1955年4月、福島県生まれ。投手。右投右打。背番号24。学法石川高校から東海大に進み、1978年にドラフト3位で大洋に入団。
1年目に2軍で好投を続け、1軍に上がるが、別当薫監督の方針により2年目の新人王を狙うため、登板を制限して1勝で終える。
2年目には先発・抑えにフル回転し、12勝12敗8セーブ、防御率3.81を残すが、惜しくも新人王は逃した。
3年目の1980年も主にリリーフで5勝5敗16セーブを残したが、4年目からは再び先発の機会が増える。
そして、1983年、終盤に12連勝し、18勝9敗3セーブ、防御率2.87、186奪三振で最多勝と最多奪三振に輝き、沢村賞にも選出された。さらに翌年も17勝17敗、防御率3.68、208奪三振で2年連続の最多勝・最多奪三振を記録。
1986年にも185奪三振で3度目の最多奪三振のタイトルを獲得した。
1987年には14勝7敗で6年連続2桁勝利を達成したが、その年の10月に巨人戦で走塁中に右アキレス腱を断裂し、リハビリ生活に入る。
翌年に復帰するものの5勝に終わり、その後も低迷する。
しかし、1990年に守護神に抜擢されると、6勝6敗21セーブ、防御率2.17という成績で復活し、カムバック賞を受けた。
1991年は当初守護神だったが、不調と故障から守護神の座を佐々木主浩に譲った。
1992年、3勝に終わり、現役を引退。
長身からノーワインドアップのしなやかなフォームで繰り出す切れのいい直球と高速フォークで多くの三振を奪い、弱小チーム大洋の大エース、守護神として君臨した。
通算成績(15年):134勝128敗、58セーブ、80SP、防御率3.49。1654奪三振。最多勝2回(1983・1984)最多奪三振3回(1983・1984・1986)沢村賞1回(1983)カムバック賞1回(1990)ベストナイン1回(1983) |