人が人を選ぶ 〜MVPは勝ったチームから?〜

山犬
 
  1.基準なしで人が人を選ぶと

 ある会社では年末の納会のときに最優秀賞と優秀賞を発表する、という慣習がある。特に際立った進展も大した利益上昇もなかった2003年は、どちらも「該当者なし」じゃないだろうか。社内ではそんな噂が流れていた。
 しかし、ふたを開けてみると、優秀賞が6名、最優秀賞も1名きっちりと選ばれたという。どうやら、該当者選びに困り、残業の多い順に選んでおいたらしい。
 辞書をひいてみると、「優秀」とは「[ほかのどのものと比べてみても]すぐれている様子」(新明解国語辞典 第5版 三省堂 2000.12)とある。
 そういう趣旨で考えると、どんぐりの背比べ状態なら、5年連続受賞者なしというのがあってもいいんじゃないか、と思ってみたりもする。
 しかし、最優秀賞や優秀賞というものは、一度作ってしまうと、毎回誰かには受賞させなけらばならない。どうやら、そういう暗黙の了解があるようだ。
 しかも、こういった賞には、新たな顧客を開拓して会社の利益を1割以上伸ばした、とか、何かしら新商品を開発して大ヒットした、とかいった選定基準というものが明確にされていないことが多い。
 だから、優秀な者が一人もいなくても、誰かを最優秀や優秀ということにしなければならないのだ。
 言ってみれば、結婚相手を選ぶようなものである。自分が選んだ結婚相手こそ、この世で最高なんだ、と思っている人が世間には数え切れぬほどいるわけで、そこには明確な基準なんてない。選んだ相手が傍目から見れば、最低クラスに映ることだってあるし、選んだ当人でさえ、何年かたってそれが全く見当違いだったことに気づいてしまうこともある。
 賞の特性上、いつの時代にも不可解な選出が作り出されるようになっているわけである。

 そんな納会の話を聞いているうちに、2003年にちょっとした話題となったメジャーリーグの新人王選びを僕は思い出した。
 メジャーリーグに挑戦した松井秀喜が打率.287、16本塁打、106打点という成績を残しながら、アメリカンリーグで最も活躍した新人に贈られる新人王に選出されなかったという出来事だ。日本で数々のタイトルを獲得した松井を新人王の選考から外した記者がいたことから、ニューヨークや日本で物議を醸した。
 松井とわずか4ポイント差で新人王に選出されたのは、アンヘル・ベロアという25歳の選手だった。ベロアの成績は、打率.287、17本塁打、73打点。打撃成績はほぼ互角と言っていい。
 ただ、松井が2盗塁だったのに対してベロアが21盗塁。外野手の松井に対して、ベロアは守備の負担が大きい遊撃手。そのあたりを考えれば、この選考は松井自身も認めているように、ベロアが新人王で妥当、となるだろう。
 でも、もし松井が20本塁打以上放っていたり、打率3割を超えていたときに選出がベロアだったら、不可解な選出として、もっと大きな論争に発展していたに違いない。


  2.日本プロ野球のMVP(最優秀選手)

 日本のプロ野球でも不可解な選出は例外じゃない。
 たとえば、2002年のオールスターゲーム第2戦。端的に言えば、この試合は、決め手に欠けた。試合は、全パが1回と2回に2点ずつを挙げて4点をリードする。全セも4回と7回に1点ずつを返し、4−2で試合は終わる。
 さて、MVP(最優秀選手)は誰か。そこにきて、選出が難航を極めることに僕たちは気づいた。
 全パが挙げた得点は単打のタイムリーと犠直によるものでインパクトがない。投手も、最終回に登板した豊田清(西武)が1回を2奪三振無失点に抑えていたが、わずか1回だけに決め手に欠ける。全パで2安打以上しているのは単打2本の捕手の的山哲也だけだった。
 対する全セは、上原浩治(巨人)が2回を4奪三振無失点と好投し、新井貴浩(広島)は本塁打1本を含む3安打猛打賞の活躍を見せている。
 しかし、最優秀選手は、勝利チームから選ばれるのが鉄則となっている。野球がチームの勝敗を競うスポーツである以上、負けてしまえば、どれだけ活躍しても意味がない。そういうことだ。
 もし全セが勝っていれば、この試合唯一の本塁打を放った新井がMVPに選ばれるのは、ほぼ間違いなかった。ところが、勝ったのが全パだけに新井は最高でも優秀選手止まりになる。
 じゃあ、誰になる?
 テレビの実況アナも、解説者も、そして僕も、同じような調子で首をかしげた。
 選ばれたのは、全パで唯一2安打を放った的山(近鉄)だった。決勝打でもない単打2本だけに、2塁打2本を放った松井秀喜よりもインパクトに欠けるのだが、全パから<あえて>選ぶなら的山になってしまうのだ。


   3.三冠王を獲ったのにMVPをもらえなかった落合

 勝ったチームから選ぶのがMVP、というのはオールスターゲームに限らず適用される場合もある。落合博満(ロッテ)は、1986年に三冠王を獲得したにも関わらず、パリーグのシーズンMVPに選ばれなかった。
 この年、落合は、打率.360、50本塁打、116打点というすさまじい活躍を見せ、首位打者・本塁打王・打点王という主要タイトルを総なめにした。しかし、落合のいるロッテはBクラスの4位に沈んでいた。
 それでも、MVPとなれば、落合博満がふさわしい。誰の目にもそう映った。
 だが、MVPに選ばれたのは、優勝した西武の遊撃手石毛宏典だった。彼のシーズン打撃成績は、打率.329、27本塁打、89打点。打率5位、本塁打8位、打点7位。
 落合の打撃成績と比べてみると、かなり劣っている。
「三冠王をとってMVPに選ばれなきゃ、どうしたらMVPになれるの?」
 落合は、MVPの発表を聞いたあと、確かそんなコメントを残した。
 この選出は、後々までいろんな物議を醸すことになる。

 石毛のMVPを擁護する人々は、こんなふうだった。
 石毛は、守備の負担の大きな遊撃手としてこれだけの成績を残した。盗塁も19個決めている。何より、あの明るさでチームリーダーとして西武をリーグ優勝に導いた功績は大きい。野球は、勝ってなんぼのスポーツ。優勝にこそ最も価値があるんだから、優勝したチームの選手からMVPが出るのが当然だ。
 結局、落合が三冠王をとったといっても、チームは4位じゃ意味がないよ。
 落合は、去年にも三冠王を獲得してMVPに選ばれていて、打率.367、52本塁打、146打点と、どの部門をとっても圧倒的だった。その成績よりも今年は落ちてるじゃないか。

 そんな判断では落合の擁護者も黙ってはいられない。三冠王を獲ることがどれだけ困難を極めるのか。長打力を持ち、広角に打ち分けられ、さらにシーズン通して調子を持続させなければいけない。過去、三冠王を獲得したのは中島治康、野村克也、王貞治、ブーマー、バース、落合の6人しかいないではないか。
 石毛がチームリーダーとしてチームを引っ張ったといっても、そんなものは記録には直接現れてこないから、あくまで感覚的なものでしかない。守備・走塁で貢献しているといっても、石毛のエラー数は15。落合は10だ。石毛が盗塁を19個決めていると言っても失敗が10ある。これに対して落合は5個の盗塁だが、失敗は1回だけだ。それより落合の104四死球をもっと重く見るべきだ。石毛の52四死球の倍。チームへの貢献度は、ここを見ても大きく違うじゃないか。タイトルのない石毛と三冠王を獲得した落合の打撃力を付け加えれば、落合がMVPに選ばれるのが当然というものだ。

 最終的には、チームを優勝させるのと、個人タイトルを獲得するのはどっちに価値があるか、というところに行き着く。
 投票で選ぶものは、どんなときもこうした批判と擁護がつきまとう。最終的には選ぶ側の好みまで入ってしまうのではないか、なんて疑惑も後をたたない。
 それは、文学や美術の世界でも常に言われていることである。
 素人の目からは「何、これ?」という作品が審査員の絶賛を浴びて受賞し、素人が「面白い、美しい」と感じる作品が審査員に酷評されて落選してしまうことなんて、日常茶飯事である。

 この当時の落合は、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで打ちまくっていた。このまま行けば、あと5回くらい三冠王をとってしまうのではないか。そんな幻想すら抱かせるほどだった。
 今年、落合にMVPを与えてしまえば、来年も再来年も落合だ。そんな危惧が投票する人々のどこかにあったのではないだろうか。
 日本のプロ野球のMVPは、5年以上の経験を持つプロ野球担当記者による投票によって決められる。「俺流」の打法を貫いて超一流に登りつめた一匹狼のイメージがあり、必要以上にマスコミへ語ることのない落合は、マスコミとの関係も良好とは言えなかった。人による投票で決まる賞というのは、そういった感情面まで微妙に影響するものだ。落合が損な役回りを演じさせられる背景は既に整っていたのかもしれない。
 とにかく、落合は、前人未到となる3度目の三冠王を獲得しながら、MVPには選ばれなかった。そして、この年の落合以来、プロ野球界では二十世紀中に誰一人として三冠王になれなかった、という事実だけが残った。
 今、考えてみれば、その年のMVP選考を誰もが不可解に感じるのも無理はないだろう。


   4.優勝チーム以外からのMVP

 話を発展させて、戦後の優勝チーム以外からのMVPを挙げてみるとこうなる。
 
西暦年 選手(球団) 優勝チーム(リーグ)
1963年 野村克也(南海) 西鉄(セ)
1964年 王貞治(巨人) 阪神(セ)
1974年 王貞治(巨人) 中日(セ)
1980年 木田勇(日本ハム) 近鉄(パ)
1982年 落合博満(ロッテ) 西武(パ)
1985年 落合博満(ロッテ) 西武(パ)
1988年 門田博光(南海) 西武(パ)
1990年 野茂英雄(近鉄) 西武(パ)
1994年 イチロー(オリックス) 西武(パ)

 セ・パ両リーグを合わせてたったの7人だけだ。しかも、その7人の選手の成績には大きな特徴が見てとれる。解説してみると、以下のようになる。

西暦 選手 打率 本塁打 打点 解説
1963年 野村克也 .291 52 135 日本記録を更新するシーズン52本塁打と二冠王
1964年 王貞治 .320 55 119 日本記録を更新するシーズン55本塁打と二冠王
1974年 王貞治 .332 49 107 2年連続三冠王
1982年 落合博満 .325 32 99 史上最年少の三冠王
1985年 落合博満 .367 52 146 全部門で圧倒的大差をつけて三冠王
1988年 門田博光 .311 44 125 40歳にして44本塁打の日本最年長記録と二冠王
1994年 イチロー .385 13 54 シーズン210安打で日本記録を大きく更新、打率も日本歴代2位

西暦 選手 防御率 奪三振 解説
1980年 木田勇 22 8 2.28 225 新人ながら最多勝・最優秀防御率・奪三振王の三冠王
1990年 野茂英雄 18 8 2.91 287 新人ながら最多勝・最優秀防御率・奪三振王の三冠王

 彼ら7人は、いずれも主要タイトルを総なめにしているか、日本記録更新という付加価値がついているかである。つまり、優勝したチームで最も活躍した選手より、成績が遥かに抜きん出ているか、驚異の新記録というインパクトがなくてはならないのだ。
 それじゃあ、1986年の落合は?三冠王を獲得したのだから成績が遥かに抜きん出ているし、3度目の三冠王は驚異の新記録じゃないか。
 今まで打者では6人で計10回の三冠王が現れている。さすがに三冠王を獲得してシーズンMVPに選出されなかったのは落合だけだろう、と思って調べてみると、意外にも1人いた。
 しかも、同じ1986年。あのランディ・バースである。バースは、打率.389、47本塁打、109打点で打率.389は日本新記録だった。それでも、MVPは、優勝した広島で最多勝・最優秀防御率の二冠王に輝いた北別府学が獲得した。投手と打者の成績を比較してどちらが優れているか、と論じるのもおかしいような気もするが、これだけ驚異的な打率を残したバースがMVPでなかったことは衝撃の事実である。

 では、投手の三冠王(最多勝・最優秀防御率・奪三振王)でMVPに選出されなかったは?と考えて調べてみると、該当者は意外に多い。
西暦 投手 西暦 投手
1938年秋 スタルヒン(巨人) 1961年 権藤博(中日)
1943年 藤本英雄(巨人) 1961年 稲尾和久(西鉄)
1948年 中尾碩志(巨人) 1978年 鈴木啓示(近鉄)
1954年 宅和元司(南海) 1985年 小松辰雄(中日)
1958年 金田正一(国鉄) 1999年 上原浩治(巨人)

 投手の場合は、打者との兼ね合いで選出されない場合が多い。インパクトも毎日のように試合に出ている打者の方がどうしても大きくなってしまうからだろう。
 彼ら10人の投手も、これでMVPに選ばれないなら、どうやったら選ばれるんだ、と心の中で思っていたにちがいない。
 最近では1999年、上原浩治(巨人)が20勝4敗、防御率2.09、179奪三振で三冠王となった。一方、MVPを受賞した野口茂樹(中日)は、19勝7敗、防御率2.65、145奪三振で無冠だった。野口のMVPは、中日が優勝したからという理由が大きなウエイトを占めていた。そのため、MVPは野口なのにベストナインに選ばれたのは上原という逆転現象が起こっている。これもまた不可解な話である。
 つまり、1986年、もしロッテが優勝していれば、MVP落合がありえてもMVP石毛は確実にありえなかったのと同じように、もし1999年に巨人が優勝していたらMVP上原はありえてもMVP野口は確実にありえなかった。優勝チームにいたためにMVPを獲得できた者と優勝チームにいなかったがためにMVPを獲得できない者。基準が明確でないため、不公平は生まれ続けるのだ。

 1994年、パリーグの優勝は西武だった。なのに、イチローがMVPに選出されたことについてコメントを求められた落合は、こう語っている。
「当然だと思うよ。それだけ価値のある成績を残したんだから」
 落合のコメントの中に1986年の皮肉が含まれているように感じるのは僕だけだろうか。

 打者でも投手でも三冠王を獲得したら記者投票なしで、無条件にシーズンMVPとする。
 シーズンMVPに、そんな規定を一つくらい付け加えてもいいんじゃないだろうか。明確な基準があれば、最優秀な選手がMVPにならないことを防げる。
 じゃあ、投手の三冠王と打者の三冠王が同時に現れたときは?そんなときはどちらにもMVPを与えればいいのである。そもそも投手と打者を比較すること自体、陸上で短距離100Mの金メダルとマラソンの金メダルはどちらが価値があるか、を問うのと同じくらい愚問なのだ。
 僕は、人が人を選ぶ賞について、そんなふうに考えてみた。



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