レロン・リー
 1948年アメリカ・カリフォルニア洲生まれ。右投左打。背番号5(ロッテ)。グランドユニオン高から大リーグのカージナルスに入り、ドジャースなど4球団を渡り歩いた。大リーグの通算成績は、614試合、.250、31本塁打。
 1977年に日本のロッテに入団。本塁打も打率も稼げる中距離ヒッターとして1年目から34本塁打、109打点の活躍で2冠王を獲得し、ロッテの後期優勝に貢献してる。
 以後、ロッテの主力打者として常に高いアベレージと本塁打数を残した。2年目には弟のレオン・リーがロッテに入団し、5年間一緒にプレーして強力なクリーンアップを形成した。
 1980年には打率.358で首位打者のタイトルを獲得。この年の最多安打175も記録しており、ロッテも前期優勝を果たしている。
 1978年から1986年までは10年連続3割以上を残しているが、1982年は84試合出場のため、.326ながら惜しくも規定打席に届いていないため、厳密には連続記録になっていない。 
 1986年に打率.331、31本塁打、94打点の活躍を見せたが、1987年は不振に陥り、9本塁打、41打点と精彩を欠いたままシーズンを終え、その年限りで引退試合もなく、退団した。
 左打ちの中距離ヒッターで、変化球打ちがうまかったため、首位打者に絞ればもっと多くのタイトルを手にしていたと言われるが、日本では本塁打を求められたため、首位打者獲得は1度に終わっている。
 しかし、通算打率は、多くの強打者を抑えて歴代1位の座を守り続けている。
 
 通算成績:実働11年 打率.320(歴代1位) 283本塁打 912打点 1579安打 首位打者1回(1980) 打点王1回(1977) 本塁打王1回(1977) 最多安打1回(1980) ベストナイン4回(1977・1980・1984・1985)

数々の伝説


 @大リーグでは不遇

 リーは、カージナルスやドジャースなど大リーグ4球団で通算614試合に出場している。しかし、レギュラーとしての扱いは受けていない。
 最初のカージナルスでは、黒人という理由でで出番が与えられなかったという。トレードされた2球団目のパドレスでは、フロントがする選手の給料からの罰金を差し引きに対して抗議し、試合に出してもらえなくなったらしい。
 そして3球団目のインディアンスにトレードされると、故障者の穴埋めで出場し、3割を打ちながらも、その故障者が復帰するとまたベンチウォーマーにされた。
 4球団目のドジャースにいるときに日本のロッテからの移籍話があり、リーは、嫌気がさしていた大リーグを見捨てて来日している。
 リーがもし常時出場していたなら大リーグでもスターになっていただろう。彼自身だけでなく、多くの人々がそう証言している。


 A「ピストル」という批判から奮起

 来日1年目のオープン戦では当初ヒットこそ出るものの、豪快な本塁打は影を潜めていた。そして、打率も山崎・得津・有藤といった主力選手を下回っていた。
 そのため、マスコミは、リーを「大砲」まで行かない「ピストル」と批判し、「外れ外国人」と位置付けた。
 それに発奮したリーは、公式戦開始後、打ちまくり、わずか40試合程度で20本塁打を記録した。
 そして、そのシーズンは9月には一時3冠でトップになるほどの活躍を見せ、打率.317、34本塁打、109打点の活躍で本塁打・打点の2冠王に輝いている。


 B兄弟で活躍
 
 来日1年目に2冠王を獲得して大活躍を見せたレロン・リーに対して、ロッテは、2年目、リーの勧めもあって、弟のレオン・リーを来日させて契約した。レオンは、全く大リーグ経験がなかったものの、3Aでそこそこの成績を残しており、期待するには充分だった。
 そして、1978年は、ともにロッテの主力として活躍を見せ、兄のレロン・リーが打率.317、30本塁打なら弟のレオン・リーが打率.316、19本塁打の活躍で、兄が打率4位、弟が5位という好結果になった。
 1980年には兄が.358、33本塁打で首位打者、弟が.340、41本塁打で打率2位、本塁打4位という素晴らしい活躍を見せた。
 1980年10月3日の近鉄戦では兄のレロン・リーが3本塁打、弟も2本塁打して兄弟で1試合5発というとてつもない記録を打ちたてた。
 1978〜82年の間に兄弟アベックアーチは、何と28度を数えた。
 さらに兄弟それぞれが通算1000本安打以上を放っているのは、日本人を含めても河埜和正・敬幸兄弟とこのリー兄弟だけである。


 C不本意な退団

 1987年、リーは来日後初めて不振に陥り、打率.274、9本塁打という低調な成績で終えた。39歳になっていたリーを、ロッテは、来シーズンの戦力外と判断。
 間違いなく、ロッテの成績を支えてきた一番の功労者であるリーは、引退試合もないまま退団することとなった。
 また、通算打率1位という好打者だったリーに対して、球団もプロ野球界もマスコミも、指導者や評論家としての引きとめもなく、使い捨てのような扱いをしたという。
 ただ、偉大なリーの功績を称えるファンが草野球で引退試合を催した、という逸話も残っている。


 D通算打率歴代1位

 リーは、ロッテで実働11年プレーし続け、その間、9回も3割以上を記録している。
 首位打者こそ、.358という高打率を残した1980年のみに終わったが、ほとんどのシーズンで3割2分前後の打率を維持している。
 そのため、4000打数以上と定められる通算打率が.320となり、若松勉や張本勲の.319をしのいで歴代1位となっている。
 
 
 E外国人通算成績3冠

 リーは、日本で打率.320、283本塁打、912打点を稼ぎ出して引退した。これは、どれをとっても当時の外国人としての最高成績で、通算成績三冠王だった。その後、タフィ・ローズに通算本塁打・通算打点は抜かれている。
 現在も通算打率は、外国人選手中トップだが、ただ2000打席以上で換算すると、通算打率.337のバースにトップの座を譲ることになる。
 また、リーは、3冠部門のタイトルをすべて1度は獲得しているが、そういう外国人選手は意外にも少なく、リーの他には3冠王を獲ったバースとブーマーだけである。



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