1940年3月、大阪府生まれ。投手。右投右打。背番号16。大阪西高校から社会人野球の大阪大丸に進み、そこでプロから注目されて1959年、阪急に入団。
3年目までは目立った活躍はしなかったが、4年目の1962年5月に1試合17奪三振を奪って完投し、頭角を現す。その年8勝4敗、防御率1.96の好成績を残してローテ投手になった。
1964年に13勝で初の2桁勝利を挙げると、1967年には20勝10敗、防御率1.75という素晴らしい成績を残して最優秀防御率のタイトルを獲得した。その活躍で弱小球団だった阪急を初優勝に導いている。その功績が認められ、シーズンMVPを獲得。日本シリーズではONのいる巨人に敗れるが、足立は2勝を挙げて一矢を報いた。
しかし、その年の酷使がたたり、右肩を故障。1968年は一転して0勝に終わってしまう。
それでも、肩は、徐々に回復し、1971年にはシンカーをマスターして投球の幅を広げ、19勝8敗と見事なカムバックと果たした。
1975年4月には通算150勝を達成。1976年にも17勝8敗という好成績を残している。日本シリーズでは3連勝3連敗の後、第7戦に先発して完投勝利を挙げた。
1979年限りで現役を引退した。
現役を通じて阪急の9度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献している。特に日本シリーズに強く、日本シリーズの通算成績は、9勝5敗である。
地上60センチからアンダースローで投げ込む伸びのある直球と落差のあるシンカーで阪急の黄金時代を作り上げた。全盛期のONを震え上がらせた巨人キラーでもあった。
通算成績(実働21年):187勝153敗3セ、防御率2.91。1482奪三振。最優秀防御率1回(1967)シーズンMVP1回(1967)ゴールデングラブ賞4回(1972・1974〜76)ベストナイン1回(1967)
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