1945年3月、岡山県生まれ。内野手。右投右打。背番号51・3・51(東映)→8(ヤクルト)。関西高校から社会人の丸井に入社したものの、わずか1年後にチームは解散となった。そのため、大杉は、東映の入団テストを受けて見事合格し、1965年に入団。
1968年に「月に向かって打て」の伝説を生み出し、34本塁打を放って日本を代表するスラッガーとなる。
1970年に打率.339、44本塁打、129打点で本塁打王・打点王の2冠王に輝いた。翌年にも41本塁打で2年連続本塁打王になるとともに151安打で最多安打も記録している。
1972年には101打点で2度目の打点王にも輝いている。この年は40本塁打を放ちながらも、最終戦で2発放った長池徳二の41本に敗れて3年連続本塁打王を逃している。
1975年、ヤクルトに移籍。
1978年には打率.327、30本塁打、97打点を残し、ヤクルト初優勝に大きく貢献した。日本シリーズでも.310、4本塁打、10打点の活躍でヤクルトを日本一に導き、シリーズMVPを獲得した。第7戦での左翼ポール際への本塁打は相手側の長い抗議のせいでシリーズ史に残る伝説となった。
1981年、通算2000本安打を達成。
1983年には史上初となる両リーグ1000本安打を達成している。しかし、この年、2年前から悩まされていた不整脈が快方に向かわず、現役を引退した。
1997年、殿堂入り。
豪快なスイングと優れた打撃技術で本塁打を量産し、セ・パ両リーグで超一流の成績を残した。数々の武勇伝を残した暴れん坊でもあった。
通算成績(実働19年):打率.287、486本塁打、1507打点(歴代7位)、2228安打。本塁打王2回(1970・1971)打点王2回(1970・1972)ベストナイン5回(1967・1969〜1972)ゴールデングラブ賞1回(1972)日本シリーズMVP1回(1978)最多安打(1971) |