衣笠 祥雄
 1947(昭和22)年、京都府生まれ。右投右打。三塁手・一塁手・捕手。背番号28→3。平安高校で2度甲子園に出場した後、1965年、広島カープに入団。
 ずっと捕手だったが、2年目に一塁手に転向、10年目にルーツ監督の勧めで三塁手に転向した。
 4年目の1968年に21本塁打して打撃を開眼。1976年に31盗塁で盗塁王を獲得。この年の7月7日の巨人戦ではサイクルヒットを記録している。
 1984年には打率.329、31本塁打、102打点の好成績でチームのリーグ優勝に貢献し、打点王を獲得するとともにシーズンMVPを獲得している。
 1987年、最終戦で2215連続出場を達成し、引退。
 山本浩二とともに赤ヘル打線の強力な二枚看板として5度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献し、広島の黄金時代を築き上げた。
 タイトルこそ、同年代の王や山本浩二に奪われることが多かったが、不屈の闘志で怪我をしても連続出場を続けた。
 1971年から始まった連続出場の記録は、引退する1987年の最終戦まで続け、ルーゲーリックの持つ2130試合連続出場を塗り替え、2215試合連続出場という世界記録を樹立した。
 怪我をしていても、どんなに不調でも、常にフルスイングすることで有名だった。そのため、「鉄人」との異名を持ち、1987年には王に続いてプロ野球2人目の国民栄誉賞を受賞している。
 連続出場の記録もさることながら、ほぼ毎年コンスタントに20本塁打以上を打ち続け、歴代6位となる通算504本塁打を放ったアーチストでもあった。

通算成績:打率.270、504本塁打(歴代6位)、1448打点(歴代9位)、2543安打(歴代5位)、2215連続試合出場(歴代1位)
 盗塁王1回(1976)、打点王1回(1984)、シーズンMVP1回(1984)、ベストナイン3回(1975・1980・1984)、ゴールデングラブ賞3回(1980・1984・1986)
数々の伝説

 @柔道部がなかったため仕方なく野球部

 衣笠は、小学校の頃、柔道をやっており、中学校でも柔道部に入りたかったという。しかし、中学校には柔道部がなく、仕方なくラグビー部の練習を見に行って、その脇でやっていた野球の美しい弾道に興味を覚えて野球部に入部。
 そのため、プロ野球にも興味がなく、入るつもりもなかったため、プロ野球中継はプロに入ってから初めて見たという。

 
 A契約金1000万円

 衣笠の契約金は、高卒ながら当時の広島としては破格の1000万円で入団。当時はまだ遊び放題だった衣笠は、伝説の名車フォードギャラクシーを買う費用に充て、チームに合流する頃にはすべて使い切っていたという。
 さらに、その車で事故を起こし、球団から免許を取り上げられたとの伝説も残っている。


 B最初のタイトルは盗塁王

 歴代6位の通算504本塁打という記録を残し、豪快なアーチストというイメージが強い衣笠だが、実は、通算266個もの盗塁を成功させている。
 しかも、1976年には31個の盗塁を成功させ、盗塁王に輝いている。
 逆に本塁打は、最高が1974年の32本であり、1度もタイトルを獲得していないのである。 


 C連続全イニング試合出場は不振で日本記録ならず

 連続試合出場は、圧倒的な歴代1位となっている衣笠だが、連続全イニング試合出場は、1974年から1979年までの678試合で、当時歴代2位の記録で止まった。既に阪神の三宅秀史が記録していた700試合(1957〜62)にわずか22試合及ばない記録だった。
 1979年に連続全イニング試合出場が止まってしまった理由は、この年の前半に衣笠は極度の不振に陥ったためである。あと22試合と分かっていながら、衣笠は、途中交代を余儀なくされた。悔いが残る記録の止まり方である。
 だが、その悔しさを糧にして衣笠は、前人未到の連続試合出場記録を達成することになる。
 

 D死球数歴代3位

 衣笠は、黄金時代を築いた赤ヘル打線の中核として常に投手に警戒される打者であり、ボールを怖がらずに踏み込んでフルスイングするため、死球を数多く受けることになった。
 衣笠の通算死球数は、実に161個。これは、清原和博、竹之内雅史に次いで歴代3位の記録である。


 E死球で骨折の翌日も出場

 1979年8月9日、広島×巨人戦で衣笠は、巨人のエース西本聖から死球を受けて左肩甲骨を亀裂骨折し、全治2週間の大怪我を負った。
 連続試合出場記録は、ここで途切れると衣笠も覚悟した。
 しかし、その夜、古葉監督からの電話により、翌日の試合に出場できることを約束される。
 そして、翌10日、大野豊の代打で登場した衣笠は、普段と変わらぬフルスイングで空振三振した。
 そのとき、球場のあちこちから拍手が沸き起こったと伝えられている。


 F世界記録2215試合連続出場を残して引退

 1987年6月13日、広島球場での広島×中日戦で衣笠は、2131試合連続出場を果たした。
 この記録は、世界記録となっていた大リーガー、ルー・ゲーリックが残した2130試合連続出場という記録を更新するものである。
 日本中が衣笠の大記録を褒め称え、王に次ぐプロ野球界2人目の国民栄誉賞が贈られることとなった。
 衣笠は、そのシーズン終了後、引退しているが、そのシーズン最後の試合まで連続試合出場を伸ばし続け、2215試合連続出場となった。
 



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