数々の伝説
@戦後初のサク越え本塁打
大下は、プロ入団直後の1945年11月23日の神宮球場での東西対抗戦でいきなり5番打者としてスタメン出場する。そこで外野フェンス直撃の二塁打を含む6打数3安打の活躍を見せる。
そして、11月25日のクラブチーム、オール桐生との試合で4回に大下が放った打球は、センターのサクを越え、スタンドに飛び込んだ。
ランニング本塁打は、11月23日に藤村富美男が放っていたが、サク越えは、大下のこの本塁打が戦後プロ野球選手として初めての快挙となった。
そして、12月1日にも9回にライトスタンドへ豪快に叩き込み、プロ野球の試合での戦後初のサク越え本塁打となった。
A本塁打の魅力でプロ野球を復興
大下は、明治大学時代から「ポンちゃん」の異名を持っていた。これは、ポンポンといとも簡単に打球をスタンドに運んでいくことから名づけられたそうである。
1946年、前年の東西対抗でデビューした大下は、この年も一年を通じて好調を維持し、巨人とのシーズン最終戦で左翼席へ運んでシーズン20本塁打を達成した。
それまでのシーズン本塁打記録が10本だったから、この20本塁打は、驚異の日本記録だった。しかも、戦争直後の劣悪なバットや球という条件下でもあった。
この年の2位の飯島滋弥は12本で、8本の大差をつけた。リーグに占める本塁打比率は、実に9.5%にあたるという。王貞治の55本塁打のときでも7.6%だから、大下の記録がいかに偉大かが分かるだろう。
大下の高く舞い上がって虹を描くような美しく華麗な本塁打は、大きな人気を呼んだ。戦後のプロ野球の復興は、大下の本塁打がもたらしたと言っても過言ではないだろう。
B打率.383
1951年、大下は、シーズン当初から高打率を残していた。パリーグでは大下が独走していたが、セリーグでは川上も独走態勢を作っていた。
2人とも、リーグが分かれてはいたものの、互いに意識し合っていたと言われている。
川上は、セリーグ全日程を終了した時点で.377で日本新記録を作ってセリーグ首位打者を獲得。
そのとき、2試合を残していた大下は、毎日戦で5打数3安打、最終戦の大映戦では4打数2安打を残し、.383まで上げた。
この記録は、もちろん日本新記録であり、パリーグ首位打者に輝いた。
この記録は、1970年に張本わずか3毛差で破られるまで19年に渡って守られ続けた。
C7打席7安打
1949年11月19日、甲子園球場で対大陽戦が行われ、大下は、スタメンで出場した。
第一打席で先発真田から一二塁間安打、その後、右翼線2塁打、2人目の松田から一塁線強襲安打、3人目の井筒から右翼線二塁打、投手強襲安打、右中間二塁打で6打席連続安打となった。
そして、9回には遊撃内野安打を放って1試合7打席連続安打の日本記録を達成した。最後の内野安打は、間一髪のタイミングでのセーフだったという。
試合も、当然のように東映が大勝。スコアは、22−2だった。
この日、実は、大下は前日の雨で、中止になるだろうと予想して一晩中飲み続けていたという。
大下は「その二日酔いのおかげで、軽くバットを当てるだけのバッティングになったことがよかった」と回顧している。この日だけでなく、大下は、普段から酒豪と女遊びが有名で、マスコミからよく叩かれたが、それをものともせず試合になると結果を残し続けた。
D天才
「日本の野球の打撃人を5人あげるとすると、川上、大下、中西、長嶋、王。3人に絞るとすれば、大下、中西、長嶋。そしてたった1人選ぶとすると、大下弘」
これは、巨人・西鉄・大洋で合計6度のリーグ優勝、4度の日本一を達成した名将三原脩監督の言葉である。
戦後、彗星の如く現れ、美しい本塁打を量産し、高打率も残したため、世間は、大下を「天才」と呼んだ。
E青バット
戦後まもなくの日本では並木路子が歌う「リンゴの歌」が流行っていた。
巨人では川上哲治がトレードマークの赤バットからの巧みなバットコントロールで人気を得ていた。
1947年、大下は、「リンゴの歌」を聴いていて、その歌詞の一節「赤いリンゴに くちびるよせて だまって見ている 青い空」(作詞:サトウハチロー)からふと川上に対抗する策を思いついた。
川上が赤バットなら自分は青バットだと。
大下は、バットに青ペンキを吹き付け、青バットを作ったという。
青バットに代えた大下は、その年、打率.315、17本塁打で初の首位打者と2年連続本塁打王の2冠に輝いている。
Fあわやノーヒットノーランを勝ち試合に
1949年10月1日、一宮球場での対中日戦では、中日先発の杉下茂が好投。剛速球で東急打線を完璧に抑え、8回まで四球のランナーを2人と失策の1人を出しただけだった。
しかし、8回表、杉下は、投手強襲の浜田の打球を受けた杉下が右手の指を痛めたため、降板。
9回表には服部がリリーフに立ち、9回表を無安打に抑えた。
しかし、スコアは0−0のまま、延長戦に突入。
10回表、先頭打者で打席に立った大下は、カウント0−2から右翼スタンドへ吸い込まれるソロ本塁打を放った。
この一発により、東急は、9回をノーヒットノーランされながら勝利する、という珍記録を作ってしまったのである。
|