堀 幸一
 1969年4月、長崎県生まれ。右投右打。内野手。背番号45→5。長崎海星高校では3年時の1987年に春の甲子園に出場したが、初戦で敗退する。
 1988年、ドラフト3位でロッテに入団する。プロ1年目は、1軍出場がなかったものの、2年目の1989年には58試合に出場して打率.260を残す。
 1991年には背番号が45から5に変わり、二塁手のレギュラーを獲得して、打率.284、20本塁打を放つ活躍を見せる。
 1995年にはシーズンを通して活躍し、打率.309、11本塁打、67打点、16盗塁の好成績を残してロッテを2位に躍進させる。打率は、イチローに次いでリーグ2位だった。
 1996年にも2年連続3割となる打率.312、16本塁打、68打点を残し、リーグ3位の打率を残し、日本を代表する好打者となる。
 2003年には打率.298、22本塁打、78打点と、本塁打と打点で自己最高を記録する。
 そして、2005年にはリーグ8位の打率.305を残して、ロッテの2位躍進に大きく貢献する。さらにプレーオフ、日本シリーズでもいぶし銀の働きでチームを盛り立て、阪神を4連勝で倒しての日本一に貢献した。この年、初のベストナインにも選出されている。
 2006年以降は、出場機会を減らし、2010年には1軍出場0試合に終わり、その年限りで現役を引退した。

 コンパクトなスイングで確実に弾き返すバッティングに定評があり、特に流し打ちの技術は卓越していた。パンチ力もあったため、どんな打順もこなせた他、堅実な守備で内野もすべての守備位置をこなせる器用さを持ち、ロッテ一筋で現役を終えたミスターロッテである。
 
通算打率(プロ23年、実働21年)打率.269、183本塁打、810打点、1827安打、133盗塁。ベストナイン1回(2005)


数々の伝説


 @長崎海星高校で甲子園出場

 1987年、長崎海星高校は、堀を中心とした強力打線を武器に春の甲子園に出場する。しかし、初戦で京都西に自慢の打線が抑えられて3−5で敗れた。それでも、ロッテが堀の素質に注目し、堀は、ドラフト3位で入団することになる。
 堀は、プロ入りしたものの、練習でプロ選手との打球の差に自信をなくす。それでも、走塁や守備を中心に徹底的に練習して生き残る道を模索していくことになる。


 Aイチローに次ぐ打率2位

 プロ2年目から1軍に定着した堀は、1991年に20本塁打を放つなど、打撃でも大きな進化を見せる。
 そして、1995年、堀の活躍がチームを快進撃させることになる。この年の堀は、シーズンを通して順調に安打を積み重ね、打率.309の成績でリーグ2位の成績を残したのである。この年は、イチローが打率.342を残して首位打者となったため、タイトルは逃したものの、翌年にも打率.312を残してリーグ3位になるなど、イチローに次ぐアベレージヒッターに成長していった。


 Bロッテの2位躍進に貢献

 1995年、ロッテ監督に大リーグで監督を務めた経験を持つボビー・バレンタインが就任する。バレンタインは、大リーグ式の分業制を徹底し、投手や野手に無理をさせず、故障を避ける起用法で実力を存分に発揮させた。
 ロッテは、前年まで9年連続Bクラスという惨状だったが、この年は、バレンタインの指導によりチームが変わり、2位に躍進する。この年、堀は、守備の要となる遊撃手として走攻守にわたって活躍し、打率.309、11本塁打、16盗塁と期待に応えた。


 Cプロ18年目で初のベストナイン

 2005年、堀は、二塁手としてシーズンを通して活躍し、規定打席に達して打率.305、7本塁打の成績を残す。ロッテは、バレンタイン監督の下で快進撃を続け、2位の好成績でプレーオフ進出を果たす。
 そして、二塁手のベストナインに選ばれる。堀は、プロ18年目を迎えていたが、意外にもこれが初のベストナインで、現役を通じて唯一の受賞となった。
 堀は、遊撃手として3割以上を記録した1995年、1996年は、ベストナインを田中幸雄に奪われ、二塁手で打率.298、22本塁打を記録した2003年も井口資仁に奪われるなど、あと一歩のところで受賞できないことが多かった。


 Dロッテを31年ぶりの日本一に導く 

 バレンタインが再度監督として戻ってきたロッテは、就任2年目の2005年に、ついに頂点に登り詰める。
 シーズンこそ84勝を挙げながら2位に終わったものの、プレーオフでは西武を2戦連続で堀の犠牲フライが決勝点となって接戦を制すなど、粘り強い戦いでシーズン3位の西武とシーズン1位のソフトバンクを破って日本シリーズに駒を進める。
 日本シリーズでは、堀は、2試合出場に限られたものの、5打数2安打の成績を残し、ロッテも、阪神を一気に4連勝で破って31年ぶりの日本一に輝く。弱小チーム時代からチームを支えてきた堀の苦労が報われた瞬間だった。


 E流し打ちの達人

 堀の代名詞と言えば、「流し打ち」である。球を引き付けておいてコンパクトなスイングで右中間やライト線へ運ぶ技術は、突出しており、11度の100安打以上と3度の3割を達成している。
 その流し打ちの巧さにはバレンタイン監督も、一目おき、大リーグへ連れて帰りたい、という最大の賛辞を送っている。
 流し打ちの達人でありながら、真ん中や内角の甘いところへ入ると、引っ張ってレフトスタンドへ打ち込めるパンチ力もあったため、全盛期の堀は、投手にとって厄介な打者だった。


 Fトライアウトで有終の本塁打

 2010年、2軍では打率.333を残しながらも1軍出場0試合に終わった堀は、現役続行を目指してトライアウトに参加する。
 そのトライアウトの場で、堀は、代名詞とも言える痛烈な流し打ちで1塁線を破る安打を放つ。そして、その後、今度は、パンチ力を見せつけて、レフトスタンド中段への本塁打を放つ。
 しかし、どの球団からも声はかからず、堀は、余力を残しながら、通算2000本安打まであと173本の通算1827安打で現役を終えた。
 2011年4月30日にはロッテの試合後に盛大な引退セレモニーが行われ、多くのファンが23年間ロッテ一筋で活躍したミスターロッテの引退を惜しんだ。





(2011年8月作成)

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