サチェル・ペイジ(Satchel Paige)
 世界史上最高の投手。1906年、アメリカのアラバマ州で生まれる。当時の黒人プロ野球ニグロリーグで大活躍し、1948年に42歳でメジャーリーグ入団して活躍。大リーグ最後の登板が59歳のときである。
 1971年には野球殿堂入りを果たし、1982年没。
 生涯に2500試合以上に登板。2000勝以上したと伝えられる。完封勝利350以上、ノーヒットノーラン55試合。所属チーム数約250。
 直球の球速は、軽く160キロを超え、絶妙のコントロールを持っていたと伝えられている。
 1930年には大リーグ選抜相手に1試合22奪三振を記録し、完封している。
数々の伝説

@愛称が正式名称に

 ペイジは、幼いときに父が他界し、11人兄弟の中で貧困生活を送る。幼いことから鉄道の駅で、客の手荷物を運ぶことで生活費を稼いでいた。
 1度に客のかばんを16個も運ぶことがあったペイジは、「肩掛けかばん」を意味する「サチェル」という愛称が付けられ、その後は正式名称のように使われるようになった。


A12歳で教護院に
 
 12歳のとき、おもちゃ屋での万引きで捕まり、教護院に入る。
 不幸中の幸いというべきか、ペイジは、ここで野球を覚える。
 5年間の教護院生活を終えて、17歳になっていたペイジは、黒人野球のセミプロ球団、モービル・タイガースに入団し、1年目で30勝1敗の成績を収める。


B驚異のコントロール

 ニグロリーグで試合前にアトラクションがあり、ペイジは、ホームベース上にマッチ箱を並べ、マウンドから球を投げて次々とマッチ箱を倒すということをやっていた。


C故意にピンチ

 普通に勝負すると、サチェルペイジの球は誰も打てないため、ペイジは、しばしば故意に内外野の野手を引き上げさせ、投手と捕手だけで勝負をするということを行っている。
 ニグロリーグでペイジがたまに敗戦投手になっているのはそのためである。
 また、観客を喜ばせるため、四球で満塁のピンチを作り、四番打者と勝負して三振をとる、ということもあった、という。


D大リーグ戦

 1930年、ペイジが大リーグ選抜を完封したのは有名だが、それ以外にも大リーグ相手に多く勝っている。
 1934年にワールドシリーズを制したカーディナルスを延長13回、1対0で完封している。
 ペイジのいたクロフォーズは、大リーグチームと対戦しても、負け越すことはほとんどなかった、といわれている。


E43勝

 1935年、ビズバーグに入団したペイジは、43勝2敗という成績を残している。
 その中では29試合連続登板というとてつもない記録を達成している。
 シーズンオフに行われた大リーグチームとの対戦では3戦3勝であった。


F42歳の新人

 黒人選手が大リーグに入れるようになったのは1947年のことである。
 ペイジは、黒人プロ野球ニグロリーグから1948年の途中に大リーグのインディアンス入り。
 その年は6勝1敗、防御率2.48で優勝に貢献している。
 普通なら引退している歳であるから、当然のことながら史上最年長の新人投手である。



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