1934年2月、岡山県生まれ。投手。右投右打。背番号17。岡山東商業高校で甲子園に出場し、明治大学に進学。1954年春に東大戦で1試合22奪三振の六大学野球新記録を達成。
1956年に大洋に入団し、1年目からいきなり25勝25敗、防御率2.39の好成績を残して新人王を獲得した。
2年目にも24勝を挙げて奪三振王に輝く。コンスタントに勝ち星を積み重ねながらも、大洋が弱小球団であったため、入団以来4年連続最多敗戦を記録。
しかし、5年目の1960年には三原脩監督の元で21勝10敗、防御率1.75の好成績を残してチームを最下位からの球団初のリーグ優勝に導く奇跡を成し遂げた。
1962年には26勝12敗、防御率1.92の成績を残し、自己最多の勝ち星となったが、チームは惜しくも2位に終わった。また、この年、実に72試合に登板している。
1964年にも21勝10敗の成績を残したものの、大洋は阪神と1ゲーム差で優勝を逃した。1956年から1964年までの9年連続50試合以上登板は日本記録である。
1968年限りで現役を引退。
引退後は、大洋のコーチとなり、1975年から2年間、監督を務めている。
体を大きく捻じ曲げる下手投げから繰り出される速いストレートとシュート、スライダー、カーブなどの変化球で打者を打ち取り、多くの登板数を誇りながら怪我をせずにエースに君臨した。
通算成績(実働12年):193勝171敗、防御率2.60。1896奪三振。最多奪三振1回(1957)最優秀防御率1回(1960)シーズンMVP1回(1960)最優秀勝率1回(1960)ベストナイン1回(1960)
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