アレックス・カブレラ
 1971年12月、ベネズエラ生まれ。右投右打。一塁手。背番号42(西武・オリックス・ソフトバンク)。1991年、シカゴ・カブスとマイナー契約を結び、マイナーリーグに1996年まで所属する。 1997年にメキシカンリーグに移り、1999年には台湾へ移る。
 2000年にはダイヤモンドバックスとのマイナー契約ながら、大リーグに昇格。31試合出場ながら5本塁打を放つ。その年のオフに日本の西武ライオンズと契約。
 西武では来日1年目の2001年にはいきなり49本塁打、124打点の活躍で本塁打リーグ2位、打点リーグ3位となる。
 2002年には、打率.336、55本塁打、115打点という驚異的な成績を残し、西武をリーグ優勝に導く。55本塁打は、シーズン本塁打日本タイ記録だった。本塁打王に加えて、最高出塁率、ベストナインにも輝き、シーズンMVPも獲得する。
 2003年にも、打率.324、50本塁打、112打点で2年連続50本塁打を達成する。
 2004年には、オープン戦の死球で右腕を骨折する故障のせいで、後半64試合の出場に終わるが、それでも25本塁打を放つ怪物ぶりで、西武のリーグ優勝に貢献する。中日との日本シリーズでも満塁本塁打を含む3本塁打を放って、4勝3敗での日本一に導いた。
 2005年には、打率.300、36本塁打、2006年には打率.315、31本塁打、100打点の成績で打点王に輝く。
 2008年にオリックスに移籍し、打率.315、36本塁打、104打点の好成績を残す。さらに、2010年にも打率.331を残す活躍を見せ、出塁率.428で最高出塁率のタイトルも獲得する。
 2011年には、ソフトバンクに移籍したが、打率.225、10本塁打に終わる。2012年は、8試合の出場にとどまり、7月に退団。その年のウインターリーグにて現役引退を表明した。

通算成績(日本12年):打率.303、357本塁打、949打点、1368安打。本塁打王1回(2002)、打点王1回(2006)、最高出塁率2回(2002年、2010年)シーズンMVP1回(2002)、ベストナイン5回(2002〜2003・2007〜2008・2010)ゴールデングラブ賞1回(2008)
(大リーグ1年):打率.263、5本塁打、14打点、21安打。
(日米通算13年):打率.303、362本塁打、963打点、1389安打。

数々の伝説


 @来日1年目で49本塁打

 カブレラは、アメリカのマイナーリーグ、メキシカンリーグ、台湾プロ野球、大リーグと渡り歩いてきたものの、ひときわ目立つ成績を上げてきたわけではなかった。しかし、来日したカブレラは、日本のプロ野球で才能が一気に開花する。
 2001年のカブレラは、4月に15本塁打を放って月間MVPを獲得すると、5月以降も、その打棒に陰りは見えず、64試合目で30本塁打を達成するという日本タイ記録のスピードで本塁打を量産する。
 シーズン終盤に少しペースが落ちて49本塁打に終わったものの、これは、日本のプロ野球1年目の選手として史上最高の本塁打数である。しかし、この年は、タフィ・ローズがシーズン日本タイ記録の55本塁打を放ったため、カブレラは、リーグ2位に終わっている。


 A来日2年目で55本塁打

 2002年のカブレラは、6月までは前年に比べてスローペースだったものの、7月以降に調子を上げる。8月には15本塁打を放って月間MVPを獲得する活躍を見せ、その勢いを保ったまま131試合目となる9月27日のダイエー戦で54号本塁打を放つ。
 そして、135試合目となる10月2日の近鉄戦では、8回裏に岡本晃投手からレフトスタンドへシーズン55号本塁打を放つ。これは、王貞治、タフィ・ローズに並ぶシーズン本塁打日本タイ記録だった。

 この時点で西武は、残り5試合を残しており、新記録達成が確実視されたものの、136試合目のダイエー戦では5打席中2四球、1死球だった。その後の4試合は、2四球の打席以外は勝負をしてもらえたが、結局、56号本塁打は出なかった。
 このシーズンは、最後まで三冠王を狙える成績だったが、打率.336で小笠原の.340に次ぐリーグ2位、115打点でタフィ・ローズに次ぐリーグ2位に終わって三冠王を逃している。


 B東京ドーム天井に当たった幻の本塁打

 2002年5月6日、東京ドームで行われた日本ハム戦で9回、カブレラは、先頭打者としてレフトへ大飛球を放つ。誰もが特大本塁打と認めざるを得ない打球だったが、勢いを失わないまま、レフトの天井に当たり、フェンス際に落ちてきた。
 東京ドームの特別ルールにより、フェアゾーンに落ちた打球は、そのままプレー続行となるため、カブレラは、1塁にまでしか到達できず、シングルヒットとなった。
 天井に当たっていなければ、スタンドをはるかに超えていく打球であったことに疑いはなく、推定飛距離は、測定不能ではあるが、確実に150メートル以上は飛んでいた打球だった。
 この打球が本塁打となっていれば、カブレラは、シーズン56号本塁打を放っていたことになり、単独で日本記録を樹立していたはずだった。


 Cランナーなしで2打席連続敬遠

 2003年6月24日、西武×ロッテ戦で、カブレラは、2回にライトへソロ本塁打、3回にもライトへソロ本塁打を放つ。
 そして、西武が4−3でリードして迎えた5回裏、カブレラは、2死ランナーなしで打席に入るが、ロッテの戸部投手に敬遠で歩かされる。そして、5−5の同点で迎えた7回裏、カブレラは、2死ランナーなしで打席に入ると、小林宏投手にストレートの四球で歩かされる。キャッチャーは、座っていたものの、外角のボールを最初から要求し、事実上の敬遠だった。カブレラは、憮然とした表情で1塁へ歩く。
 ロッテとしては本塁打を避けるために最善の作戦をとったつもりであったが、タイトル争い終盤でもないのにランナーなしの状況で敬遠するのは極めて異例である。カブレラも、ランナーなしから2打席連続で勝負を避けられたのは、生涯初だったという。


 D左打席に立ったのに敬遠

 2003年9月20日、西武×近鉄戦の9回裏、カブレラは、スコア0−1の1死1、3塁で打席に立ち、高村投手から敬遠の四球で歩かされる。
 そして、スコア2−3で迎えた延長11回裏、1死2塁の場面で打席が回ってきたカブレラは、本来の右打席ではなく、それまで一度も入ったことのない左打席に立つ。これは、勝負してくれない近鉄に対する無言の抗議だった。
 しかし、愛敬投手は、左打席で構えるカブレラを敬遠する。この試合は、結局後続の2人が凡退して近鉄が勝利し、カブレラ敬遠が功を奏した結果となった。


 E2年連続50本塁打以上

 2003年、カブレラは、開幕から右肩痛によって13試合欠場したものの、復帰後はハイペースで本塁打を量産し、8月に本塁打トップに躍り出ると、8月27日には3年連続40本塁打を達成する。
 さらに、9月9日から9月15日までパリーグタイ記録となる6試合連続本塁打を達成する。9月30日には、オリックス戦でマック鈴木投手からシーズン50号本塁打を放ち、2年連続50本塁打以上を記録する。
 2年連続50本塁打以上放ったのは、落合博満に次いで史上2人目の快挙である。また、50本塁打放ちながらも、タフィ・ローズが51本塁打を放ったため、本塁打王を獲得できなかった。50本塁打以上を放ちながら本塁打王を逃したのは、史上初である。


 F本塁打最速記録

 29歳で来日したカブレラは、1年目から49本塁打、2年目に55本塁打、3年目に50本塁打を記録したことで、数々の最速記録を打ち立てていく。
 カブレラは、通算100号こそ247試合目で246試合目のブライアントに次ぐ史上2位の記録だったものの、通算150号本塁打(380試合目)、200号本塁打(538試合目)、250号本塁打(733試合目)、300号本塁打(934試合目)、350号本塁打(1169試合目)といずれも試合数で史上最速記録を樹立している。


 G抜群の飛距離

 カブレラのパワーのすさまじさは、2003年5月28日の日本ハム戦で放った満塁本塁打が語り草になっている。この試合は、スコア1−1で8回裏に進み、1死満塁の場面でカブレラに打席が回ってくる。1点とれば勝ち越せるだけに、カブレラは、外角低めの変化球に逆らわずに右打ちをした。打った瞬間は、ライト前ヒットに見えた低い弾道の打球は、驚くほどの速さでそのまま伸びて外野フェンスを越え、ライトスタンド上段に突き刺さったのである。

 また、2005年6月3日に西武ドームで行われた横浜戦で、2回裏にカブレラが三浦大輔投手の直球を叩いたレフトへの大飛球は、全く勢いを失わずに左中間の天井にある鉄骨を直撃し、認定本塁打となった。この本塁打は、推定飛距離180メートルと言われ、日本最長飛距離本塁打の呼び声が高く、現在でも打球が当たった天井には記念プレートが設置してある。

 また、札幌ドームの天井に最初に打球を当てたのもカブレラで、その後もカブレラは5回、札幌ドームの天井に打球を当てていて、これも史上最多記録である。カブレラは、他にも大阪ドームや東京ドームでも天井に打球を当てており、全盛期は「カブレラの敵はドームの天井」とまで言われたほどである。


 H日本シリーズで満塁本塁打

 2004年10月19日、中日との日本シリーズ第3戦は、西武がカブレラの2ラン本塁打などで5回まで4−0とリードするものの、西武先発の帆足も6回に崩れて逆転を許し、7回裏にカブレラの打席が回ってきたのは、スコアが6−6で2死満塁という絶好機だった。
 マウンド上には、中日のセットアッパー岡本真也が立ち、カブレラは、岡本からレフトスタンドへ満塁本塁打を放つ。
 カブレラは、第7戦でも、3回に試合を決める2ラン本塁打を放って西武を日本一に導いた。カブレラは、このシリーズで打率.296、3本塁打、9打点を記録して優秀選手賞に輝いている。





(2012年12月作成)

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