立浪 和義
 1969年8月、大阪府生まれ。右投左打。内野手。外野手。背番号3。PL学園高校では3年時に主将として春夏連覇の快挙を成し遂げる。ドラフト1位で1988年、中日に入団。
 高卒ルーキーながら開幕から1軍でスタメン出場を果たし、打率.223ながら抜群の守備・走塁センスを見せて中日のリーグ優勝に貢献した。ショートを守ってゴールデングラブ賞も獲得している。
 翌年は故障により30試合の出場にとどまるが、1990年に復活すると155安打、打率.303を残してリーグを代表する選手になった。
 1996年には自己最高となる打率.323を記録して打率リーグ3位となり、ベストナインにも選出されている。
 1997年8月にはサイクルヒットを達成。1995年から1997年まで3年連続でセカンドのゴールデングラブ賞を獲得した。
 1999年にはチームの攻守の要としてリーグ優勝に貢献している。
 2002年、6度目の打率3割を記録し、打点は自己最高の92打点、本塁打も自己最多タイの16本を記録。
 2003年7月には通算2000本安打を達成し、2004年には打率.308をマークして中日のリーグ優勝に貢献する。
 2005年5月には通算450二塁打の日本記録を樹立した。
 2006年には代打の切り札としてリーグ優勝に貢献し、2007年には中日の53年ぶりの日本一に貢献した。
 引退宣言して臨んだ2009年も代打の切り札として活躍し、打率.318を記録して引退に華を添えた。

 若い頃から野球センスを認められ、勝負強く安打を放って常にチームを引っ張ってきたアベレージヒッターである。内外野のいろんなポジションをこなせる器用な守備にも定評があり、球団の通算安打数記録を更新し、長年チームを支え続けたミスタードラゴンズである。

 通算成績(実働22年):打率.285、171本塁打、1037打点。2480安打。487二塁打。新人王1回(1988)ベストナイン2回(1996・2004)ゴールデングラブ賞5回(1988・1995〜1997・2003)
数々の伝説


 @甲子園で春夏連覇

 既に中学時代から才能を注目されていた立浪は、多くの高校からの誘いを受ける。そんな中で立浪は、憧れの甲子園に最も近いPL学園へ進学する。2年上には桑田真澄、清原和博のKKコンビがいた。同級生には後にプロでも一流選手として活躍する顔ぶれが揃っていた。投手では野村弘樹と橋本清、野手には片岡篤史がいた。今、思えば、圧倒的な戦力を持っていたわけである。立浪はそんなチームの主将だった。
 3年生となった1987年、春のセンバツに出場したPL学園は、決勝戦で関東一高(東京)を7−1で破って優勝すると、夏の甲子園では決勝戦で常総学院(茨城)を5−2で破って春夏連覇を果たした。特に夏の大会は、全試合3点差以上つけるという桁違いの強さを見せつけ、立浪も打率.429、2本塁打という好成績を残している。
 春夏連覇は、あのKKコンビがいたPL学園でも達成できなかったほど難しく、立浪が主将を務めたPLの総合力がいかに突出していたかが伺える。


 A新人王

 1988年、立浪は、ドラフト1位で中日に入団する。立浪の素質をいち早く認めた星野仙一監督は、立浪を開幕から一軍のスタメンで起用する。高卒選手としては22年ぶりという開幕スタメン出場だった。
 入団時点で既に立浪の守備と走塁は、プロでも一流の域に達していた。立浪は、打率こそ伸びず、.223に終わったもののほぼレギュラーとして110試合に起用され、22盗塁、21犠打を記録する。星野監督の下で立浪、山本昌広ら若手と落合博満、郭源治、小野和幸らのベテランがうまくかみ合い、中日はこの年、2位に12ゲーム差をつける圧倒的な強さでリーグ優勝を果たす。
 立浪は、一年間通しての守備、走塁面での貢献が評価されて新人王に選ばれた。立浪は、その後、押しも押されぬ中日の中心打者として長年活躍していくことになる。この年、打率が低くても起用し続けた星野監督の眼力は確かだったわけである。


 B連続無失策セリーグ新記録を樹立

 立浪は、走攻守すべてを兼ね備えたプレーヤーとしてドラフト1位で指名されたわけだが、最も評価されていたのは守備だった。
 星野仙一監督は、立浪の守備力を目の当たりにしてショートを守っていた宇野勝をセカンドにコンバートしてまで立浪にショートを任せようとした。立浪は、開幕戦から2番ショートという定位置を与えられる。期待にたがわぬ活躍を見せた立浪は、その年のゴールデングラブ賞を獲得した。
 立浪の守備力が再びクローズアップされたのは、1993年から1994年であった。肩を痛めてからセカンドにコンバートされていた立浪は、1993年の6月11日から守備機会連続無失策を続け、セリーグ記録を更新していたためである。1993年にはシーズン守備率.997を記録して連続無失策の記録を継続したままシーズンを終えた。立浪は、翌年も守備機会連続無失策記録を伸ばしていたが、6月11日の巨人戦で松井秀喜の強烈な打球をはじいてしまい、712回で止まっている。


 C伝説の10.8で左肩脱臼

  1994年10月8日の巨人戦は、中日が勝てば中日が優勝、巨人が勝てば巨人が優勝という大一番だった。69勝60敗の同率首位で両チームが並んで最終の直接対決が優勝決定試合となったからである。
 騒然とした雰囲気の試合で、立浪は、1打席目に死球、2打席目が1塁エラーによって2打席連続で出塁していたが、3打席目は、投手ゴロ併殺打に倒れていた。
 そして、8回裏無死で4打席目が回ってきた。マウンドには巨人のエース桑田真澄が上がっていた。
 立浪は、カウント2−1から内角低めの直球を叩きつけ、サードへの高いバウンドのゴロになった。立浪は、懸命に走り、思わず1塁ベース手前でヘッドスライディングをする。この試合に賭ける意気込みから出たプレーだった。しかし、勢いがつきすぎていたため、立浪は、1塁ベースで左肩を強打し、脱臼してしまう。
 立浪は、退場を余儀なくされ、試合も3−6で敗れたが、立浪には敗戦の痛みとともに左肩の痛みも長く残ったという。


 D二塁打の達人

 意外と知られていないのだが、立浪は二塁打を放つのが非常にうまい。外野の間や脇を抜いていくバッティングである。
 二塁打は、広角打法のアベレージヒッターで、俊足で、さらに長打を打てるバッターでなければなかなか増やすことはできない。通算二塁打の日本記録を更新し、通算449二塁打を達成した福本は、13回も盗塁王に輝き、長年阪急を支えた大選手で、二塁打量産の条件をすべて兼ね備えたバッターだった。
 立浪も、その条件を充分兼ね備えている。高卒ルーキーとして開幕スタメンで出場したとき、第三打席でプロ初安打を放つのだが、それがその後を暗示するかのような二塁打だった。
 立浪は、2004年、王貞治が持つセリーグ通算二塁打記録422を更新する。そして、2005年5月19日、日本ハム戦の3回に金村曉投手からレフト線への2塁打を放ち、ついに福本豊の日本記録449二塁打を抜く450二塁打を達成する。現役引退時には前人未到の通算487二塁打まで積み上げた。
 また、シーズン30二塁打以上7回という歴代1位の記録も打ち立てている。


 Eナゴヤドーム公式戦第1号本塁打

 1997年3月12日、ナゴヤドームが完成し、中日は、ナゴヤ球場からナゴヤドームに本拠地を移すことになった。
 そして、この年の開幕戦は4月4日、ナゴヤドームの横浜戦だった。1番打者として出場した立浪は、1回裏に中日の選手としてナゴヤドーム公式戦最初の打者となる。
 立浪は、その打席で横浜の先発盛田幸希投手から満員のライトスタンドへ先制の先頭打者本塁打を放つ。それは、開幕戦の貴重な先頭打者本塁打であるとともに、記念すべきナゴヤドーム公式戦第1号本塁打でもあった。


 Fサイクルヒット

 1997年8月22日、阪神戦に先発出場した立浪は、舩木聖士投手から1回裏にライト線へ二塁打を放つと3回にも右中間スタンドへ本塁打、5回には一塁内野安打を放った。
 最後に最も難しいといわれる三塁打が残ったわけだが、立浪は次の6回に回ってきた打席で田村勤投手から右中間を破る三塁打をいとも簡単に放ち、史上47人目のサイクルヒットを達成した。中日の選手としては1953年の原田徳光、1962年の前田益穂以来、35年ぶり3人目の快挙だった。


 G猛打賞で通算2000本安打達成

 2003年7月5日、立浪は、東京ドームでの巨人戦に四番で先発出場する。この日が来るまでに通算1997本の安打を放っていた立浪は、1回表に右中間突破の先制タイムリー二塁打を放つと、犠直を挟んで6回には右翼線への二塁打。ここで1999本目に達した立浪は、8回表無死一・二塁という場面で記録をかけた打席に立つ。スコアは、3−1で中日がわずかに2点リード。
 「何とかつなごうと思った」という立浪は、林昌範投手から狙い通りに一・二塁間を鋭く破るタイムリーヒットを放ち、2000本安打達成を見事な猛打賞で飾った。試合も4−2で勝ち、3打数3安打3打点の立浪は、その試合のヒーローでもあった。気負った大振りをせず、常に試合展開を考えて普段通りの冷静なプレーをする立浪らしい記録達成だった。


 H通算2本目のサヨナラ満塁本塁打

 2006年4月7日、巨人戦は、緊迫した投手戦となった。中日は、巨人のエース上原浩治投手を打ちあぐみ、1−1で9回裏に入る。
 しかし、中日は、その回に1死満塁のチャンスをつかみ、立浪に打席が回ってきた。立浪は、上原の直球を豪快に振り抜き、ライトスタンドに運ぶ。スコアを5−1とするサヨナラ満塁本塁打だった。
 この立浪のサヨナラ満塁本塁打で勢いづいたチームは、阪神との激闘を制して2年ぶりのリーグ優勝に突き進んだ。
 立浪のサヨナラ満塁本塁打は、2002年の5月21日のヤクルト戦でも放っており、2度のサヨナラ満塁本塁打を放ったのは、青田昇、広野功に次いで史上3人目の快挙だった。


 I引退年に打率3割以上

 2009年、立浪は、引退宣言をして公式戦に臨みながらも、代打の切り札としてシーズン序盤から活躍を見せ、主に代打ながらシーズン打率.318という好成績を残す。4月24日の巨人戦では8回に豊田清投手から第1号同点本塁打をライトスタンドへ放って史上5人目となる22年連続本塁打を達成する。
 9月30日の引退試合となった巨人戦ではオビスポ投手から2回に1・2塁間を抜けるライト前ヒットを放つと、4回にはセンター前ヒット、9回の第4打席では越智大祐投手から右中間へ通算487二塁打目となるタイムリー2塁打を放って猛打賞を記録する。
 さらにヤクルトとのクライマックスシリーズ第1ステージでは、10月19日の第3戦で5回に代打で松井光介投手から左中間へ2点タイムリー2塁打を放ち、試合を決定づけた。
 こうした目覚ましい活躍によって、ファンの間からは背番号3を永久欠番に、との署名活動まで起こり、大きなニュースとなった。




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