1974年10月3日、ベネズエラ生まれ。外野手。右投右打。背番号3(ヤクルト)→5(巨人)→3(DeNA)。
サンアントニオデパウラ高校を中退してインディアンスと契約し、マイナーリーグでプレーを続けるが、大リーグに昇格したのは1998年である。
1998年は、3Aで打率.299、34本塁打を放つ活躍を見せたが、大リーグでは出場機会に恵まれず、1安打に終わる。
1999年は大リーグで48試合に出場し、打率.299、3本塁打の成績を残す。
2000年途中にはトレードでパイレーツへ移籍し、この年は打率.247、9本塁打を残す。その年のオフに日本のヤクルトと契約する。
2001年にはヤクルトで1年目から打率.280、29本塁打、88打点の成績を残し、ヤクルトのリーグ優勝と日本一に大きく貢献する。
2003年には打率.333、40本塁打、124打点、189安打の好成績で、本塁打王・打点王・最多安打・ベストナインに輝き、日本を代表する打者となる。
2004年に31本塁打、2005年に32本塁打を放ち、3年連続30本塁打以上を記録する。
2007年には打率.343、29本塁打、122打点で打点王を獲得する。シーズン204安打で最多安打にも輝き、外国人初のシーズン200安打を達成する。その年のオフに巨人と契約して移籍。
2008年には打率.319、45本塁打、125打点で2年連続打点王を獲得し、巨人のリーグ優勝の原動力となってシーズンMVPを獲得する。2009年には打率.322、31本塁打、103打点で巨人のリーグ優勝と日本一に大きく貢献し、首位打者とベストナイン、最多安打、シーズンMVPを獲得する。
2010年には打率.304、49本塁打、129打点で本塁打王と打点王を獲得する。
2011年のシーズンオフに巨人を退団し、横浜DeNAに入団する。2012年は、日米通算2000本安打を達成し、打率.300を残した。
2013年限りで横浜DeNAを退団すると、2014年は、独立リーグの群馬ダイヤモンドペガサスで活躍したが、その年限りで現役を引退した。
積極的な打撃で広角に安打と本塁打を量産できる技術を持った打者で、日本球界において様々な外国人記録を塗り替えている。陽気で真面目な性格で、数々のパフォーマンスで盛り上げ、ファンから「ラミちゃん」と親しまれている。
通算成績(2013年末)日本(13年):打率.301、380本塁打、1272打点、2017安打。首位打者1回(2009)本塁打王2回(2003・2010)打点王4回(2003・2007〜2008・2010)最多安打3回(2003・2007・2009)ベストナイン4回(2003・2007〜2009)
大リーグ(4年):打率.259、12本塁打、48打点、86安打。
日米通算:打率.299、392本塁打、1320打点、2103安打。
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