高橋 由伸
 1975年4月、千葉県生まれ。右投左打。外野手、一塁手。背番号24。桐蔭学園高校では1年生でレギュラーを獲得して夏の甲子園に出場し、3回戦敗退。2年時も夏の甲子園に出場したが、1回戦で敗退する。
 その後、慶応大学に進学し、1年生からレギュラーを獲得して3年時の春季リーグ三冠王を獲得する。4年時には東京六大学リーグ新記録となる通算23本塁打を放つ。
 ドラフトは、逆指名の1位で巨人に入団する。
 プロ1年目の1998年から開幕戦にレギュラーとして出場すると、そのままレギュラーに定着して126試合に出場し、打率.300、19本塁打、75打点の好成績を残す。ゴールデングラブ賞にも選出される。
 1999年には、4番打者も経験するなど、さらに成績を伸ばし、打率.315、34本塁打、98打点の成績を残し、ベストナインに選出される。
 2000年には打率.289、27本塁打、74打点で巨人のリーグ優勝と日本一に大きく貢献する。
 2001年にも、打率.302、27本塁打、2002年には、打率.306、17本塁打で巨人のリーグ優勝と日本一に貢献する。
 2003年には、自己最高の打率.323を残し、6年連続ゴールデングラブ賞を獲得する。2004年には打率.317、30本塁打、79打点の成績を残す。アテネ五輪でも銅メダル獲得に貢献する。
 2007年には、打率.308、35本塁打、88打点を残し、リーグ最高長打率.579を記録して、巨人のリーグ優勝に貢献する。ベストナインとゴールデングラブ賞にも選出される。
 2008年は腰痛に苦しんで不振に陥り、2009年には1試合出場に終わって9月に手術を受ける。
 2010年は、116試合に出場して13本塁打を放って復活を果たす。2011年にも15本塁打を放つ。
 2013年にはふくらはぎの故障で離脱があったものの、打率.303、10本塁打を放つ。
 2015年も、代打の切り札を中心に打率.278、5本塁打の記録を残したが、シーズンオフに巨人監督就任要請を受諾して現役を引退した。

通算成績(実働18年):打率.291、321本塁打、986打点、1753安打。ベストナイン2回(1999・2007)ゴールデングラブ賞7回(1998〜2003、2007)オールスターゲームMVP1回(2003)

数々の伝説


 @高校野球で2回甲子園出場

 高橋は、桐蔭学園で1年生からレギュラーをつかみ、1991年の夏の甲子園に出場する。
 1回戦の熊本工業戦では5打数2安打を残して4−2で勝利に貢献する。さらに2回戦の柳ヶ浦戦でも、4打数3安打1打点の活躍で5−1と勝利する。しかし、3回戦の鹿児島実業戦では5打数1安打1打点を記録したもののの、試合は4−5で敗れた。
 高橋は、2年生の夏も甲子園に出場し、1回戦の沖縄尚学戦で6打数2安打1打点と活躍したものの、4−5で敗れた。
 高橋は、高校通算30本塁打を残し、プロからのスカウトもあったが、慶応大学への進学を決めている。


 A東京六大学野球で三冠王と本塁打新記録

 高橋は、自らの希望であった慶応大学に入学すると、1年生からレギュラーをつかみ、春季リーグで3本塁打を放つ活躍を見せる。
 3年生の春季リーグでは、12試合出場で43打数22安打、打率.512、5本塁打、18打点の驚異的な成績を残し、六大学リーグ史上8人目の三冠王を獲得した。
 そして、4年生の春には慶応大学を優勝に導く活躍を見せる。
 さらに、4年生の秋には、法政大学の安藤優也から大学通算23号本塁打を放ち、田淵幸一が持っていた通算22本塁打の六大学リーグ記録を塗り替える快挙を達成した。


 Bプロ1年目で打率3割

 高橋は、大学時代、ヤクルト入団を希望していたが、巨人の猛アタックと両親の意向もあって巨人への逆指名入団を決める。
 巨人に入団した高橋は、プロ1年目から開幕戦で7番ライトでスタメン出場を果たす。
 そして、7月には5番打者に定着するようになってプロ1年目から126試合に出場し、打率.300、19本塁打、75打点という好成績を残す。
 しかし、この年は、大学時代のライバルであった川上憲伸が14勝6敗の成績を残して新人王を獲得したため、高橋は、新人王を逃している。


 C史上最速で年俸1億円到達

 高橋は、プロ1年目で打率3割を達成して、年俸が推定1300万円から推定4000万円にアップする。
 そして、2年目にはさらなる活躍を見せ、打率.315、34本塁打、98打点という驚異的な成績を残す。
 この活躍によって高橋の年俸は、プロ3年目にして推定1億円に到達した。プロ入り3年目での1億円到達は、プロ野球史上最速の快挙だった。


 D天才

 高橋の打撃センスは、大学時代の三冠王やプロ1年目から打率3割を達成したことから分かるように、プロ入り時点でほぼ完成されていた。プロ2年目で34本塁打を放ち、デビューから7年間で6度打率3割を達成するなど、卓越した成績を残した。
 高橋は、スイングが極めて美しく、ボールをとらえて運ぶ技術は、天性の能力を感じさせる。現役時代に天才の名を欲しいままにした長嶋茂雄監督ですら高橋を「天才」と呼んだ。
 高橋を入団時から見てきた先輩の松井秀喜も「すべてにおいて洗練された選手」と評している。
 

 E最大のライバルは川上憲伸

 慶応大学時代の高橋のライバルと言えば、明治大学で活躍していた川上憲伸である。
 大学時代は、高橋が川上を打ち込んでいたものの、プロ1年目は、高橋が川上に22打数1安打と抑え込まれてしまう。

 高橋は、プロ1年目で打率3割、19本塁打の成績を残し、巨人では長嶋茂雄以来のルーキーで3割を達成したが、新人王に選ばれたのは川上であった。川上は、中日で14勝6敗、防御率2.57というエース級の記録を残し、新人王の投票では111対65という差をつけて高橋を上回った。直接の対戦成績が大きく影響したと言われている。
 その後、高橋は、巨人の主力打者としてチームを牽引し、川上も、中日のエースとして黄金時代を築くことになる。


 F11打数連続安打

 高橋は、2003年の6月7日の横浜戦で第3打席・第4打席を安打・四球で終えると、翌8日の横浜戦では4打数4安打1四球、10日のヤクルト戦でも4打数4安打1四球を記録して9打数連続安打を記録する。
 そして、2003年6月11日、東京ドームで行われたヤクルト戦では第1打席にレフト前安打を放つと、第2打席ではライト前安打を放ち、レイノルズに並ぶプロ野球タイ記録の11打数連続安打を達成した。それとともに南淵時高に並ぶ14打席連続出塁もプロ野球タイ記録であった。
 5回の第3打席では、12打数連続安打を狙ったものの、2塁ゴロに倒れて新記録を逃している。


 GオールスターゲームMVP

 2003年7月15日に行われた大阪ドームでのオールスターゲームは、セリーグが6回までにパリーグに4点を奪われて1−4とリードを許す展開となる。
 しかし、セリーグは、7回裏1死2塁で代打起用された高橋が斎藤和巳からバックスクリーンに飛び込む2ラン本塁打を放って3−4と1点差に詰め寄ると、9回裏には1死から高橋が吉田豊彦から2打席連続となるソロ本塁打を放って4−4の同点に持ち込む。
 試合は、そのまま引き分けに終わり、高橋は、オールスターゲームMVPを獲得した。


 H監督就任により現役引退

 巨人では2015年限りで原辰徳監督が退任することになり、2016年からの新監督候補が次々と報道された。
 そんな中、巨人がが新監督として白羽の矢を立てたは、現役選手として活躍していた高橋であった。高橋は、選手兼任コーチとして指導する立場でもあったが、数多くの大物OBがいる中で、現役の高橋に就任要請が来るのは異例だった。
 高橋は、監督就任要請を受諾し、それとともに現役引退を決めた。翌年も現役を続けると見られていただけに、電撃引退となった。




(2016年4月作成)

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