荒木 雅博
 1977年9月、熊本県生まれ。右投右打。内野手。背番号2。熊本工業高校で2年春に甲子園に出場し、初戦敗退。3年春にも甲子園に出場し、2回戦敗退。
 1996年に外れの外れのドラフト1位で中日に入団する。
 プロ2年目の1997年に、代走や守備固めとして63試合に出場し、12盗塁を記録する。
 2001年8月からようやく二塁手のレギュラーに定着し、1番打者として頭角を現し、規定打席未満ながら打率.338、13盗塁を記録する。
 2002年にはレギュラーとして打率.259、16盗塁、25犠打を記録する。
 2004年には落合監督の下、大きく成績を伸ばし、打率.292、176安打、39盗塁の好成績を残してリーグ優勝に大きく貢献する。また、二塁手としてベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得する。1シーズンに1試合4安打9回というプロ野球記録も樹立する。
 2005年にも打率.291、181安打、42盗塁を記録してベストナイン、ゴールデングラブ賞に輝く。
 2006年には打率.300、30盗塁で、初の3割を記録し、リーグ優勝に大きく貢献する。3年連続でベストナイン、ゴールデングラブ賞に輝いている。
 2007年には打率.263ながら31盗塁で初の盗塁王を獲得する。チームは、シーズン2位であったが、日本シリーズに進出し、日本一に貢献してシリーズ優秀選手賞を獲得する。
 2008年、北京五輪に出場して本塁打を放つ活躍を見せる。
 2009年には6年連続ゴールデングラブ賞に輝くとともに、37盗塁で6年連続30盗塁以上を記録。
 2010年は、打率.294、170安打、20盗塁を記録してリーグ優勝に貢献する。
 2011年は、飛ばないボールながら打率.263を記録してリーグ2連覇に貢献する。
 2016年、13盗塁ながら盗塁成功率10割を記録。
 2017年6月、通算2000本安打を達成した。

 抜群の身体能力で広い守備範囲と迅速な送球を誇り、数多くのアウトを積み重ねる。また、盗塁技術や本塁生還技術にも定評があり、犠打も巧い。打撃でも内野手の頭上をライナーで超える右打ち技術によって安打を量産し、中日の黄金時代を築いた。

通算成績(実働20年、2016年末現在):打率.268、33本塁打、457打点、1961安打、373盗塁、278犠打。盗塁王1回(2007)ゴールデングラブ賞6回(2004〜2009)ベストナイン3回(2004〜2006)オールスターMVP(2008)

数々の伝説


 @広い守備範囲

 荒木の守備がいかに優れているかは、多種多様な側面から証明できる。奪うアウト数の多さ、研究を重ねた守備位置、打球に追いつくスピード、華麗なダイビング、捕ってから投げるまでの速さなどである。
 横っ飛びや垂直飛びで体全体を伸ばして捕球する姿は、芸術的な美しさがある。
 中日の黄金時代は、一塁手にタイロン・ウッズ、トニ・ブランコという守備範囲の狭い選手がいた。そのため、荒木は、俊足を飛ばして一塁手の後方でゴロを処理して、ほぼライト線のあたりから一塁に送球してアウトにするという超人的な守備をしていた。


 Aアライバ

 アライバと言えば、二塁手の荒木が二遊間のゴロをぎりぎりのところでバックハンドで捕った後、すぐに遊撃手井端にバックトスして、井端が一塁へ送球して打者をアウトにする連係プレーである。
 これは、併殺を取るプレーの応用で思いついたプレーとのことで、その鮮やかさは、高校球児をはじめとする数多くのプロ野球ファンに真似されるほどになった。

 アライバの連係プレーの巧さは、見た目だけではなく、データにも表れている。2005年には、アライバは、二遊間として歴代1位の1590ものアウトを稼いでいる。内訳は、刺殺614、補殺976。
 ちなみに歴代2位も2009年のアライバの1503である。
 さらに、二遊間の守備率も優れており、2004年の守備率.9929は歴代3位の好成績である。2017年現在、歴代5位、6位もアライバである。

 アライバは、長年に渡り、安定して守備範囲が広く、獲得したアウトが多く、守備率も高いという、すべてを兼ね備えた史上最高の二遊間であった。


 B盗塁王

 荒木は、主に1番を打つことが多く、出塁すると積極的に盗塁を仕掛け、数多く成功させた。
 荒木は、名実ともに日本を代表する選手となった2004年に39盗塁を決める。2005年には42盗塁を決めるが、いずれも上に赤星憲広がいたため、2位に終わっている。
 荒木が盗塁王に輝いたのは2007年で、31盗塁を決めて初のタイトルを獲得する。この年の荒木は、失敗が6回で、成功率は、.838を記録している。
 荒木は、翌2008年に32盗塁を決めたものの3位、2009年には37盗塁を決めたものの2位に終わり、盗塁王獲得は1回である。


 CオールスターMVP

 2008年8月1日、オールスターゲーム第2戦に荒木は、9番打者として先発出場する。
 荒木は、4回に成瀬善久投手からレフト前に2点タイムリー安打を放つと、5回にも成瀬からレフトオーバーのタイムリー2塁打を放つ。
 さらに、7回には田中将大投手からライト前安打を放つなど、4打数3安打3打点の活躍を見せた。
 試合は、セリーグが11−6で勝利し、大きく貢献した荒木は、オールスターMVPに選出された。


 D北京五輪で本塁打

 2008年、荒木は、北京五輪の野球日本代表として出場する。
 予選リーグのオランダ戦では1打数1安打1盗塁、カナダ戦では3打数2安打、中国戦では3打数1安打1盗塁と活躍を見せる。
 準決勝の韓国戦では無安打で2犠打に終わったものの、3位決定戦のアメリカ戦では、初回に先制のソロ本塁打を放つ。
 その後、打ち合いになって4−8で試合には敗れたものの、走好守に渡る荒木の活躍は世界に知れ渡った。荒木の北京五輪通算成績は、8試合に出場して19打数5安打1本塁打2盗塁5犠打、打率.263である。


 E右打ちと固め打ち

 荒木の打撃は、一発の怖さこそないものの、状況に応じて左右に打ち分ける技術があり、特に右方向に内野手の頭の上を超えていく安打を放つ技術に長けている。
 そのため、他の選手が打ちあぐねている投手も、荒木だけが安打を放つことがある。
 アライバとして1、2番のコンビを組んだ井端も、右打ちを得意としており、投手にとっては、最も厄介な1、2番と恐れられた。

 また、荒木は、固め打ちを得意としており、2004年には1シーズンに1試合4安打9回というプロ野球新記録を樹立した。これは、イチローが記録した8回を抜く快挙であった。
 2016年現在、通算31回の1試合4安打以上を記録しており、プロ野球歴代3位の記録となっている。


 Fオールスターゲームで予告本塁打

 2011年7月22日、荒木は、オールスターゲームに先発出場する。
 1−3とリードされた5回裏1死1塁で打席が回ってきた荒木は、落合監督から「ホームランを打ってこい」という指令が下る。
 荒木は「打っていいんですか」と答え、打席に立つと、パリーグの武田勝投手からレフトポール際に同点本塁打を叩き込んだ。
 勢いづいたセリーグは、この回に畠山、バレンティン、長野も本塁打を放ち、8得点を挙げる。1イニング4本塁打、8連打は、いずれもオールスター新記録となった。


 G2試合連続ヘッドスライディング帰還でリーグ優勝に貢献

 荒木は、リーグ優勝を争っていてシーズン終盤になると、本塁へのヘッドスライディングを解禁する。怪我しないようにバッティンググローブを握りしめて、絶妙に捕手の脇に回り込んでホームインする神業ヘッドスライディングを見せるのだ。

 2011年に奇跡の逆転優勝を成し遂げることができたのは、2試合に渡る荒木のヘッドスライディングホームインが大きかった。
 この年の9月23日のヤクルト戦は、2−2で8回裏に入る。荒木は、2死から二塁打で出塁し、次打者の井端は、前進守備のセンター右に落ちる安打を放つ。
 荒木は、三塁を蹴って本塁に突入。気迫のヘッドスライディングで捕手のブロックをかいくぐってホームベースを陥れ、間一髪のセーフを勝ち取る。
 翌9月24日のヤクルト戦でも、2−2の9回裏に荒木は、ショート内野安打で出塁して、犠打で2塁に進む。そして、谷繁のレフト前ヒットで、荒木は本塁に突入。前進守備のレフトからの返球をかいくぐる見事なヘッドスライディングでセーフとなり、劇的なサヨナラ勝ちを収めた。
 この2勝で首位ヤクルトに1.5ゲーム差に詰め寄った中日は、逆転優勝を果たすことになる。


 H卓越した走塁技術

 荒木は、盗塁王こそ1回だが、シーズン30盗塁以上を6回記録している。
 荒木の盗塁は、年々安定感を増しており、2014年から2016年までの間は、39盗塁を決めているが、失敗はわずか2回である。
 30代後半になって、3年間の盗塁成功率が95%は、驚異的な成績である。

 さらに荒木は、二塁打を三塁打にしてしまう走塁、二塁から単打で本塁に生還する走塁、三塁から内野ゴロで本塁に生還する走塁といったあらゆる走塁技術が卓越している。
 その技術で日本中を驚かせたのが2004年10月22日の西武との日本シリーズ第5戦である。3回にレフトフェンス直撃の打球を放つと、通常は二塁打になるところを遊撃手の捕球体勢を見逃さず、三塁を陥れる。さらに、次打者のショートゴロで本塁に還るという隙のない走塁を見せたのである。


 I史上最少本塁打数での通算2000本安打

 2017年6月3日、荒木は、ナゴヤドームでの楽天戦に先発出場し、4回裏に美馬学投手から止めたバットに当たるライト前安打を放ち、通算2000本安打を達成した。

 通算33本塁打での達成は、それまで最少記録であった宮本慎也の59本塁打を大きく下回り、史上最少本塁打での2000本安打達成となった。
 元監督の落合博満からは「守りで打った2000本安打」と称賛された。




(2017年7月作成)

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