鈴木 尚典
 1972年4月、静岡県生まれ。右投左打。外野手。背番号51→7→51。横浜高校では1年生からレギュラーとして活躍し、2年夏には甲子園に出場するも、1回戦で敗退する。
 1991年にドラフト4位で大洋(後の横浜)に入団する。1年目は1試合出場で2年目は1軍出場無しに終わるが、3年目の1993年にプロ初安打を放つと、1994年には48試合に出場する。
 1995年には打率.283、14本塁打を放ってレギュラーを獲得し、1996年には打率.299を残す。
 そして、1997年には打率.335、21本塁打、83打点、17勝利打点の成績で首位打者と最多勝利打点を獲得する。また、ベストナインにも選出されている。
 1998年には打率.337、16本塁打、87打点の活躍で2年連続首位打者を獲得するとともに、横浜のリーグ優勝に大きく貢献する。2年連続ベストナインにも選出されている。日本シリーズでの活躍はさらに目覚ましく、打率.480を記録して、4勝2敗で横浜を38年ぶりの日本一に導き、日本シリーズMVPを獲得する。
 1999年にも打率.328、17本塁打、92打点を残すと、2000年にも20本塁打、89打点を残すなど、安定した活躍を見せる。2000年には14勝利打点で2度目の最多勝利打点を記録する。
 2001年に打率.315、2003年にも打率.311を残し、通算5度の3割を記録する。
 2004年以降は控えに回ることが増えたが、2006年には代打中心で61試合出場ながら打率.329を残す。
 2008年、打率.267で12安打に終わり、その年限りで現役を引退した。

 柔らかいスイングから生み出されるライナー性の打球で安打を量産し、一発もある中距離打者として横浜のマシンガン打線の中核に座った。横浜の38年ぶり日本一の打の立役者である。

通算成績(プロ18年、実働17年):打率.303、146本塁打、700打点、1456安打。首位打者2回(1997〜1998)ベストナイン2回(1997〜1998)最多勝利打点(1997・2000)日本シリーズMVP1回(1998)

数々の伝説


 @横浜高校で甲子園出場

 1989年夏、鈴木は、優勝候補の一角、横浜高校の2年生四番打者として甲子園に出場する。
 横浜高校は、初戦から強豪の星陵高校と対戦することになり、試合は、終始リードを許す苦しい展開となる。鈴木は、4回に内野安打こそ放ったものの、8回のチャンスではレフトフライに倒れるなど、4打数1安打に終わる。横浜高校は、1−5で初戦敗退を喫し、これが鈴木にとって唯一の甲子園出場となった。


 A最初の3割到達で首位打者

 1996年に打率.299を残し、3割まであと一歩というところに迫った鈴木は、1997年、シーズンを通して好調を維持し、打率.335を残して初の3割以上を記録する。そして、打率ランキングは、2位のロバート・ローズに7厘差をつけて1位となり、首位打者まで獲得する。
 また、本塁打も、21本を放って、初めて20本の大台に乗せ、名実ともにリーグを代表する打者となった。
 そんな鈴木の働きもあって、この年、横浜は、5位から2位に躍進している。
 

 B2年連続首位打者で横浜優勝に貢献

 1998年、横浜は、チーム打率.277と圧倒的な力を見せつけ、セリーグを制する。チーム内から鈴木・ローズ・石井琢朗の3人が3割以上を記録し、中でも鈴木は、打率.337で2年連続首位打者という快挙を達成する。
 この年の首位打者争いは熾烈を極め、5位までが1分2厘差にひしめき合い、2位となった広島の天才打者前田智徳との差はわずか2厘だった。
 シーズンMVPこそ、大魔神佐々木主浩に譲ったものの、打者としての貢献度は群を抜いていた。
 鈴木は、本塁打も放てるアベレージヒッターとして活躍したことから、落合博満から最も三冠王に近い男と評されるほどだった。


 C日本シリーズMVP

 1998年、守護神佐々木主浩の驚異的な活躍と、マシンガン打線の爆発でリーグ優勝を決めた横浜は、日本シリーズで西武と対戦する。
 鈴木は、第1戦で1回にライト前へタイムリー安打を放って先制すると、3回には再び鈴木がレフト前へタイムリー安打を放って追加点を奪い、横浜は、勢いに乗って9−4で大勝する。
 第2戦でも鈴木は、1回にライト前へタイムリー安打を放つと、7回にも駄目押しとなるライト前タイムリー安打を放って、横浜は、4−0で快勝する。この試合で鈴木は、4打数4安打と活躍している。
 その後、横浜は、連敗したものの、鈴木は、第4戦で本塁打を放って好調を維持する。第5戦では横浜打線が17点を奪う猛攻を見せ、鈴木も2安打を放って、横浜の勝利に貢献する。
 第6戦でも鈴木の2塁ゴロが野選となったところからチャンスを広げて決勝点を奪い、4勝2敗で横浜が日本一に輝いた。
 鈴木は、通算25打数12安打で打率.480、1本塁打、8打点、2盗塁という驚異的な成績を残してシリーズMVPに選出された。


 D2度の勝利打点王

 1997年、鈴木は、首位打者とともに17勝利打点で最多勝利打点のタイトルも獲得する。
 そして、2000年にも14勝利打点で江藤智と並んで最多勝利打点のタイトルを獲得した。セリーグは、この年限りで最多勝利打点のタイトルを廃止し、パリーグは1988年を最後に廃止していたため、鈴木がプロ野球最後の勝利打点王となった。
 鈴木は、巧みなバットコントロールとともに卓越した集中力を持ち、チャンスに強い打者だったのである。


 E代打でも3割

 2004年以降、鈴木は、打撃の調子を崩したことと若手の台頭もあって、控えに回ることが多くなる。
 それでも、2006年には交流戦ではDH、リーグ戦では代打の切り札として活躍し、打率.329を残して、その技術の高さを見せつけた。また、この年の代打成績は、打率.380という驚異的なものだった。
 しかし、翌年、開幕当初は、レギュラーとして活躍したものの、シーズン中盤に調子を崩して打率.232に終わり、完全復活を果たすことはできなかった。


 F引退試合で本塁打

 2009年3月22日、横浜スタジアムで行われた巨人とのオープン戦が鈴木の引退試合となった。
 鈴木は、3回裏1死で代打として登場する。マウンド上には巨人のエース、グライシンガーが立っていた。鈴木は、グライシンガーの直球をライナーでライトスタンド中段まで運び、現役最後の打席で本塁打という離れ業を成し遂げた。ライトスタンドには、横浜一筋で現役を終える鈴木の雄姿を見るために大勢のファンが詰めかけており、鈴木の本塁打はファンへの最高のプレゼントとなった。


 G生涯打率.303

 鈴木は、アベレージヒッターとして首位打者を2度獲得するとともに100安打以上8回、3割以上5回を記録して実働17年間の通算打率は、.303を記録する。これは、王貞治や谷沢健一、藤村富美男らをも上回る成績である。
 また、鈴木は、日本シリーズで通算打率.480、オールスターゲームで通算打率.409と、いずれも4割を超える打率を残しており、球史に残るアベレージヒッターだった。




(2010年11月作成)

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