マーク・クルーン
 1973年4月、アメリカ生まれ。投手。右投右打。背番号54・32(メッツ)→33(レッズ)→48(ロッキーズ)→42(横浜・巨人)。シャドーマウンテン高校から1991年にニューヨーク・メッツに入団する。
プロ5年目の1995年に大リーグ登板を果たし、1997年には12試合に登板。なかなか大リーグで登板機会がない中、2004年に3Aで好成績を残して、日本の横浜と契約。
 来日1年目の2005年は、シーズン途中から抑えとして活躍し、3勝2敗26セーブの好成績を残す。
 2006年にも27セーブを挙げると、2007年には3勝1敗31セーブ、防御率2.76の成績を残して巨人へ移籍する。
 巨人では、2008年に1勝4敗41セーブ、防御率2.21を残してリーグ最多セーブを記録するとともに巨人のリーグ2連覇に大きく貢献する。
 さらに、2009年にも1勝3敗27セーブ、防御率1.26の成績でリーグ3連覇に貢献する。日本シリーズでも3セーブを挙げて日本一に貢献した。
 2010年には4勝3敗25セーブ、防御率4.26の成績を残したものの、リリーフ失敗が多かったため、戦力外となった。
 2011年にアメリカ3Aで2勝5敗20セーブ、防御率5.11の成績を残したが、その年限りで現役を引退した。

 日本でMAX162キロ、アメリカでMAX163キロを記録した剛速球と落差の大きく140キロ台中盤のフォークボールを武器に横浜と巨人でクローザーとして活躍した。コントロールは不安定ながら、それをカバーする奪三振でファンを魅了した。

通算成績(実働10年):(日本6年)14勝18敗177セーブ19ホールド、防御率2.68。最多セーブ1回(2008)
(大リーグ4年)0勝2敗0セーブ、防御率7.76。
(日米通算)14勝20敗177セーブ19ホールド、防御率3.09。

数々の伝説


 @大リーグでは活躍できず

 クルーンは、1991年にメッツに入団したものの、大リーグに昇格したのはプロ5年目の1995年で、163キロを投げる剛速球投手として期待されたものの、2試合に投げて1敗という成績だった。
 その後、1997年に3Aで1勝3敗15セーブ、防御率4.54を残し、大リーグでも12試合を投げた。だが、その後も、なかなか出場機会に恵まれず、2004年もロッキーズで6試合投げたのみに終わる。
 それでも、2004年に3Aで2勝3敗20セーブ、防御率2.72を残したことが注目され、横浜と契約して来日する。


 A大魔神佐々木の後継者

 横浜に入団当初は、抑えの佐々木主浩につなぐ中継ぎとして活躍していたが、佐々木が不調により離脱したため、抑えを任されることになる。
 クルーンは、佐々木が調子を取り戻すまでの代役の抑えと考えていたが、佐々木は、そのまま引退を決断したため、クルーンが抑えに定着することになる。
 クルーンは、四球が多く、時折不安定な投球を見せながらも、55試合に登板し、3勝2敗26セーブ、6ホールド、防御率2.70というまずまずの成績を記録して佐々木の後継者となっていく。


 B日本プロ野球史上最速を更新

 クルーンは、剛速球を武器に2005年5月11日の楽天戦で高須洋介に対してプロ野球最速記録更新となる159キロを記録する。それまでの記録は、1993年に伊良部秀輝が更新した158キロであり、その後、山口和男や五十嵐亮太がタイ記録を作ったものの、10年以上にわたって破られていなかった。

 そして、クルーンは、7月19日の阪神戦で12回裏、赤星憲広に対して、自らの記録を2キロ更新する161キロを投げる。これは、長い日本プロ野球史の中で、史上初めて160キロ以上を計測した瞬間だった。
 この剛速球に赤星は、何とかバットに当てるのが精いっぱいで1塁側スタンドへのファールになっている。


 C最速162キロ

 2008年6月1日、クルーンは、ソフトバンク戦で抑えのマウンドに上がり、10回裏に松田宣浩相手に投げた3球目の直球が162キロを記録する。
 カウントは、2ストライク0ボールからの3球目で、外角低めに外れていく剛速球だったが、松田は、あまりの速さにバットを振り、空振り三振を喫した。
 この球速162キロは、クルーン自身の最速161キロを塗り替えるプロ野球史上最速記録となった。


 D巨人で最多セーブのタイトル

 2008年、個人は、クルーンが加入したことにより、抑えだった上原浩治が先発に回り、クルーンが抑えを任されることになる。
 クルーンは、優勝争いの緊張感の中、9月13日のヤクルト戦で巨人の球団最多記録を更新する33セーブを挙げると、その後もセーブを積み重ね、最終的には61試合に登板し、1勝4敗41セーブを挙げる。
 この記録は、藤川球児と永川勝浩の38セーブをしのいで、リーグ最多セーブだった。


 E巨人の三連覇に貢献

 2008年に巨人に入団したクルーンは、抑えとしてセットアッパー豊田清、山口鉄也からバトンを受けて9回を抑える勝利の方程式の一角を担う。そして、8月28日には史上9人目の2年連続30セーブを達成すると、41セーブを挙げてセーブ王を獲得する活躍で巨人のセリーグ二連覇に貢献する。
 さらに、2009年には27セーブだったものの、防御率は1.27という安定した成績を挙げる。9月23日の中日戦では9回表を無失点に抑えて胴上げ投手となり、巨人をリーグ三連覇に大きく貢献した。


 F7年ぶり日本一の胴上げ投手

 2009年にセリーグ三連覇を果たした巨人は、日本シリーズで日本ハムと対戦する。第1戦は4−2とリードした9回裏にクルーンが登板し、1点を失ったものの4−3で逃げ切ってセーブを記録する。
 第3戦でもクルーンは、7−4とリードした9回表に登板して1回を無失点に抑えて2セーブ目を記録する。
 そして、3勝2敗で迎えた第6戦では、8回裏2死から登板し、1回1/3を無失点に抑えて胴上げ投手となり、巨人の7年ぶりの日本一に貢献した。




(2014年9月作成)

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