西口 文也
 1972年9月、和歌山県生まれ。投手。右投右打。背番号13。和歌山商業高校から立正大学に進んで頭角を現し、1993年には東都リーグ2部優勝、1部昇格に貢献する。1995年、ドラフト3位で西武に入団する。
 プロ1年目にアメリカ独立リーグに野球留学し、後半戦の8月に1軍初登板を果たすと、9月には完封勝利を含む2勝を挙げる。
 プロ2年目の1996年には先発ローテーションに入って頭角を現し、16勝10敗1セーブ、防御率3.17の成績を残す。
 1997年は、15勝5敗1セーブ、防御率3.12、勝率.750、192奪三振で西武のリーグ優勝に大きく貢献し、最多勝と最高勝率、最多奪三振のタイトルを獲得し、シーズンMVP、沢村賞、ベストナイン、ゴールデングラブ賞も受賞する。
 1998年にも13勝12敗4セーブ、防御率3.38、148奪三振で西武のリーグ優勝に貢献し、2年連続最多勝・最多奪三振のタイトルを獲得する。リーグ最多の5完封を記録し、ベストナインとゴールデングラブ賞にも2年連続で選出される。
 1999年にも14勝10敗、3完封で2年連続最多完封を記録する。さらに2000年にも11勝5敗、2完封で3年連続最多完封を達成する。
 2001年に14勝9敗、2002年には15勝10敗、防御率3.51、180奪三振で7年連続2桁勝利を達成して、西武のリーグ優勝に貢献する。
 2004年は、10勝5敗、防御率3.22の成績で西武のリーグ優勝・日本一に貢献する。
 2005年にはノーヒットノーラン未遂と完全試合未遂をして話題になり、シーズン17勝5敗、防御率2.77で自己最多勝利数を挙げる。
 2008年にも8勝を挙げて西武のリーグ優勝、日本一に貢献する。
 2011年には11勝7敗、防御率2.57の好成績で通算10回目の2桁勝利を達成する。
 2015年限りで現役を引退した。

躍動感ある投球フォームから投げ下ろすストレートと切れ味鋭い多彩なスライダーで数多くの奪三振を記録し、長年西武のエースに君臨した。好調時は、打者が手も足も出ないほどの投球を見せ、3回もノーヒットノーラン達成寸前まで行った。


通算成績(実働21年)182勝117敗6セーブ3ホールド、防御率3.72、2082奪三振。最多勝2回(1997・1998)最多奪三振2回(1997・1998)最高勝率1回(1997)シーズンMVP1回(1997)ベストナイン2回(1997・1998)最多完封3回(1998〜2000)ゴールデングラブ賞3回(1997・1998・2002)沢村賞1回(1997)

数々の伝説


 @シーズンMVP

 1997年、西口は、前年16勝を挙げたことを認められ、開幕投手を務める。西口は、開幕戦こそ敗れたものの、シーズンを通して先発投手陣を引っ張って安定した成績を残し、32試合に登板して15勝を挙げる。
 この年の西武は、投手陣では潮崎哲也、豊田清、橋本武広、森慎二、石井貴らも好調で、打線も松井稼頭央、マルティネス、佐々木誠、鈴木健らが牽引して76勝56敗3分の成績でリーグ優勝を果たす。
 この年の西口の成績は、15勝5敗、防御率3.12、192奪三振、勝率.750と圧巻であり、最多勝、最多奪三振、最高勝率、ベストナイン、シーズンMVP、ゴールデングラブ賞、沢村賞とほとんどの賞を受賞する大活躍を見せた。


 A1回目のノーヒットノーラン未遂

 2002年8月26日、西武ドームでのロッテ戦に先発した西口は、1回からロッテ打線を寄せ付けず、抑え込んでいく。6回から7回にかけては5者連続奪三振を記録するなど、手の付けられない好投を見せる。
 西武は、1回に1点を先制すると小刻みに得点を重ね、6回までに6点を奪って試合を優勢に進める。
 西口も、7回に福浦和也に与えた1四球に抑える好投で、9回表を迎える。西口は、簡単に2人を打ち取り、あと1人抑えればノーヒットノーラン達成の状況で、小坂誠を打席に迎える。
 しかし、西口は、力が入って高めに浮いた直球を小坂に合わせられ、詰まりながらもセンター前に落ちるヒットを浴びる。ノーヒットノーランを逃した西口は、続くサブローにも安打を許したものの、福浦和也を抑えて2安打11奪三振1四球で6−0の完封勝利を挙げた。


 B2回目のノーヒットノーラン未遂

 2005年5月13日のインボイスSEIBUドームでの巨人戦に先発した西口は、2回に清原和博に与えた死球のみで、他にはランナーを許さずに好投する。
 西武打線も1回に2点、3回に4点を奪って西口を強力に援護する。
 西口は、9回も投手ゴロとサードフライに抑えて2死をとり、打席に迎える清水隆行を抑えればノーヒットノーランを達成できるところまで来た。
 しかし、西口は、伝家の宝刀スライダーを清水にすくい上げられ、それがライトスタンドに飛び込むソロ本塁打となった。
 西口は、ノーヒットノーランを逃したショックを抱えながらも、次の打者を抑えて1安打1四球8奪三振で6−1の完投勝利を飾っている。


 C3回目のノーヒットノーラン未遂&完全試合未遂

 2005年8月27日、インボイスSEIBUドームで先発した西口は、1回から楽天打線を完璧に抑え込み、9回まで無安打無四死球の完全試合を続ける。しかし、西武打線も、楽天の先発一場靖弘に9回を5安打に抑えられ、1点も奪うことができなかった。
 延長戦に突入しても続投した西口は、10回表に先頭打者沖原佳典に宝刀スライダーをライト前に運ばれ、初安打を許す。完全試合を逃した西口は、その後、山崎武司にも四球を与えたものの、何とか0点に抑えてマウンドを降りた。
 西武は、10回裏にこの回から登板した福森和男を攻め、石井義人がサヨナラ安打を放って、1−0で勝利を挙げる。西口は、10回を1安打1四球10奪三振という快投でシーズン16勝目を挙げている。


 D隠れたノーヒットノーラン未遂も2回

 1996年9月23日の近鉄戦で、西口は、1回表の先頭打者水口栄治に安打を浴びた後、好投を続ける。そして、残り27人の打者を完全に抑えて6−0で完封勝利するという離れ業を成し遂げた。1回の先頭打者さえ打ち取っていれば完全試合だっただけに、これが西口のノーヒットノーラン未遂1回目ととらえることもある。

 そして、隠れたノーヒットノーラン未遂2回目として語られるのは1999年9月19日のオリックス戦である。先発した西口は、8点の援護をもらい、8回2死まで無安打に抑えていたものの、そこから安打を浴びてノーヒットノーランを逃すとともに、その回限りで降板し、8回1安打2四球無失点という内容だった。試合は、リリーフの橋本武広が9回を1安打無失点に抑えて8−0で勝利している。

 この隠れた2回を入れると、西口は、1996年から2005年までの間に5回もノーヒットノーラン未遂を行っていたことになる。 


 E先発で102試合連続無完投

 西口は、西武一筋で優勝を目指し、現役晩年を迎えてからも先発投手にこだわりを持ち、リリーフに定着することはなかった。
 そのため、中継ぎや抑えという分業制が定着した時代の流れもあって、2006年6月4日の巨人戦で完投して以降、約5年間にわたって完投がなかった。
 その記録が止まったのが2011年8月28日の日本ハム戦で、西口は、先発して9回を3安打無失点に抑え、スコア1−0の完封勝利を飾った試合である。この試合で西口の連続無完投は、102試合で止まった。
 この記録は、ケビン・ホッジスの81試合を大幅に更新する記録だったが、2012年、藤井秀悟に破られている。


 F通算2000奪三振

 西口は、伸びのある速球と多彩な変化をするスライダーで数多くの三振を奪える投手であった。
 1996年9月23日の近鉄戦では8者連続奪三振を記録し、1997年には192奪三振でパリーグ最多奪三振を記録する。1998年にも148奪三振で2年連続最多奪三振を記録。
 そして、1996年から11年連続で2桁奪三振試合を記録するというパリーグ新記録を樹立している。
 エースとして毎年安定した成績を残した西口は、2006年5月6日のソフトバンク戦で史上4人目のペースで通算1500奪三振を達成する。
 さらには、2011年10月6日、オリックス戦に先発した西口は、1回表にT−岡田から三振を奪い、ついに史上21人目となる通算2000奪三振を記録した。


 G日本シリーズ未勝利

 西口は、日本シリーズに日本シリーズに通算5回出場しているが、1回も勝利を挙げることができなかった。
 1997年のヤクルト戦では第1戦に先発したもののテータムの一発による1失点が響き、スコア0−1の完投負けを喫する。第5戦の先発でも5回3失点で負け投手となった。
 1998年の横浜戦も、第1戦で2回0/3を4失点で降板して敗戦投手になると、第6戦では8回2失点でスコア1−2の敗戦投手となった。
 2004年の中日戦では第5戦に先発し、6回2/3を3失点で降板し、敗戦投手となった。
 2008年の巨人戦では第7戦に先発したものの、2回2失点で降板して勝敗はつかなかった。
 西口は、勝ち運に恵まれなかったこともあって、日本シリーズの通算成績が0勝5敗である。


 H伝家の宝刀スライダー

 西口の決め球と言えばスライダーである。しかも、このスライダーは、縦横へ自在に大きく曲げることができ、小さく曲げてカウントを整えるスライダーもあれば、大きく縦に落ちて空振りを取るスライダーもあった。
 西口のスライダーは、直球と全く同じ腕の振りから繰り出されるため、直球と見分けがつかず、打者は、小さな変化であったとしてもタイミングを外されるほど厄介な球であった。
 そして、最も打者が嫌がったのは、大きく縦に落ちるスライダーで、その曲がりはフォークボールと見間違えるほどの落差を誇った。直球と腕の振りと同じ軌道で来た球がホームベース付近で急激に落ちるため、打者は「球が消える」と評し、バットに当てるのも困難なスライダーであった。


 I通算200勝まであと18勝で引退

 西口は、西武で通算200勝することにこだわりを持ち、FA権を獲得しても宣言をせずに西武一筋にこだわった。
 西口は、1996年からは7年連続2桁勝利を挙げ、通算では10度の2桁勝利を達成した。2012年に5勝を挙げて通算182勝まで伸ばしたが、その後、球威の衰えもあって勝ち星に恵まれなくなった。
 2015年には1試合の先発登板しかなく、その年限りで引退をした。
 通算182勝は、2015年時点で歴代33位の記録で、通算200勝まであと18勝は、歴代で9番目に200勝に近い勝ち星での引退となった。





(2015年11月作成)

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