小林 雅英
 1974年5月、山梨県生まれ。投手。右投右打。背番号30(ロッテ・インディアンス・巨人)→34(オリックス)。都留高校から日体大へ進み、最優秀投手を獲得する活躍を見せる。卒業後は、社会人野球の東京ガスに進み、1999年、ドラフト1位でロッテに入団する。
 プロ1年目から先発として5勝5敗、防御率2.68の成績を挙げる。2年目の2000年にはシーズン途中にリリーフに転向し、11勝6敗14セーブ、防御率2.13の好成績を残す。
 2001年には抑えとして0勝4敗33セーブ、防御率4.33の成績を残す。
 2002年には2勝1敗37セーブ、防御率0.83という驚異的な成績を残して日本を代表する守護神となる。
 2003年にも33セーブ、2004年にも8勝5敗20セーブの成績を残すと、2005年には2勝2敗29セーブ、防御率2.58の成績で最多セーブのタイトルを獲得するとともに、ロッテのリーグ優勝に大きく貢献した。日本シリーズ、アジアシリーズでも活躍してチームを日本一・アジア一に導いている。
 2006年には交流戦を3勝0敗13セーブの成績で交流戦MVPに輝き、シーズンでも6勝2敗34セーブ、防御率2.68の成績を残す。
 2007年に27セーブを挙げると、その年のオフに大リーグ挑戦を表明し、インディアンスに入団する。
 インディアンスでは1年目から57試合に登板し4勝5敗6セーブ、防御率4.53の成績を残す。
 2009年は10試合の登板に終わり、帰国して巨人と契約する。巨人では2010年に1セーブに終わると、オリックスに移籍し、2011年限りで現役を引退した。

 力強く上から投げ下ろす150キロを超える直球と、それと同等の球速が出る高速シュート、さらに切れ味鋭いスライダーを武器にロッテの守護神として活躍し、幕張の防波堤の異名をとった。

通算成績(日本11年):36勝34敗228セーブ4ホールド、防御率2.93 最多セーブ1回(2005)交流戦MVP1回(2006)
(大リーグ2年):4勝5敗6セーブ2ホールド、防御率5.10
(日米通算13年)40勝39敗234セーブ6ホールド、防御率3.14

数々の伝説


 @先発からリリーフへ

 小林は、入団1年目から1軍で先発の登板機会を与えられ、5勝5敗というまずまずの成績を残す。
 入団2年目の2000年には先発ローテーション投手としての活躍を期待されていたが、3試合に先発してすべてKOという結果だったため、リリーフに回った。すると、小林は、リリーフで目覚ましい活躍をし始め、不調だった守護神ウォーレンに変わって抑えの座に就いて、この年、11勝6敗14セーブという好成績を残す。
 2002年からは抑えに定着し、7年連続20セーブ以上という成績を残すことになる。


 A打者0人で勝利投手

 2000年7月2日、オリックス戦で3−4とリードを許した8回裏2死1塁で登板した小林は、2球目を暴投してしまい、1塁走者のイチローは、2塁を回って一気に3塁を陥れようとする。しかし、イチローは、3塁でアウトになり、小林は、打者を1人も打ち取ることなく、登板を終えた。
 ロッテは、9回表に5−4と逆転し、小林も交代したため、小林は、プロ野球史上初の打者0人で勝利投手という快挙を達成することになった。


 B幕張の防波堤

 小林がロッテの在籍時に本拠地としていた千葉マリンスタジアムは、名前の通り波が打ち寄せる海岸沿いに球場があり、海側から球場のある幕張地域に向けて吹く強い潮風が名物だった。
 そんな球場で守護神としてマウンドに上がっては、相手打線を抑え続ける小林にファンは「幕張の防波堤」という異名を与えた。
 小林は、ピンチを迎えても粘り強く投げて抑える投球を持ち味にしており、ぎりぎりのところで抑える姿は、防波堤の異名にふさわしかった。


 C33試合連続セーブポイント

 2002年、この年も抑えとしてスタートした小林は、5月21日の日本ハム戦の9回に登板して無失点でセーブを記録すると、8月5日には17試合連続セーブというパリーグ新記録を樹立。8月9日には2回1失点でセーブは記録できなかったものの、勝ち投手となってセーブポイントを記録する。
 9月3日の近鉄戦でも1回無失点に抑え日本新記録となる23試合連続セーブポイントを達成する。
 その勢いはとどまることを知らず、10月17日の近鉄戦でも無失点に抑えてセーブを記録した小林は、33試合連続セーブポイントという圧倒的な日本新記録を樹立する。
 しかし、その翌日のシーズン最終戦で8−3の場面で小林が登板して、無失点に抑えながら連続セーブポイントは止まった。
 とはいえ、小林は、実に5か月間にわたってセーブポイントを積み重ね続け、その間、失点はわずか1という驚異的な記録だった。


 D6日間連続セーブ

 小林は、2001年5月25日の日本ハム戦で4−2の9回裏に登板して無失点でセーブを挙げる。そして、小林は、翌26日にも5−2の9回裏に登板して無失点に抑えてセーブ、27日にも5−2の9回裏に登板して無失点に抑えてセーブを挙げる。
 さらに28日のダイエー戦でも4−3の9回表に登板しえ無失点に抑えてセーブ、29日も2−1の9回表を抑えてセーブを挙げる。5月30日のダイエー戦でも4−3の9回表1死から登板して無失点に抑えた小林は、プロ野球新記録となる6日間連続セーブを達成した。この6日間、小林が喫した失点はゼロである。


 E日本一・アジア一に貢献

 2005年、小林は、バレンタイン監督の下、シーズンを通して抑えとして活躍し、2勝2敗29セーブ、防御率2.58の成績を残して自身初の最多セーブのタイトルを獲得する。
 ロッテは、パリーグ2位の成績だったものの、この年始まったプレーオフによってソフトバンクを破り、リーグ優勝を果たす。2勝2敗で迎えた最終戦では3−2の9回にマウンドに上がり、無失点に抑えて胴上げ投手になっている。
 さらに阪神との日本シリーズでも、第4戦に3−2の9回に登板して無失点に抑えて胴上げ投手になり、アジアシリーズでも5−1の9回に登板して2点を失いながらも胴上げ投手となった。もちろんシーズン3度の胴上げ投手となるのは、史上初の快挙である。


 F交流戦MVP

 2006年、この年も序盤から好調を維持していた小林は、交流戦でも大活躍を見せて19試合に登板して3勝0敗13セーブ、防御率0.47というほぼ完ぺきな成績を残す。
 ロッテも、23勝13敗の成績を残して交流戦優勝を決めており、23勝中16勝に大きく貢献した小林は、交流戦MVPに選出された。


 G大リーグ挑戦

 2007年オフ、7年連続20セーブ以上という成績をひっさげてFA宣言を行い、大リーグのインディアンスと2年契約を結んで海を渡る。
 大リーグ1年目の2008年は、主に中継ぎ、ときに抑えとして計57試合に登板し、4勝5敗6セーブ、防御率4.53の成績を残す。
 しかし、2009年はシーズン序盤から不振に陥り、10試合の登板のみに終わって、7月に契約を解除された。
 小林は、アメリカには留まらず、その年のオフ、日本の巨人と契約を結んで日本球界に復帰する。


 H日米通算234セーブ

 小林は、ロッテで守護神として227セーブを挙げたのを始め、大リーグで6セーブ、巨人でも1セーブを挙げて、通算234セーブを挙げている。
 ロッテでもう1年守護神を続けていれば、名球会入りの条件である250セーブに到達していたはずなのだが、大リーグに挑戦したため、250セーブには16セーブ届かないところで現役を終えることになった。
 現役を終えた時点で、228セーブは、プロ野球歴代4位の記録だった。





(2014年5月作成)

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