金本 知憲
 1968年4月、広島県生まれ。右投左打。外野手。背番号10(広島)→6(阪神)。広陵高校では通算20本塁打を放ち、1年の浪人生活を経て東北福祉大学へ進み、1年生からレギュラーで活躍する。4年生のとき、全日本大学野球選手権決勝で決勝打を放ち、優勝に大きく貢献する。
 1992年、ドラフト4位で広島に入団する。入団後2年間は、下積み生活だったが、3年目の1994年に17本塁打を放って頭角を現すと、1995年には24本塁打、1996年には打率.300を達成するなど年々、成績を伸ばす。
 1997年には打率.301、33本塁打、82打点の活躍でリーグを代表する打者となる。
 その後も、1999年には4月にサイクルヒットを達成してシーズン34本塁打、2000年には打率.315、30本塁打、30盗塁を残してトリプルスリーを達成するなど、安定した成績を残し続ける。
 2002年のオフにFA宣言をして阪神に移籍する。
 阪神移籍1年目の2003年は、打率.289、19本塁打ながら阪神のリーグ優勝に貢献する。
 2004年には打率.317、34本塁打、113打点で自身初の打点王を獲得する。
 2005年には打率.327、40本塁打、125打点と過去最高の成績を残して阪神をリーグ優勝に導き、シーズンMVPに選出される。
 2008年4月、通算2000本安打を達成する。
 1999年7月21日から続けている連続フルイニング出場は、2010年4月17日まで続き、1492試合の世界記録を樹立した。
 連続試合出場は、2011年4月14日まで続き、1766試合で日本歴代2位の記録を樹立した。
 2012年、6本塁打に終わり、現役を引退した。

 鍛え上げた鋼のような肉体と威圧感ある構えから崩れずに振り抜く打球は速く、本塁打も安打も量産できる打者である。長年にわたって1イニングも休まずに野球に取り組む姿勢は、多くの国民に支持され、「鉄人」「アニキ」といった愛称で呼ばれている。

通算成績(実働21年):打率.285、476本塁打、1521打点、2539安打、167盗塁。打点王(2004)シーズンMVP(2005)ベストナイン6回(1995、2000〜2001、2004〜2006)連続フルイニング出場1492試合(世界記録)

数々の伝説


 @全日本大学野球選手権決勝で骨折しながら決勝打

 高校卒業後、野球で有名大学に進学する希望が叶わず、1浪の末に一般受験で東北福祉大学に進んだ金本は、1年生から頭角を現し、レギュラーを獲得する。そして、2年生からはクリーンアップで活躍し、全日本大学野球選手権では3回も決勝まで進む黄金時代を築く。先輩には佐々木主浩、矢野輝弘、同級生には斎藤隆がいた。
 4年生のとき、第40回全日本大学野球選手権で決勝まで勝ち進んだ東北福祉大学は、関西大学と対戦することになった。
 試合は、2−2のまま延長戦に突入し、両チームともに得点を挙げられずに延長17回まで進む。延長17回の表、1死2、3塁というチャンスで打席に立ったのは、金本だった。
 金本は、センター前に2点タイムリー安打を放って勝ち越し、東北福祉大学は4−2で勝利して悲願の初優勝を遂げる。
 このとき、金本は、左手首を骨折していた。そのため、右手でしかバットは振れない状態だったが、見事にヒットを放ったのである。


 Aトリプルスリー達成

 プロ入団当時、金本は、俊足の外野手として評価を受けていたが、ホームランバッターになる期待はほとんどされておらず、細身であったため、誰もトリプル3を達成できると予想した者はなかった。
 しかし、トレーニングによる肉体改造で力をつけた金本は、入団6年目には33本塁打を放って30本の大台に乗せ、トリプルスリーを狙える選手となった。
 金本がトリプルスリーを達成したのは2000年で、プロ野球史上7人目の快挙となった。内訳は、打率.315、30本塁打、30盗塁であり、本塁打と盗塁はぎりぎりでの到達だった。この年は、それまで四番打者だった江藤智が巨人へ移籍したこともあって、例年以上の責任感をもってプレーした結果としてのトリプルスリーだった。
 金本は、打率3割以上、30本塁打以上なら常連だが、主力打者としての役割を優先するため、30盗塁以上は、この年のみである。
 

 B日本シリーズ本塁打タイ記録

 阪神に移籍した2003年は、シーズンこそ打率.289、19本塁打に終わったが、日本シリーズでは記録的な活躍を見せる。
 ダイエーとの対戦となった日本シリーズは、阪神が2連敗する苦しい展開となった。阪神は、第3戦も序盤にリードを許すが、4回裏に金本が同点本塁打を放つと、延長の末、2−1で勝って波に乗る。
 金本は、第4戦でも6回裏に本塁打を放つと、延長10回裏にはサヨナラ本塁打を放って6−5で2連勝し、2勝2敗のタイに持ち込む。
 そして、第5戦でも先制本塁打を放って3連勝に貢献した金本は、シリーズ4本塁打、及び3試合連続本塁打という2つの日本タイ記録を樹立したのである。
 結局、阪神は、第6戦から2連敗して日本一を逃したのもの、金本は、この日本シリーズの活躍によって、阪神ファンから絶大な支持を得ることになった。


 C骨折しながら片手で安打

 2004年7月29日、金本は、中日戦において左手首に死球を受ける。症状は重く、左手首軟骨剥離骨折だった。この故障により、金本は、バットを振る際、左手を使えないという状態に陥る。
 しかし、金本は、そのような状態ながらフルイニング出場を続け、その翌日の巨人戦では、右手1本でスイングしながら、2安打を放つ。その後も、故障前と同じように安打を放っていった。この年、金本は、1イニングも休まず、試合に出場しながら骨折を治療するという並の選手では真似できない過酷な闘いを続ける。
 そんなシーズンを過ごしながら、金本は、何と113打点を挙げる活躍で初の打点王を獲得するのである。


 DシーズンMVP

 2005年の金本は、タイトルこそ獲得できなかったものの、打率.327、40本塁打、125打点で主要3部門ともに自身過去最高の成績を残して、阪神のリーグ優勝の原動力となる。
 その功績が認められて、ベストナインとともに、セリーグのシーズンMVPに選出される。
 30代後半になっても成績で進化を続ける金本は、1日のオフさえないと言われる徹底した日々のトレーニングによって一向に衰えを見せない。

 1985年の日本一以降、低迷を続けていた阪神の意識改革を先頭に立って引っ張り、移籍した2003年から阪神を常勝軍団に変えた金本の功績は大きく、「阪神を変えた男」とさえ呼ばれるほどである。


 EFA移籍の数少ない成功例

 金本は、2002年のオフに悩んだ末に、FA宣言をする。
 広島は、FA選手との契約を認めない方針であるため、金本は、阪神の星野監督の誘いにより、阪神入団を決める。
 阪神移籍後、金本は、広島在籍時以上の活躍を見せる。1年目の2003年からリーグ優勝に貢献し、特に2005年には打率.327、40本塁打、125打点という好成績でリーグ優勝の原動力となり、シーズンMVPを獲得する。
 
 FA移籍は、移籍時の華やかさとは逆に、移籍後、前所属球団の成績を大きく下回る選手がほとんどの中で、金本は前所属球団の成績を超える。
 移籍前3年間の広島での成績は、打率.300、84本塁打、267打点だったのが、移籍後3年間の阪神での成績は、打率.311、93本塁打、315打点といずれの部門でも上回っている。30代半ばでのFA移籍でありながら、移籍後にこれだけの成績を残すという例はそれ以前にはなく、FA移籍の貴重な成功例である。


 F18打席足踏みの末、2000本安打達成

 2000本安打にあと13本で始まった2008年の金本は、開幕から順調に安打を重ねたものの、4月6日の巨人戦第1打席で安打を放ってから突如として安打を打てなくなった。本拠地甲子園での達成を逃し、4月12日の横浜スタジアムまで持ち越した。
 4月12日の試合では、横浜の先発寺原隼人から7回に直球をライト前にライナーで運ぶタイムリーヒットを放ち、19打席ぶりに響かせた快音が通算2000本安打達成となった。
 この18打席連続無安打の末の通算2000本安打達成は、1975年の江藤慎一、1980年の柴田勲の17打席連続無安打を抜いて、史上最長の足踏み記録を更新した。
 また、40歳0ヶ月での通算2000本安打達成は、落合博満、新井宏昌に次いで史上3番目の高齢での達成だった。


 Gフルイニング連続出場世界記録

 金本は、1999年7月21日の阪神戦から9年以上にわたって全試合のフルイニング出場を続けている。そのきっかけは、当時、達川光男監督と中日の星野仙一監督が「一番ありがたい選手は休まない選手」という話をしていたのを聞いたためだという。
 2006年4月9日の横浜戦では大リーグのカル・リプケンが作った903試合連続出場を抜いて、904試合連続フルイニング出場の世界記録を樹立する。
 2010年3月のオープン戦前練習で他の選手と激突し、肩を痛めた影響で4月17日までで連続試合出場は止まった。しかし、1492試合連続出場は、、今後もおそらく破られることがないであろう空前の世界記録である。

 手首を骨折して片手でしかバットが振れない状態であったり、膝を故障して走るのもしんどい状態であったりしても、1イニングたりとも休まず、出場し続ける姿は、まさにプロの鑑である。一生でたった1度しか球場に来られないファンにも、自らのプレーを存分に見せたいという強い想いから来るそのプロ意識は、多くのプロ野球ファンから支持を受けている。阪神では、阪神を常勝軍団に変えた男と称賛を受け、「アニキ」の愛称で生え抜き選手以上の人気を誇っている。


 H連続試合出場記録

 金本は、フルイニング連続出場記録を開始する1年前の1998年7月10日から連続試合出場を続けており、2005年8月11日には1000試合連続出場を達成し、2011年4月15日に止まるまで1766試合連続出場を達成した。
 これは、衣笠祥雄の2215試合と松井秀喜の日米通算1768試合(日本1250試合+米国518試合)に次ぐ歴代3位の記録であり、日本だけでの通算では歴代2位の記録である。
 しかも、金本のように、広島から阪神へと移籍をしながらここまで長期間にわたって連続試合出場を果たしている選手は過去に例がなく、まさに「鉄人」と呼ぶにふさわしい記録である。


 I強打者の証

 強打者と言えば、打率、本塁打、打点といった打撃に目が行きがちだが、打者がどれだけ投手や相手チームに恐れられているかを最も顕著に示すのが四球の数である。
 金本は、2001年10月11日のヤクルト戦で歴代2位となる1試合5四球を記録するなど、シーズン128四球でリーグ最多四球となった。この記録は、プロ野球歴代5位であり、トップ10で5位以外はすべて王貞治であることから、金本の卓越した強打者ぶりがうかがえる。
 金本は、既に1996年、2001年、2003〜2005年と5度もリーグ最多四球を記録している。通算四球数でも2008年末現在、1168で歴代8位であり、かなり上位まで数を伸ばすことはほぼ間違いない。





(2008年5月作成)

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