1985年以前に活躍したプレーヤー

私が見知らぬまさに伝説上のプレーヤー(1980年代前半以前に現役を終えたプロ野球選手)

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プレーヤー名 解  説
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アオタ ノボル
青田昇
戦前戦後の巨人黄金時代を担った大打者。「じゃじゃ馬」と称されるほどの3拍子揃った選手でしかも、野武士の風貌。巨人を出されたのは、その豪放な言動のせいだとも言われている。
アキヤマ ノボル
秋山登
弱小チーム大洋で常にエースとして投げ続けた。1960年に前年最下位からの日本一を果たして三原脩監督を名将にしたのも、彼の投球の賜物である。200勝にあと7勝で引退しているのが惜しい。
アダチ ミツヒロ
足立光宏
地を這うようなアンダースローで阪急を初優勝に導いた好投手。高校時代にオーバースローからアンダースローに変えたらしい。
アラマキ アツシ
荒巻淳
快速球で「火の玉投手」の異名をとった左腕。プロ入り1年目から簡単にタイトルをとったが、2年目以降タイトルに縁がなかったのも不思議なところである。
アリトウ ミチヨ
有藤道世
現役を通してロッテ一筋で働き、「ミスターロッテ」とまで言われた大打者。10回もベストナインに輝いている。監督として伝説の10.19で行った猛抗議も記憶に残る。
G・アルトマン ロッテ史に残る優良外国人選手で、「足長おじさん」と呼ばれて多くの人々に愛された。安定した打撃もさることながら、ガンに冒されながら倒れるまでプレーし、打率.351を残せる精神力には誰もかなわないだろう。
イイダ トクジ
飯田徳治
衣笠が出てくるまで連続試合出場の日本記録を持っていた打者。連続試合出場はアキレス腱断裂で途切れている。引退も2000本安打まであと22本というところでしている。
イケナガ マサアキ
池永正明
名前を知っている人は多いだろう。1年目から20勝を挙げて安定した成績を残し続けた名投手である。入団6年目の「黒い霧事件」での永久追放がなければ、200勝、いや300勝はしていたに違いない。
あの尾崎将司が終生のライバルと認めた男である
イシイ シゲオ
石井茂雄
通算189勝を挙げて阪急黄金時代の礎を築いた投手である。200勝を達成していないせいか、技巧派だったせいか、あまり世間に名は知られておらず、隠れた名投手とも言える。
イナオ カズヒサ
稲尾和久
「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた大投手であり、不滅のシーズン42勝という記録を作っている。落合博満が師匠とする唯一の指導者でもある。
エトウ シンイチ
江藤慎一
両リーグ首位打者という誰もが成しえなかった快挙を達成しているプレーヤー。それも監督との確執で中日から追い出されたあとにロッテでやっているのだから驚きである。
エナツ ユタカ
江夏豊
200勝200セーブポイントという奇跡的な記録を残した名プレーヤーで、自ら大リーグに挑戦した最初のプレーヤーであり、伝説にはこと欠かない。強面の風貌から一匹狼という印象が強い。
若ければ、間違いなく大リーグで成功していたに違いない。
エノモト キハチ
榎本喜八
「安打製造機」と呼ばれた最初の選手である。何せ高卒ながら入団した年に146安打、打率.298で新人王となっているのだから。あまりにも個性的な人物像も多くの伝説を生んでいる。
エモト タケノリ
江本孟紀
毒舌評論家であり、政治家としても活躍するエモやんも、現役のときはプロ野球を代表する長身の速球派投手だった。「ベンチがアホやから野球ができん」の名言は、誰もが共感できるにちがいない。
オウ サダハル
王貞治
一本足打法で868本もの本塁打を積み重ねているが、永久に破られることはないと断言しても良いほどの数字である。なぜなら年間40本打ち続けても破るまでに22年かかってしまうからである。
彼の人柄の素晴らしさは、万人が認めるところである。
オオシタ ヒロシ
大下弘
名将三原脩が天才と認めた、戦争直後に現れた好打者。川上に対抗して青バットで一世を風靡したが、驚くべきことに打率3割を打った年に引退しているのだ。
オオスギ カツオ
大杉勝男
セパ両リーグで1000本安打を達成したバットマン。「あの月に向かって打て」というコーチの指導で打撃開眼した伝説は有名。引退のとき「あと1本に迫っておりました両リーグ200号ですが、皆様の夢の中で打たせていただけますれば」という言葉も記憶に残る。
オオトモ タクミ
大友工
軟式野球の投手から巨人のエースに登り詰め、戦後の巨人第二次黄金時代を作り上げたサイドスローの好投手だった。全盛期に指へ死球を受けてしまわなければ、別所に匹敵する通算記録を作っていたにちがいない。
オガワ ケンタロウ
小川健太郎
30歳で2度目のプロ入りを果たして沢村賞を受賞するまでになった天才投手。王貞治を打ち取るために「背面投げ」を生み出した。対戦した王は、目が点になっていたという。
オザキ ユキオ
尾崎行雄
「怪童」と呼ばれた剛速球投手。全盛時の球は、史上最高球速を出していた、と言う者もいる。肩の酷使のため、全盛期が5年と短かった。
オノ ショウイチ
小野正一
左腕でシーズン史上最多の33勝を挙げた投手。長身から投げ降ろす剛速球と制球難を併せ持ち、全盛期は三振か四球かという豪快な投球を見せた。13球団から白星を挙げている。
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カゲウラ マサル
景浦将
沢村の永遠のライバルと言えばこの人である。投手としても打者としても一流の成績を残した完璧なプレーヤーである。
カジモト タカオ
梶本隆夫
元祖奪三振王と言えばこの人である。公式戦9連続奪三振という日本記録を持っているのだ。
カトウ ヒデジ
加藤英司
後に数々のスターを生み出すPL学園からプロ入団して活躍した草分け的存在。阪急の主砲として活躍し、最終的には5球団を渡り歩いている。
カネダ マサイチ
金田正一
現役のほとんどを弱小球団国鉄に在籍しながら不滅の通算400勝を挙げた名投手。本人は、全盛期には170キロ出ていたと言い張っているらしいが、真実は藪の中である。
カネダ マサヤス
金田正泰
シーズン18三塁打、1イニング2三塁打という日本記録を持っている好打者。阪神ダイナマイト打線の中核でもあった。
カリタ ヒサノリ
苅田久徳
「苅田の前に苅田なし、苅田の後に苅田なし」と言われた守備の達人。MVPも獲得している万能プレーヤーだ
カワカミ テツハル
川上哲治
「打撃の神様」としてヒットを打つ技術は史上最高との評価がある。引退後も巨人のドンとしてV9を達成。
カワサキ トクジ
川崎徳次
1949年の試合で自ら3本塁打を放ったが、8本塁打を浴びた、という豪快な記録を持つ投手。他にも珍しい記録をいくつも樹立。3球団を渡り歩いて188勝をあげている。
キヅカ タダスケ
木塚忠助
「バカ肩」「鉄砲忠」の異名を持つ強肩と4年連続盗塁王の俊足で、3塁手がトンネルした打球を1塁でアウトにしたという伝説を持つ名遊撃手。歴代NO.1遊撃手を語るときには必ず名前が挙がる選手である。
キマタ タツヒコ
木俣達彦
マサカリ打法で一世を風靡した強打の捕手。打者としてもパンチ力、右打ちの技術など、超一流だったが、2000本安打・捕手2000試合出場まであと一歩というところで逃しているのが惜しい。
コヅル マコト
小鶴誠
「和製ディマジオ」と呼ばれ、戦後に本塁打を量産したスラッガー。日本で最初にシーズン50本塁打を達成したのは彼である。
コダマ アキトシ
小玉明利
主に近鉄で活躍した好打者。2000本安打にわずか37本というところで引退しているのが惜しまれる。
コバヤシ シゲル
小林繁
細身の体と甘いマスクで人気のあった投手。「空白の1日」のあおりを食って阪神に移籍し、古巣巨人に8連勝して見せつけた反骨精神と存在感には誰もが脱帽するだろう。
コヤマ マサアキ
小山正明
山内一弘とのビッグトレードで「世紀のトレード」の草分け的存在。天才的なコントロールがあり、パームボールを武器に320勝もしている。
コンドウ カズヒコ
近藤和彦
天秤打法と言われた好打者ながら一度も首位打者にはなれず、3年連続を含む2位4回、3位1回という不運なアベレージヒッターである。
ゴンドウ ヒロシ
権藤博
有名な「権藤、権藤、雨、権藤」と言われた投手である。プロとしての投手生活はわずか5年というの短さながら、残したインパクトはあまりに大きい。1998年に監督として横浜ベイスターズを38年ぶりの優勝に導いたインパクトも大きいものがあった。
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サナダ ジュウゾウ
真田重蔵
縦に割れるカーブで一世を風靡した投手。セリーグシーズン最多勝利39の記録を持ち、ノーヒットノーランを2度達成している。
サワムラ エイジ
沢村栄治
伝説の中の伝説のプレーヤー。最初に大リーグへ日本野球を知らしめた日本人選手として現在でも評価は高い。球速も、史上最速だったと伝えられる
シバタ イサオ
柴田勲
セリーグ最高の盗塁王と言えばこの選手だろう。しかし、一度も3割を打たずに2000本安打を達成しているのも珍しい記録である。
クラレンス・ジョーンズ 1970年代に外国人選手の通算本塁打記録を樹立したが、本塁打か三振かという典型的なスラッガーだった。野村克也、西本幸雄が辛抱強く起用し続けたことにより、長年日本で活躍した。
スギウラ タダシ
杉浦忠
アンダースローの好投手で、全盛期は球がホップして誰も打てなかったそうである。日本シリーズで巨人相手に4連投4連勝を果たしたほどなのだから。
スギシタ シゲル
杉下茂
元祖フォークボールの代名詞と言えばこの人。彼のフォークボールは、バッターの視界から一瞬にして消えたという。もちろん打てる者はいなかったが、フォークボールを使わずとも打ち取れたので、巨人戦以外ではほとんど使っていなかったという伝説もある。
スズキ ケイシ
鈴木啓示
若いときは速球派、晩年は技巧派として完璧なまでに成功を収めた投手。今の野球界の状況では、彼が日本最後の300勝投手になる可能性は大である。
V・スタルヒン 日本で通算200勝以上を達成した唯一の外国人選手で、自らの名前が付けられた球場さえある大投手。通算303勝、シーズン42勝などの記録があり、今後も彼以上の成績を残す外国人投手は現れることはありえないだろう。
D・スペンサー 日本に大リーグのスケールの大きさを知らしめた「怪物」である。野村克也のライバルでもあり、彼とのタイトル争い渦中に見せた、怒りのバット逆さ持ちは、永遠に伝説として残るにちがいない。
ソトコバ ヨシロウ
外木場義郎
完全試合1回、ノーヒットノーラン2回という偉業を成し遂げている投手。それでも、通算131勝に終わっているのが、不思議である。
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タカギ モリミチ
高木守道
守備の名手と言えば、この人。バックトスは伝説となっている。2200安打以上を放った打撃の名手でもある。
タカダ シゲル
高田繁
走攻守揃った巨人V9時代の名選手。特にレフトの守備は、「壁際の魔術師」の異名をとるほどで、クッションボールの処理がうまかった。
タカハシ カズミ
高橋一三
巨人V9時代の左腕エース。「左のエース」という言葉は、この投手が起源らしい。もう一人の右腕エース堀内という強い個性のせいで、あまり目立たないが、沢村賞を2度もとっているのだ。
タカハシ ナオキ
高橋直樹
日本ハムで一時代を築いた大エースで、アンダースローながら抜群の制球力を持っていたという。トレードマークの口ヒゲは、単にファッションだったらしい。
タブチ コウイチ
田淵幸一
天性のアーティストとの異名はこの人のためにあるもの。王の連続本塁打王記録を止めた快挙が光る。
タミヤ ケンジロウ
田宮謙次郎
阪神の歴史に残るアベレージヒッター。最初は投手としてプロに入り、1年目は11勝もしたそうだ。10年選手制度移籍という現在のFA移籍の先駆者でもある。
チバ シゲル
千葉茂
バッファローズという愛称の生みの親。カツカレーの生みの親でもあるらしい。元祖右打ちの名人であり、犠打の名手でもあった。
ドイガキ タケシ
土井垣武
キャッチャーでありながら阪神ダイナマイト打線の中核に座った強打者。巧みなリードにも定評があったそうだ。キャチャーなのに、3割2分以上を2回というのも素晴らしい。
ドイ マサヒロ
土井正博
18歳で近鉄の四番に座り、引っ張り専門で465本もの本塁打を打っている。弱小チームに在籍したせいで、日本シリーズ出場はないが、18歳の清原和博を指導してコーチとして日本一になっている。
ドバシ マサユキ
土橋正幸
軟式野球の浅草フランス座から東映のエースに登り詰めた投手で、ちぎっては投げ、ちぎっては投げの打者に考える暇を与えぬテンポと剛速球で東映初優勝の原動力となった。驚くほど四球が少なく、球史に残るコントロール技術の持ち主だった。
トヨダ ヤスミツ
豊田泰光
歯に衣着せぬ解説で有名なこの人は、現役時代も2番打者とは思えないほど豪快なバッターだったという。史上最強の2番打者との呼び声も高い。
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ナガイケ トクジ
長池徳ニ
阪急が生んだ屈指のスラッガー。40本塁打以上を4回記録しているのに、通算安打は意外にも少ないのだ。
ナカオ ヒロシ
中尾碩志
沢村の後を引き継いだ戦前戦後の巨人の大エースにして最高左腕。四球を連発しながらノーヒットノーランを2回もやっている剛球投手でもある。
ナガシマ シゲオ
長嶋茂雄
言わずと知れたミスタープロ野球。20世紀最高のプロスポーツ選手との呼び声も高い。
あの独特の個性で、日本中のほとんどの人々を沸かせたらしいが、信じられないような伝説もほとんど実話らしい。
ナカジマ ハルヤス
中島治康
史上初の三冠王を達成し、数々のタイトルを獲得している。戦前の巨人を沢村らと共に支えた大打者である。
ナカ トシオ
中利夫
俊足で打率も稼げるアベレージヒッター。1日4本のバント安打を成功させたこともあったという。
ナカニシ フトシ
中西太
内野手がジャンプして捕ろうとした球がそのままスタンドに入ってしまったものが何本もあったという伝説を残した偉大なアーチストである。手首の怪我さえなければ、とてつもない記録が残っていたはずである。
ナリタ フミオ
成田文男
高速スライダーの切れ味の鋭さには、大リーガーさえ震撼させ、契約の話も来たという。中学時代は、ビートたけしのチームメイトであり、たけしは、成田を見てプロ野球選手になる夢をあきらめたらしい。
ニシザワ ミチオ
西沢道夫
最初は投手で延長28回の死闘伝説、ノーヒットノーランなどの記録を残し、肩を壊して打者に転向後、首位打者・打点王を獲得するという信じ難い偉業を残している。
ニシムラ ユキオ
西村幸生
酒にまつわる武勇伝を数多く残すタイガースの酒仙投手である。タイガースの球団創設初優勝の立役者であり、沢村栄治とは同郷のライバルだった。
ノグチ ジロウ
野口二郎
戦前戦後の大投手であり、シーズン防御率0点台を2回も記録している。当然通算防御率も歴代2位の1.96である。
ノムラ カツヤ
野村克也
今の姿からは想像できないが、パリーグ最強の打者だった。それなのに、伝説となるほどのエピソードに乏しい地味な存在だった。監督となってからも妻の方が目立っていたほどだが、アンチ巨人の執念は相当なものらしい。
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ハセガワ リョウヘイ
長谷川良平
弱小と呼ばれた戦後の広島で197勝を挙げた投手。テスト入団で、167センチの小兵、200勝まであと3勝での引退。あまりにも弱小チームで孤軍奮闘していたため、シーズン最多敗戦、シーズン最多失点の記録まで作っているなど、伝説に事欠かない。
ヒラマツ マサジ
平松政次
「カミソリシュート」の代名詞と言えばこの投手である。どれくらいの切れ味があったかは今となっては分からないが、弱小球団の大洋で200勝以上したということはかなりのものであったと推察できる。
ヒロセ ヨシノリ
広瀬叔功
福本が出てくる以前のパリーグの盗塁王と言えば、彼である。史上2位の596盗塁もさることながら、盗塁成功率82.9%という福本以上の記録を残している。
フジタ タイラ
藤田平
柔らかいスイングで安打を量産し、シーズン併殺打ゼロという目立たない好記録も持っている。名球会チームの試合でよくヒットを打ってるのを見て、やはりいいスイングなんだと感心したことがある。
フジムラ フミオ
藤村富美男
初代「ミスタータイガース」であり、「物干し竿バット」と呼ばれた長いバットでシーズン191安打という当時の日本記録も作った。さらに監督兼任で代打逆転満塁サヨナラ本塁打を放ってもいる。
フジモト ヒデオ
藤本英雄
通算防御率1位の1.90を誇っているのがこの投手。シーズン防御率歴代1位の0.73という記録も持っている大投手である。
フジワラ ミツル
藤原満
走攻守そろった南海の看板選手としてツチノコバットで多くの安打を製造した選手である。オールスターゲームでは無類の強さを発揮し、数々の二塁打の記録を樹立している。
ブスシマ ショウイチ
毒島章一
珍しい名字なので一度聞いたら忘れないうえに、通算2000本安打まであと23本で引退しているというインパクトも強い。当時は名球会がなかったので2000本安打にあまり価値を感じていなかったらしい。俊足で三塁打の名人でもあった。
ベッショ タケヒコ
別所毅彦
伝説の剛腕投手。剛速球を武器に310勝という大記録を達成している。
ホシノ センイチ
星野仙一
言わずと知れた熱血漢。巨人戦になると、異常なまでに闘志を表に出して投げ続けた投手である。選手・監督として、数々の武勇伝が残っている。
ホリウチ ツネオ
堀内恒夫
「悪太郎」という異名をとっていた悪童だが、ON時代のV9を投手として支えたのは彼なのである。
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マツオカ ヒロム
松岡弘
ヤクルトのエースとして球団をリーグ初優勝に導いた功労者である。日本シリーズで疑惑の本塁打騒動があったにも関わらず、完封勝利を挙げた精神力は驚異だ。
マツバラ マコト
松原誠
打撃主要タイトルと無縁のまま2000本安打を達成した数少ない選手である。同じくタイトルなしで2000本安打を放った駒田徳広を育てたことでも有名である。
C・マニエル 死球防止用のフェイスガードヘルメットで有名。「赤鬼」と恐れられた強打者で、ヤクルトと近鉄を球団創設後初のリーグ優勝に導いた「優勝請負人」でもあった。確執のあった広岡達朗監督の考え方は、自らが大リーグの監督になってから理解できたという。
R・マルカーノ 外国人選手には珍しい走攻守が揃った選手で、毎年、安定した打撃成績を残し、11年間も日本でプレーして現役生活を全うした。曾祖父は日本人だったらしい。
ミズタニ ジツオ
水谷実雄
広島を初優勝に導いた中距離ヒッターで、セリーグでもパリーグでも打撃タイトルを獲得している。
ミナガワ ムツオ
皆川睦雄
オーバースローで肩を壊したため、サイドスローに転向して通算221勝を稼いだ好投手である
ムラカミ マサノリ
村上雅則
日本人初の大リーガーとなり、日本人初の大リーグ勝利投手にもなった。「マッシー」の愛称でアメリカ人からも人気を得た。事情あって大リーグ在籍は2年だったが、彼の記録は今でも時代の先駆者として金字塔となっている。帰国後も100勝以上している。
ムラヤマ ミノル
村山実
天覧試合で長嶋にサヨナラ本塁打を打たれたことであまりにも有名だが、彼はあの本塁打をずっとファールだと言い張っていたらしい。
モリ マサヒコ
森昌彦
巨人のV9達成の扇の要となった捕手。個性的な投手たちを巧みなリードと強肩で助けた。監督となってからの活躍も素晴らしく、緻密な理論家として評価が高い。
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ヤマウチ カズヒロ
山内一弘
小山正明との大型トレードで「世紀のトレード」の先駆者となった打者である。本塁打を打って打率も稼げる好打者であった。
ヤマザキ ヒロユキ
山崎裕之
タイトルとは無縁で2000本安打を達成しているが、名ニ塁手でもあった。2球団でベストナイン、ゴールデングラブ賞のいぶし銀ぶりが渋い。
ヤマグチ タカシ
山口高志
剛球投手と言えば、必ず名前が挙がってくる投手。「山口の球は三日前から振らないと当たらない」と言われたほど、高めの直球には威力があったらしい。
ヨシダ ヨシオ
吉田義男
源義経の幼名「牛若丸」の愛称で親しまれた守備の名手。選手時代と監督時代の両方で阪神を優勝させている。金田正一が最も対戦を嫌った好打者でもあった。
ヨナミネ カナメ
与那嶺要
アメリカンフットボール仕込みの猛烈なスライディングで有名な選手。捕手を数メートル突き飛ばすことは茶飯事であったという。とは言いながら首位打者3度の安打製造機の顔も持っていた。
ヨネダ テツヤ
米田哲也
歴代2位の350勝をあげているわりには、あまり有名ではなく、地味な投手である。
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レロン・リー 来日後、ロッテで10年間常に3割以上を打ち続けたアベレージヒッター。歴代1位の通算打率を残しているのが彼だ。落合博満とのクリーンアップはさぞ強烈だったことだろう。
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ワカバヤシ タダシ
若林忠志
監督兼任で22勝・26勝をあげてMVPに2度輝く、という離れ業をやってのけた投手である。戦後間もない時代に40代まで投げ続けたタフさの持ち主でもある。



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