1960年山口県生まれ。投手。右投右打。背番号15→14。旧名:津田恒美。南陽工高から社会人の協和発酵を経て1982年、ドラフト1位で広島に入団。
1年目から先発ローテに入り込み、11勝6敗、防御率3.88と活躍。その年の新人王に選ばれている。
2年目の1983年にも9勝したものの、右肩を故障。翌年から2年間は指の血行障害に悩まされ、満足な成績を残せないでいた。
しかし、手術から復活した1986年、リリーフエースとして4勝6敗22セーブ、防御率2.08の好成績で復活し、カムバック賞を受賞。チームもリーグ優勝を果たしている。
1989年には12勝5敗28セーブ、40SP、防御率1.63という驚異的な成績でセーブ王、最優秀救援投手のタイトルを獲得している。
しかし、1991年、脳腫瘍にかかり、闘病生活に入る。
1993年、復活は叶わないまま、32歳の若さで生涯を閉じた。
どんな場面でも、MAX150キロの直球で常に真っ向から勝負を挑む強気なピッチングで、「炎のストッパー」と呼ばれて恐れられた。
通算成績(実働10年):49勝41敗90セーブ、115SP、防御率3.31。新人王(1982)最高勝率1回(1983)最優秀救援投手1回(1989)カムバック賞(1986)
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