レオン・リー 
 1952年、アメリカ・カリフォルニア生まれ。一塁手・三塁手。右投右打。背番号7(ロッテ)→2(大洋・ヤクルト)。グランドユニオン高校からプロ入りし、マイナーリーグではまずまずの活躍を見せたものの大リーグ経験はなし。
 1978年に兄レロン・リーのいたロッテと契約し、来日。
 1年目から打率.316、19本塁打という活躍を見せた。
 2年目の1979年には打率.304、35本塁打、93打点という成績を残し、1980年には打率.340、41本塁打、116打点という3冠王をとってもいいような成績を残し、ロッテを前期優勝に導いたが、不運にも無冠に終わった。
 1982年には日本人の若手が成長してきたため、大洋へトレード。そこでも打率・本塁打ともにまずまずの成績を残しながら、3年で解雇されて1986年にヤクルトに移った。
 ヤクルトでも好成績を残したが、1987年オフに.300、22本塁打、73打点という好成績ながら退団となり、日本を離れた。
 その後、オリックスでコーチを経て2003年途中からそのシーズンのオリックスの監督を務めた。
 息子のデレク・リーは、大リーガーとして活躍している。

 兄のレロン・リーと強力なタッグで、本塁打を固め打ちできるアベレージヒッターとして安定した成績を残した。パリーグ5年間、セリーグ5年間と外国人にしては珍しく両リーグで活躍を見せ、双方でそれぞれ100本塁打以上放っている。

 通算成績(10年間):打率.308、268本塁打、884打点、1436安打。ゲーム最多打点10(セリーグ記録)ベストナイン2度(1980・1986
数々の伝説

 @兄の活躍で来日。
 
 ドジャースにいた兄のレロン・リーは、チャンスを与えられない状況に嫌気がさして、ロッテと契約して来日した。
 レロン・リーは、来日1年目にいきなり2冠王を獲得して大活躍を見せた。その活躍に目をつけたロッテは、2年目、リーの勧めもあって、弟のレオン・リーを来日させて契約した。レオンは、全く大リーグ経験がなかったものの、3Aでそこそこの成績を残しており、期待するには充分だった。
 そして、来日1年目の1978年から活躍を始める。 


 A兄弟で活躍

 1978年は、ともにロッテの主力として活躍を見せ、兄のレロン・リーが打率.317、30本塁打なら弟のレオン・リーが打率.316、19本塁打の活躍で、兄が打率4位、弟が5位という好結果になった。
 1980年には兄が.358、33本塁打で首位打者、弟が.340、41本塁打で打率2位、本塁打4位という素晴らしい活躍を見せた。
 1980年10月3日の近鉄戦では兄のレロン・リーが3本塁打、弟も2本塁打して兄弟で1試合5発というとてつもない記録を打ちたてた。
 1978〜82年の間に兄弟アベックアーチは、何と28度を数えた。
 さらに兄弟それぞれが通算1000本安打以上を放っているのは、日本人を含めても河埜和正・敬幸兄弟とこのリー兄弟だけである。


 Bタイトルと無縁の強打者

 1980年、レオンは、打率.340、41本塁打、116打点という驚異的な数字を残した。
 しかし、打率は兄のレロン・リーが.358という高打率で首位打者になったため、2位。
 本塁打も、マニエルが48本というスラッガーぶりを見せつけたために4位に沈んだ。
 そして、打点も、マニエルの129打点に及ばず2位。
 もし、その年の記録を前年か翌年に出していれば、ともに2冠王を獲得していたことになる。不運と言わざるをえない。
 さらに、1985年には大洋で1試合10打点という記録を作ってシーズン110打点を記録したが、3冠王のバースが134打点でタイトルを獲っていったため、3位に終わっている。


 C1試合10打点

 1985年8月10日大洋×広島戦で、大洋にいたレオンは、満塁本塁打、3ラン本塁打、2ラン本塁打と3発を放ち、その他に1打点を加えて、1試合10打点という記録を残している。
 これは1951年の飯島滋弥(大映)が残した1試合11打点に次いで歴代2位となっており、1999年のローズ(横浜)・江藤智(広島)と並んでセリーグ記録である。


 D好成績でも解雇

 レオンは、1985年、大洋で打率.303、31本塁打、110打点を残しながら、大洋から放出されている。その理由については、レオンの守備・鈍足がネックになったからだとも、大洋低迷の責任を一人で取らされたとも言われている。
 そして、移籍したヤクルトでも、1987年に打率.300、22本塁打、73打点と活躍したにも関わらず、解雇されている。これは、前年の成績を打撃3部門とも下回っていたためであろうが、クリーンアップとして十分な成績だけに外国人選手に対して厳しい日本球団の体質が見られる。
 兄のレロン・リーも1987年限りでロッテを退団しており、兄弟揃ってプロ野球界から姿を消すことになった。





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