佐々岡 真司
 1967年8月、島根県生まれ。投手。右投右打。背番号18。浜田商業高校からNTT中国に進み、1989年の都市対抗野球に三菱重工広島の補強選手として出場。1990年にドラフト1位で広島に入団する。
 プロ1年目から1軍で活躍し、4月に初登板初先発初勝利を挙げると、先発に抑えにフル回転して13勝11敗17セーブ、防御率3.15の好成績を残す。
 2年目の1991年には先発として17勝9敗、防御率2.44の成績で最多勝と最優秀防御率の二冠に輝き、広島をリーグ優勝に導く。シーズンMVP、沢村賞、ベストナインにも選出されている。
 1992年には12勝8敗の成績を残し、1994年からは先発に抑えにフル回転するようになり、1995年には7勝7敗17セーブを挙げる。
 1996年には抑えとして5勝7敗23セーブ、防御率1.70を残すと、1997年にも5勝5敗21セーブ、防御率2.65を残す。
 1999年には再び先発として15勝8敗、防御率3.27の好成績を残し、リーグ最多となる5完封を記録する。
 2000年にも10勝6敗の成績を残す。2001年にはまた先発と抑えにフル回転して7勝7セーブを記録する。
 2002年、2003年、2006年に8勝を挙げ、2003年には史上6人目となる通算100勝100セーブを達成する。
 2007年は、2勝に終わり、現役を引退した。

 キレのある直球とスライダー、カーブを武器にエースとして活躍し、プロ2年目には広島のリーグ優勝に貢献した。チーム事情に応じて先発に抑えにフル回転しながらも、大きな故障をせず、100勝100セーブを達成している。

通算成績(実働18年)138勝153敗106セーブ、防御率3.58、1806奪三振。シーズンMVP1回(1991)最多勝1回(1991)最優秀防御率1回(1991)ベストナイン1回(1991)沢村賞1回(1991)最多完封1回(1999)

数々の伝説


 @鮮烈なデビュー

 1990年4月12日、新人の佐々岡は、鮮烈なデビューを果たす。1軍初登板が敵地横浜スタジアムでの先発という抜擢を受ける。佐々岡は、1回に1点を奪われながらも、2回以降は立ち直って大洋打線を抑えていく。
 味方打線は、6回までに10点を取る猛攻を見せ、佐々岡も7回に1点を失ったものの、9回を8安打5奪三振2失点に抑える好投によって、10−2で圧勝する。佐々岡は、ルーキーとは思えないほどの落ち着いたマウンドさばきで、初登板初先発初完投勝利を挙げたのである。


 A17試合連続セーブポイント

 1990年、佐々岡は、初登板初先発でデビューを果たしたが、その後、チーム事情によってリリーフに回る。
 佐々岡は、リリーフでも新人らしからぬマウンドさばきで好投に好投を重ね、7月31日には守護神として13試合連続セーブポイントの日本新記録を樹立する。さらに、そこから4試合連続でセーブポイントを挙げ、17試合連続セーブポイントまで伸ばした。
 当時の守護神は、1イニングだけでなく2イニング、3イニングと投げることもよくあり、その中での17試合連続セーブポイントは驚異的な記録であった。


 Bまさかのサヨナラ本塁打

 1990年8月14日、広島×中日戦で3−1の9回表に登板した佐々岡は、2点を奪われて同点にされてしまう。
 9回裏1死、広島は、延長戦を想定して佐々岡を打席に送る。自らが打たれて同点に追いつかれていた佐々岡は、何とかしなければとの思いから、中日の守護神郭源治の直球をフルスイングすると、振り遅れながらも打球は舞い上がり、ライトスタンドに吸い込まれていった。
 佐々岡にとっては、プロ生活で2本しか放っていない本塁打のうちの1本が劇的なサヨナラ本塁打となった。


 C広島をリーグ優勝に導いてシーズンMVP

 プロ1年目から超一流の成績を残した佐々岡は、2年目に更なる進化を遂げる。
 佐々岡は、先発ローテーションの中心として33試合に登板し、17勝9敗、防御率2.44、213奪三振、13完投という驚異的な成績を残したのである。広島は、他にも川口和久、北別府学、大野豊といった投手陣が充実し、投手を中心とした守りの野球で、中日に3ゲーム差を付けてリーグ優勝を果たす。
 佐々岡は、最多勝、最優秀防御率のタイトルを獲得し、リーグ優勝の立役者となったことが評価され、沢村賞、ベストナイン、そして、シーズンMVPに選出された。
 広島にとっては、このリーグ優勝が20世紀最後の優勝となった。


 D5日連続セーブ

 1996年6月26日の中日戦で7−5の8回から登板した佐々岡は、2回を無失点に抑えてセーブを挙げる。翌日の中日戦でも9回表に7−6と逆転した直後の9回裏に登板し、1回を無失点に抑えてセーブを挙げる。
 そして、6月28日の巨人戦では9回表に7−1から7−5に詰め寄られて急遽登板して無失点に抑えてセーブを挙げると、翌日の巨人戦には5−4の9回表に登板して無失点に抑えて4日連続セーブを挙げる。
 さらに、6月30日の巨人戦では8−7の9回表に登板して無失点に抑えて5日連続セーブを挙げた。これは、当時の日本記録だった。


 Eノーヒットノーラン

 1999年5月8日、中日戦に先発した佐々岡は、緩急をつけたピッチングで中日打線を完璧に抑え込んでいく。2回裏に2点を先制してもらい、4回表には死球でランナーを出すものの、素早いけん制で刺し、7回裏に2点の追加点をもらって4−0となった。
 9回には内野のエラーにより1死1塁となったが、佐々岡は、簡単に併殺打で切り抜けて史上67人目となるノーヒットノーランを達成した。
 この日、佐々岡が許したランナーは、死球1人とエラー2人の3人で、6奪三振、103球、無四球のノーヒットノーラン達成だった。


 F通算100勝100セーブ

 佐々岡は、2000年6月16日、横浜戦に先発し、完封勝利を挙げてプロ野球史上115人目となる通算100勝を達成する。
 そして、2003年9月14日、広島×横浜戦で9回表に守護神として登板し、1回を無失点に抑えてセーブを挙げ、史上16人目となる通算100セーブを達成する。
 通算100勝100セーブを達成したのは、史上6人目の快挙だった。
 さらに、2006年5月4日のヤクルト×広島戦では、6回無失点に抑えて先発として通算100勝を達成する。先発で100勝以上を挙げながら、100セーブ以上を達成したのは、江夏豊に次いで史上2人目の快挙だった。


 G一度も大きな故障をせず17年連続20試合以上登板

 佐々岡は、プロ入りした1年目に先発と抑えで44試合に登板したが、その後も、毎年安定して多くの試合に投げている。1994年から1996年まで3年連続40試合以上登板した他、プロ1年目の1990年から2006年まで17年連続20試合以上登板を果たしている。
 つまり、佐々岡は、プロ入りから2007年の引退まで一度も大きな故障をしたことがなく、毎年1軍で投げ続けて広島の大黒柱として貢献してきた。佐々岡は、投げ込みを中心とした猛練習で体を鍛え上げ、キャンプでも1日300球以上の投げ込みをよく行っていたが、それでも全く故障しなかったという。





(2015年3月作成)

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