二岡 智宏
 1976年4月29日、広島県生まれ。内野手。右投右打。背番号7(巨人)→23(日本ハム)。広陵高校では福原忍と同級で2枚看板として活躍したが、甲子園出場はなかった。近畿大学では関西学生リーグ歴代1位の通算13本塁打を放って1999年、ドラフト2位で巨人に入団する。
 巨人では1年目に遊撃手でレギュラーを獲得し、打率.289、18本塁打、51打点の活躍を見せる。
 2000年は、打率.265、10本塁打で巨人のリーグ優勝に貢献する。
 2002年には打率.281、24本塁打、67打点の活躍でリーグ優勝に大きく貢献する。日本シリーズでは打率.474を記録して巨人を4連勝での日本一に導き、日本シリーズMVPを獲得する。
 2003年は、打率.300、29本塁打、67打点、14盗塁の活躍を見せ、ベストナインを受賞する。
 2005年は、打率.301で2度目の打率3割を達成する。2006年には打率.289、25本塁打、79打点の活躍を見せる。
 2007年は、打率.295、20本塁打、83打点の活躍を見せ、巨人のリーグ優勝に貢献する。
 2008年は、右足の故障で離脱し、その後女性スキャンダルと再度右足を故障したことにより、1本塁打と不本意な成績に終わる。オフには、日本ハムへの移籍が成立する。
 日本ハムでは指名打者と代打での出場がほとんどとなり、2010年は7本塁打、2011年は打率.282を記録する。
 2012年には65試合出場ながら打率.353を残し、代打の切り札として活躍を見せる。
 2013年は両足の故障によって不振に陥り、その年限りで現役を引退した。

 広角打法の勝負強い打撃で、右中間へも本塁打を打てる中距離ヒッターとして1年目から巨人の遊撃手として目覚ましい活躍を見せた。攻守の要として巨人のリーグ優勝に4度貢献し、日本ハムでも代打の切り札として活躍した。

通算成績(実働15年):打率.282、173本塁打、622打点、1314安打。ベストナイン1回(2003)日本シリーズMVP1回(2002)


数々の伝説


 @広陵高校で福原忍と同級

 二岡は、小学校・中学校で、のちに阪神で活躍する福原忍と同級だった。2人は、広島県の強豪である広陵高校に入り、ともにレギュラーとなる。
 広陵高校では福原がエースで、二岡が2番手投手兼三塁手の四番打者であり、広陵高校は、この2枚看板によって、甲子園を目指す有力校として注目を集めた。
 広陵高校は、二岡が2年生のとき、秋の県大会では優勝したものの、甲子園春の選抜に出場することはできず、結局、甲子園出場は1度も叶わなかった。
 二岡は、卒業時、プロから注目を集めていたが、進学を希望して近畿大学に入学した。
 福原とは、プロ入り1年目の初打席で対決しており、センターフライに終わっている。


 A川相昌弘からレギュラーを奪う

 二岡が巨人に入団した当時、遊撃手のレギュラーは、守備と犠打の名手である川相昌弘が担っていた。
 しかし、二岡は、開幕2戦目で遊撃手として先発し、その後、しばらくは川相との併用が続いたものの、二岡のパンチ力ある打撃が徐々に認められて、6月には遊撃手のレギュラーを獲得する。
 二岡は、この年、121試合に出場して打率.289、18本塁打、51打点という好成績を残したが、新人王は、20勝を挙げたチームメイトの上原浩治が獲得している。


 B2000年の優勝決定サヨナラ本塁打

 2000年9月24日、巨人が優勝マジック1で迎えた東京ドームでの中日戦は、9回表まで0−4とリードを許す苦しい展開となる。
 9回裏には抑えの切り札ギャラードがマウンドに上がり、敗色濃厚となるが、巨人は、1死満塁のチャンスを作る。すると、江藤智が起死回生の満塁本塁打をレフトスタンドに叩き込み、同点となった。
 その熱気冷めやらぬ中、打席に入ったのが二岡だった。二岡は、ギャラードの2球目の外角高めの直球を振り抜くと、打球は高々と舞い上がり、右中間スタンド中段に飛び込んだ。これが巨人が4年ぶりとなるリーグ優勝を決める劇的なサヨナラ本塁打となった。


 C2002年日本シリーズMVP

 2002年の日本シリーズは、西武との対戦となり、二岡は、遊撃手として全試合に先発出場する。
 二岡は、第1戦の第2打席目でレフト前安打を放つと、第3打席では右中間への二塁打、第4打席にはライト前安打を放ち、4打数3安打の活躍を見せて勝利に貢献する。
 第2戦でも第1打席でセンター前安打で出塁して先制のホームを踏むと、3回にはライト前へのタイムリー安打を放つ。7回にもライト前安打を放って5打数3安打の活躍を見せる。
 さらに、第3戦では3回表に右中間への二塁打を放つと、4回表には試合を決定づける満塁本塁打を放つ。8回にもレフト前安打を放って5打数3安打を記録する活躍を見せる。
 巨人が4連勝と圧倒したこのシリーズで二岡は、19打数9安打1本塁打5打点、打率.474を記録し、第1戦から第3戦までは3試合連続猛打賞と打ちまくった。 二岡は、貢献度の高さが認められ、日本シリーズMVPを受賞している。


 D2打席連続満塁本塁打

 2006年4月30日、東京ドームでの中日戦で1回裏、二岡は、中日先発の中田賢一から右中間スタンドへ先制の3号2ラン本塁打を放つ。
 そして、二岡は、4回裏に満塁で回った来た打席で、中田の直球を完璧にとらえてレフトスタンド中段へ運ぶ4号満塁本塁打を放つ。
 さらに、5回裏にも満塁で打席が回ってきた二岡は、ガルバから右中間スタンドへ2打席連続の5号満塁本塁打を放った。
 2打席連続満塁本塁打は史上初の快挙で、1試合10打点も史上2位の記録だった。


 E大型トレードで日本ハムへ移籍

 レギュラー獲得後は、毎年安定した成績を残してきた二岡だったが、2008年、開幕戦で右ふくらはぎの肉離れで長期離脱を余儀なくされる。そして、復帰前に女子アナとの不倫騒動が起こり、復帰が伸びる事態となる。
 しかも、二岡が離脱中に若手の坂本勇人が遊撃手のレギュラーを獲得し、二岡との世代交代が進もうとしていた。
 こうした状況もあって、二岡は、その年のオフに日本ハムへの移籍が決まる。巨人からは二岡と林昌範、日本ハムからは守護神のマイケル中村と工藤隆人の大型トレードとなった。


 F全球団から本塁打

 二岡は、巨人在籍時に日本ハム戦で本塁打を放っており、日本ハム移籍後に古巣巨人相手に本塁打を放って全球団から本塁打を達成している。
 達成したのは、2010年5月19日の巨人戦で、6回裏、ゴンザレスからレフトスタンドに決勝の2ラン本塁打を放って12球団目となった。
 全球団から本塁打を放ったのは、2リーグ制になって以降、二岡が史上18人目であった。


 G代打の切り札

 巨人時代は、遊撃手として活躍した二岡だが、日本ハムでは不動のレギュラー遊撃手金子誠が在籍しており、二岡は、指名打者か代打での出場が多くなった。
 それでも、二岡の打撃技術は、日本ハムの中でも重宝され、2010年には103試合に出場し、7本塁打、47打点を記録する。
 そして、2012年には主に代打の切り札として起用されたが、先発出場したときも好成績を残すなど、シーズン打率.353を残す活躍を見せた。




(2015年10月作成)

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