1945年6月、鹿児島県生まれ。投手。右投右打。背番号14。鹿児島県出水高校から九州電気通信局を経て1964年9月に広島カープへ入団。
翌1965年10月2日に阪神を相手にノーヒットノーランを達成し、初勝利を飾る。
その後、一軍と二軍を行き来する生活を続けるが4年目の1968年に根本陸夫監督に代わると素質を見抜かれて一気にエースにのし上がり、21勝14敗、防御率1.94の成績を残して最優秀防御率のタイトルを獲得。広島を球団創設以来初のAクラス(3位)に導いた。
この年の9月14日の大洋戦では2度目のノーヒットノーランを完全試合で飾っている。
そして、1972年4月29日の巨人戦では3度目のノーヒットノーランを達成し、沢村栄治の記録に並んだ。
1975年には20勝13敗、防御率2.95、193奪三振という素晴らしい成績で弱小球団だった広島を悲願の初優勝に導いている。
その反動からか、1976年からは右肩痛に悩まされ、1979年限りで現役を引退した。
自然にシュート回転する剛速球と2種類の大きなカーブで打者を翻弄し、好調時は誰も手がつけようのないほど完璧に抑え込んだ。
通算成績(実働15年):131勝138敗、防御率2.88、1678奪三振。 最優秀防御率1回(1968)最多勝1回(1975)最多奪三振1回(1975)沢村賞1回(1975)ベストナイン1回(1975)ノーヒットノーラン3回(1965・1968・1972)、うち1回(1968)は完全試合
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