清水 隆行
 1973年10月、東京都生まれ。右投左打。外野手。背番号35→9(巨人)→4(西武)。
 浦和学院高校から東洋大学へ進み、東都大学リーグでベストナインを4度受賞。1996年、ドラフト3位で巨人に入団する。
 プロ1年目から打率.293、11本塁打を残してレギュラーを獲得し、巨人のリーグ優勝に貢献する。
 2年目の1997年には打率.304、12本塁打を記録する。1998年には打率.301、13本塁打、16盗塁を記録し、2年連続3割を達成する。
 2000年には打率.271、11本塁打でリーグ優勝に貢献し、2001年には打率.324を残す。
 2002年には打率.314、14本塁打、58打点、191安打の好成績で最多安打のタイトルを獲得した。巨人をリーグ優勝に導き、ベストナインにも選出される。
 2004年には打率.308、16本塁打、60打点を記録し、リーグ最多の39二塁打を記録する。2005年にも打率.300、15本塁打を記録する。
 2007年には規定打席に満たなかったものの、打率.339を残す。
 2008年、打率.143に終わると西武に移籍し、2009年限りで現役を引退した。

 鋭いスイングとミート力で弾丸ライナーを放ち続けた中距離ヒッターである。俊足の左打者とあって、主に1番打者、2番打者として巨人の重量打線を牽引し、安定した打率を残した。

通算成績(実働14年):打率.289、131本塁打、488打点、1428安打。最多安打(2002)ベストナイン(2002)

数々の伝説


 @プロ1年目からレギュラーでリーグ優勝

 清水は、プロ1年目から選手層の厚い巨人でレギュラーとして活躍をしている。超攻撃型の重量打線を理想とする長嶋茂雄監督の下で、4月14日にはスタメンでレフトの6番打者として起用される。
 5月以降は、レフトの6番打者に定着し、8月以降は5番打者としてスタメン出場することも増えるなど、プロ1年目から素晴らしい活躍を見せる。
 この年、107試合に出場した清水は、打率.293、11本塁打、38打点、9盗塁の好成績を残して巨人のリーグ優勝に貢献する。 

 
 A9打数連続安打

 清水は、プロ2年目で早くも安打製造機として驚異的なバッティングを見せる。
 まずは、1997年4月23日の中日戦で先発出場した清水は、本塁打を含む4打数4安打2打点の活躍を見せる。 そして、翌4月24日の中日戦でも本塁打を含む3打数3安打2打点の活躍で7打数連続出塁を記録する。
 さらには、4月25日の広島戦でも、清水は、2打席目までに2安打を放ち、9打数連続安打を放つ。第3打席は黒田博樹に抑えられて10打数連続は逃したものの、9打数連続安打は、当時プロ野球歴代5位の好記録であった。


 Bバントをしない2番打者

 1998年、清水は、川相に代わって2番打者に定着する。川相は、言わずと知れたバントの名手であり、守備も巧みないぶし銀の選手である。しかし、清水は、強烈な弾丸ライナーを連発する強打の中距離ヒッターである。
 長嶋茂雄監督は、清水を2番に据えて、バントをしない攻撃的な打線を組んだのである。
 この年、清水が決めた犠打は9である。2番打者でありながらほとんどバントをしないこのスタイルは「バントをしない2番打者」として、他球団から恐れられることになる。


 C球団新記録のシーズン191安打

 2002年、この年から就任した原辰徳監督の下で1番打者に抜擢された清水は、シーズン序盤から安定して安打を量産し、リーグ最多の191安打を記録したほか、リーグ最多の646打席、リーグ最多の5三塁打、打率.314、14本塁打の好成績を残す。
 巨人も、圧倒的な強さでリーグ優勝を果たし、日本シリーズでも西武に4連勝するなど、清水から始まる超重量打線で圧倒した。
 シーズン191安打は、巨人の球団新記録であり、当時のプロ野球歴代6位となる記録だった。


 Dシーズン併殺打ゼロ

 清水は、ミート力に優れて弾丸ライナーを連発する安打製造機であるとともに俊足の左打者であるため、併殺打が少なかった。
 2000年には431打席に立って規定打席に到達し、打率.271、11本塁打とまずまずの成績を残す。そして、驚くべきことに388打数で併殺打が1回もなく、史上10人目となる規定打席到達で併殺打ゼロという快挙を達成した。


 E日本シリーズの流れを決める本塁打

 巨人と西武が対戦した2002年の日本シリーズは、西武が第1戦に故障上がりのエース松坂大輔を起用してきた。
 清水は、1番打者として出場し、3回裏に松坂からライトスタンドへ見事な先制2ラン本塁打を叩き込む。流れをつかんだ巨人は、すぐに清原の2ラン本塁打で加点して優位に試合を進めていく。
 そして、この試合を4−1で制した巨人は、第2戦も圧勝し、第3戦でも3回表に清水がセンター前へ放ったタイムリー安打が決勝打となって10-2で圧勝。巨人は、第4戦も勝利して一気に4連勝で日本一となったのである。


 Fセリーグ40000号

 2005年6月2日、日本ハム戦に先発出場した清水は、6回表に金村曉投手からライトスタンドへ逆転2ラン本塁打を放った。この本塁打がセリーグ通算40000号本塁打となった。
 清水は、この試合で既に1本塁打を放っており、2本目の記念すべき本塁打が決勝点となって、この試合を6−5で勝利している。


 G西口のノーヒットノーランを阻止

 2005年5月13日、西武×巨人戦で、西武先発の西口文也は、序盤から快調に飛ばし、巨人打線は8回まで無安打に抑えられる。
 そして、巨人は、9回も簡単に2死となって、打席に立ったのが清水だった。
 清水は、凡退すればノーヒットノーランを達成されるというプレッシャーの中、西口の伝家の宝刀であるスライダーをライトスタンドに運ぶソロ本塁打を放ち、ノーヒットノーランを逃れた。
 試合は、結局、西武が6−1で勝ち、西口が清水の本塁打1本のみの1安打完投勝利を挙げている。


 Hリーグ優勝を決める気迫の内野安打

 2007年は、巨人と中日が激しい首位争いを繰り広げ、10月2日のヤクルト戦を迎えた。この試合勝てば、5年ぶりのリーグ優勝が決まる。
 清水は、途中出場でセンターに入り、スコアが3−4で9回裏を迎えた。
 巨人は、9回2死満塁のチャンスを作り、打席には清水が立った。清水は、花田真人投手から二遊間に高いバウンドのゴロを放つ。
 遊撃手の宮本慎也が追いついたものの、清水は、俊足を飛ばして1塁へ気迫のヘッドスライディングを見せた。体勢を崩しながら投げた宮本の球は、間に合わないばかりか一塁手の頭上にそれ、2塁走者も生還した。
 これによって巨人は、5−4で逆転サヨナラ勝利を収め、清水の気迫がリーグ優勝をもぎ取る結果を生んだ。





(2015年8月作成)

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