道夫の46本を抜く球団新記録となった。


 D中日の日本一に貢献

 2007年、ウッズは、35本塁打を放つ活躍を見せたものの、巨人に1.5ゲーム差の2位に終わり、その年から始まったクライマックスシリーズに託すことになる。
 クライマックスシリーズ第1ステージの阪神戦では、第1戦で1回裏にウッズがライトへ先制3ラン本塁打を放って7−0と圧勝すると、第2戦も勝って、第2ステージに進む。
 第2ステージの巨人戦でも、ウッズは、4回表に巨人を突き放す2ラン本塁打をライトスタンドへ放って勝利に導き、第3戦では4回表に逆転3ラン本塁打を放って一気に3連勝で日本シリーズ進出を果たす。
 日本シリーズでも、ウッズは、第3戦で先制のセンター前ヒットを放つなど活躍を見せ、中日の53年ぶりの日本一に大きく貢献した。


 E6年連続35本塁打以上

 ウッズは、2008年9月4日のヤクルト戦で9回表にレフトスタンドへ30号2ラン本塁打を放って来日から6年連続30本塁打以上を記録する。これは、外国人選手として史上初の快挙だった。
 さらに10月3日の横浜戦では、5回表にレフトスタンドへ35号3ラン本塁打を放ち、6年連続35本塁打以上という大記録を達成する。この記録は、過去に王貞治のみしか達成していない史上2人目の大記録である。


 Fクライマックスシリーズで7試合5本塁打

 2008年のクライマックスシリーズ第1ステージの第2戦でウッズは、8回表にセンターへソロ本塁打を放つと、第3戦では0−0の9回表に第2ステージ進出を決める2ラン本塁打を放つ。
 さらに第2ステージの巨人戦では1回表にライトスタンドへソロ本塁打を放ち、第3戦でもライトへソロ本塁打を放つ。さらに、第4戦でも6回にレフトスタンドへソロ本塁打を放って、クライマックスシリーズの7試合で5本塁打を放つという快記録を打ち立てた。
 しかし、第2ステージは、1勝のアドバンテージの影響もあって1勝3敗1分で巨人に敗れ、日本シリーズ進出はならなかった。
 

 G日韓3球団で球団史上最高の外国人選手

 ウッズは、1998年に韓国プロ野球新記録となるシーズン42本塁打を放った他、、横浜在籍1年目の2003年に40本塁打、2004年に45本塁打と2年連続で横浜のシーズン本塁打記録を更新する。
 さらにウッズは、中日2年目の2006年にリーグ優勝に貢献したばかりではなく、シーズン47本塁打、144打点ともに中日の球団記録を更新している。また、2007年の121四球も強打者の証であり、これも球団記録を更新した。
 ウッズは、日韓で在籍した3球団ですべて球団のシーズン本塁打記録を更新しており、3球団のいずれにおいても球団史上最高の外国人選手との呼び声が高い。




(2009年11月作成)

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