初芝 清
 1967年2月、東京都生まれ。右投右打。内野手。背番号0→6。二松学舎大学付属高校ではエースだったが、甲子園出場はない。高校通算30本塁打の成績を残して社会人野球の東芝府中に入り、内野手として都市対抗野球で活躍。1989年、ドラフト4位でロッテに入団する。
 プロ1年目から70試合に出場し、7本塁打を放つ活躍を見せる。2年目の1990年には早くもレギュラーを獲得して打率.265、18本塁打、67打点の成績を残す。
 1994年に打率.290、17本塁打、75打点を残すと、1995年には打率.301、25本塁打、80打点の好成績で打点王とベストナインを獲得して、ロッテの2位躍進に大きく貢献する。
 1998年には打率.296、25本塁打、86打点の好成績を残し、9月には通算1000本安打を本塁打で達成している、
 1999年には22本塁打、85打点、2000年には23本塁打、73打点と安定した成績を残し、2002年には通算11度目のシーズン2桁本塁打を記録する。
 2003年には控えに回ることが多くなったものの、63試合出場で打率.312を残して存在感を示す。また、この年、日本タイ記録となる代打7打席連続安打を達成している。
 2005年、ロッテの日本一に貢献したものの、シーズン打率.220に終わり、現役を引退した。

 豪快なスイングで本塁打を放ってロッテ打線の主軸として活躍することもあれば、豪快なエラーやコミカルな動きでファンを魅了し、幕張のファンタジスタの異名をとった。

通算成績(実働17年)打率.265、232本塁打、879打点、1525安打。打点王1回(1995)ベストナイン1回(1995)

数々の伝説


 @イチローと並んで打点王

 1995年は、バレンタイン監督の下でロッテは、快進撃をリーグ優勝を争い、オリックスにリーグ優勝を許したものの、2位に躍進する。初芝も、四番打者フランコの後ろを打つ五番打者として活躍し、打率.301、25本塁打、80打点という自己最高の成績を残す。
 打点王と打率3割のかかった試合の最終打席では、プレッシャーをものともせず、本塁打を放ち、打点王と打率3割の両方を達成する。この年の打点王は、80打点と低かったこともあり、イチロー・田中幸雄とともに3人が並んで獲得することになった。


 A伝説の胴上げ阻止

 2000年10月5日、ダイエーは、リーグ優勝へのマジックを1として千葉マリンスタジアムに乗り込んできた。ロッテは、5日、6日の2連戦で連勝しなければ、目の前で胴上げをされる状況となった。
 5日の試合に先発出場した初芝は、優勝を決めようと勢いづくダイエーに対し、5回裏に渡辺秀一から19号2ラン本塁打を放つと、8回裏には篠原貴行から2打席連続本塁打となる20号ソロを放ち、8−5でダイエーの胴上げを阻止する。
 さらに、翌6日の試合でも4−4の同点で迎えた6回裏に星野順治から決勝ソロ本塁打を放った初芝は、5−4での勝利に貢献し、2日連続の大活躍によってロッテ本拠地での胴上げを見事に阻止した。


 B20世紀最後の公式戦本塁打を放つ

 2000年10月16日、千葉マリンスタジアムで行われたオリックス戦は、20世紀最後の公式戦となった。
 この試合に四番打者として出場した初芝は、2回裏の打席で嘉勢敏弘投手から23号ソロ本塁打を放って試合の流れを引き寄せ、7−1での勝利に貢献する。
 この試合では、初芝以外に本塁打を放った打者はおらず、初芝の本塁打が20世紀最後の公式戦本塁打となった。


 C代打7打席連続安打で日本記録達成

 初芝は、2003年9月13日の近鉄戦で代打で登場して二塁打を放つと、15日の日本ハム戦でも代打で二塁打、翌16日の日本ハム戦でも代打で二塁打を放つ。そして、19日のオリックス戦でも代打で安打を放つと、24日の西武戦でも代打で二塁打、28日のオリックス戦でも代打で安打を放つ。さらに、10月4日の西武戦では5−6の6回裏に代打で逆転2ラン本塁打を放ち、何と代打で7打席連続安打を達成する。
 代打での7打数連続安打は、日本タイ記録であり、1980年の松原誠が6打席連続のあと1四球を挟んで7打数連続だったのに対し、初芝は、四死球を挟まない7打席連続であり、日本新記録だった。


 D幕張のファンタジスタ

 ロッテの本拠地である千葉マリンスタジアムは、海から吹き寄せる強い浜風に飛球が大きく流されることで有名である。
 主に三塁を守っていた初芝は、そんな球場のファールフライを苦手としていた。フライが上がると、とんでもない方向に全力で追いかけていき、結局、追いつけずに落球という場面を何度も作りだした。
 さらに、全力でファールフライを追うため、走ったまま三塁ベンチへ飛び込んでしまうことも多く、ベンチ転落数日本記録保持者とも言われていた。
 そのため、味方投手陣にとってはファールフライが飛ぶとたまったものではなかったが、ファンは、そんな初芝のプレーを楽しみにしており、いつしか「幕張のファンタジスタ」と呼ばれるようになった。


 E引退直前に日本シリーズ進出に貢献

 2005年のロッテは、シーズン成績2位に終わったものの、ソフトバンクとのプレーオフ第2ステージで奮起し、2勝2敗のタイで最終第5戦を迎えた。
 勝てば日本シリーズ進出が決まる第5戦は、緊迫した展開となり、7回を終わってスコアは1−2。ロッテには旗色の悪い流れの中、8回表に先頭打者の代打として登場したのが初芝だった。
 その年限りで引退を決めていた初芝は、ソフトバンクの抑えの三瀬幸司から三塁へボテボテのゴロを放ったが、必死に全力疾走し、焦った三塁手と遊撃手が交錯したこともあって、内野安打をもぎとった。
 ロッテは、それをきっかけに里崎の逆転タイムリー二塁打で逆転に成功し、3−2で勝って日本シリーズ進出を決めた。





(2014年11月作成)

Copyright (C) 2001- Yamainu Net 》 伝説のプレーヤー All Rights Reserved.

inserted by FC2 system