辻 発彦
 1958年10月、佐賀県生まれ。内野手。右投右打。背番号5(西武)→8(ヤクルト)。佐賀東高校から日本通運を経て1984年にドラフト2位で西武に入団。
 1985年にレギュラーを獲得すると、1986年には打率.296を記録した。この年から西武守備陣の要として不動の二塁手として定着。卓越した守備力でゴールデングラブ賞の常連となっていく。
 1985年から1988年までのリーグ4連覇に大きく貢献している。1987年の日本シリーズでの走塁は伝説となっている。
 1989年には打率.304と初めて3割を残した。
 1993年に打率.319で首位打者を獲得。.395で最高出塁率も記録している。
 1989年から1994年までのリーグ5連覇を攻守に渡って支えた。
 1996年にヤクルトへ移籍。その移籍1年目に打率.333をマークして2位という好成績を残した。
 1998年にも規定打席不足ながら打率.304を記録した。
 1999年限りで引退。
 西武で9度のリーグ優勝、6度の日本一、ヤクルトで1度の日本一を経験した。

 しぶとく内野の間を抜く広角のバッティングと完璧な守備・走塁で、西武の核弾頭と守備の要として走攻守に抜け目のない黄金時代を作り上げた。

 通算成績:打率.282、56本塁打、510打点、1462安打。242盗塁。首位打者1回(1993)最高出塁率1回(1993)ゴールデングラブ賞8回(1986・1988〜1994)ベストナイン5回(1986・1989・1991〜1993)

数々の伝説


 @伝説の走塁

 1987年の日本シリーズは、西武と巨人が白熱した戦いを繰り広げる。
 試合は西武の3勝2敗で第6戦を迎える。
 8回裏2死、辻は3遊間を抜けるヒットを放つ。ランナー1塁でバッターは秋山幸二である。秋山は、鹿取義隆から見事なセンター前ヒットを放つ。これでランナーは1・2塁のチャンスになると誰もが思った。ヒットエンドランではなかったからだ。
 しかし、辻はスタートを切っていなかったにもかかわらず、俊足を生かして3塁まで陥れようとしていた。そのとき、センターのクロマティは、3塁送球をあきらめて緩慢なスローイングでショートの川相に山なりの返球をしてしまう。
 辻は、それを読んでいたかのように、3塁ベース手前まできてもスピードを落とすことなく、ホームへ向かった。伊原春樹3塁コーチも辻を止めようとしない。
 慌てたのは川相。さすがの名手も辻の本塁突入には驚いたのか、返球がそれた。悠々セーフであった。平凡なセンター前ヒットで、スタートを切っていなかった1塁ランナー辻がホームまで返ってくることは常識を遥かに超えていたのだ。巨人のわずかな隙につけこんだ頭脳プレーだった。
 この辻の走塁は、巨人と西武の野球の質の違いを集約しているとされて、この日本シリーズ最大のプレーと絶賛された。


 A伝説の守備

 1992年の西武×ヤクルトの日本シリーズは、森祇晶監督と野村克也監督の知将同士の戦いとして注目され、熱戦が続いた。
 第6戦までは全くの互角で3勝3敗。
 第7戦も西武の石井丈裕と岡林洋一の投げ合いで緊迫した投手戦が繰り広げられた。スコアは1−1のまま7回裏に入る。
 ここでヤクルトは、1死満塁という大チャンスを得る。ここで代打は、第1戦でサヨナラ満塁本塁打を放った杉浦亨。
 杉浦は1・2塁間にうまく転がし、抜けるかと思われたが、辻がぎりぎりのところで追いつき、本塁にジャンピングスローをする。
 3塁ランナーの広沢克己は、懸命に走って本塁を守る伊東勤捕手に向かってスライディング。辻の送球は少し高くそれていたが、伊東は好捕しながら広沢を巧みにブロックしてアウト。西武は延長10回表に辻の2塁打を足がかりに秋山幸二の犠牲フライで決勝点を挙げて2−1で勝利。日本一となった。
 辻と伊東が見せた7回裏のプレーは、このシリーズの勝敗を分けた、とまで評価されている。


 B首位打者

 1993年、辻は、ついに打撃で首位打者のタイトルを獲得する。打率は.319で137安打を放った。出塁率も.395を記録し、最高出塁率のタイトルも獲得した。
 西武も、見事にリーグ優勝を果たし、リーグ4連覇を成し遂げている。
 1980年代前半から1990年代半ばにかけて黄金時代を築いた西武の中で、首位打者になったのは意外にも辻一人だけである。


 Cヤクルトで打率2位

 1995年のオフに西武は、辻を戦力外として自由契約とした。1995年の成績は、打率が.238と低迷していた。年齢も37歳を迎えており、さらにFA制度のせいで一流選手の年俸が高騰していた。さらにこの年は、西武がリーグ6連覇を逃し、オリックスに優勝を奪われていた。
 悪い要因が重なってしまったのだ。辻は、西武の黄金時代を作り上げた功労者でありながら、自由契約となり、ヤクルトに入団することになった。
 辻は、移籍1年目の1996年に意地を見せる。年間を通して打ちまくり、打率.333を残して、.340を残したパウエルに次いで2位となったのだ。
 この年の.333は、現役時代を通じて自己最高記録となった。


 D守備の名手

 辻は、守備の要として2塁を守り、ゴールデングラブ賞を8回獲得している。これは、2塁手として最多受賞記録である。しかも、1988年から1994年までは7年連続で受賞している。
 ミスの少ない鉄壁な守りとともに、守備範囲が広く、1・2塁間や2遊間を抜けそうな当たりを好捕して1塁や2塁でアウトにするのがうまかった。また、ボールを捕ってすぐに投げられるように、常に手のひらでボールを捕るようにしていたと言われている。いとも簡単にやってのけるバックトスやグラブトスは、多くの野球ファンの憧れとなった。
 引退試合で見せた華麗なグラブでのバックトスは、今でもファンの間で語り草となっている。



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