1970年12月、広島県生まれ。捕手。右投右打。背番号1(横浜)→8(横浜)→7(中日)→27(中日)。江の川高校で頭角を現し、2年生で夏の甲子園に出場したが、初戦敗退。3年生の夏にも甲子園に出場し、ベスト8の成績を残す。
1989年、ドラフト1位で横浜に入団する。高卒1年目から開幕1軍入りを果たし、80試合に出場して3本塁打を放つ。
1993年には114試合に出場して打率.234、4本塁打の成績を残し、レギュラーを獲得する。
1996年には打率.300、8本塁打、54打点と打撃でも著しい成長を見せ、盗塁阻止率.416でリーグ1位となる。
1998年には打率.254、14本塁打を残し、捕手としても投手陣を牽引してリーグ優勝、日本一を達成し、ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞する。また、守護神佐々木主浩とともに最優秀バッテリー賞も受賞する。
2001年には初のシーズン20本塁打を記録するとともにリーグ1位の盗塁阻止率.543という驚異的な成績を残す。オフに大リーグ移籍を希望したが叶わず、中日へ移籍する。
中日では移籍1年目から24本塁打、リーグ1位の盗塁阻止率.483を残す活躍を見せる。
落合博満監督が就任した2004年には打率.260、18本塁打、盗塁阻止率1位の.378の成績でリーグ優勝に貢献し、川上憲伸とともに最優秀バッテリー賞を受賞する。
2006年にもチームをリーグ優勝に導き、川上憲伸とともに最優秀バッテリー賞を受賞する。
2007年には、盗塁阻止率.404で1位を記録してチームを牽引し、リーグ優勝は逃したものの、クライマックスシリーズを無敗で勝ち上がり、中日の53年ぶりの日本一に貢献する。また、この年、セリーグ歴代2位となる1708守備機会連続無失策という記録を達成する。
2009年にはシーズン守備率10割を達成する。
2010年と2011年には、投手陣を巧みなリードで支えてリーグ1位のチーム防御率を導き出して、球団史上初の二連覇を達成する。
2013年5月には史上最年長の42歳4か月で通算2000本安打を達成した。
2014年からは中日の選手兼任監督となった。2015年には史上最多となる3021試合出場を果たしたが、その年限りで現役を引退した。
通算成績(実働27年):打率.240、229本塁打、1040打点、2108安打。ベストナイン1回(1998)ゴールデングラブ賞6回(1998・2006〜2007・2009・2011〜2012)最優秀バッテリー賞4回(1998・2004・2006・2011)盗塁阻止率1位5回(1996・2001〜2002・2004・2007)
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