夢の球宴に汚点  〜川崎憲次郎投手への大量投票事件〜

山犬
 
   1.「2ちゃんねる」?

 インターネットに「2ちゃんねる」という掲示板群を数多く管理するサイトがある。掲示板が幅広く分野別に設置してあり、発言者は、それらの掲示板の中でそれぞれテーマを決めてスレッドを立てたり、レスを送ったりする。誰でも気軽に参加できるのが売りだ。サイトの運営は、意外にも個人が行っている。
 「2ちゃんねる」は、2001年あたりから急速に成長し始めたサイトである。そのときどきに話題となっている出来事について語り合うこともできれば、情報提供・収集もでき、専門的な学問についても議論することができる。ほぼ一方通行で成り立っているテレビやラジオ、新聞と違って、常に対話というもので成り立つ新しいメディアと呼んでもいい。もちろん、このサイトを支えているのは、十代から二十代の若い世代である。
 2002年の年末あたりから既存のメディアが大々的に「2ちゃんねる」を報道し始めたので、サイトは一気に全国的な知名度を高める。
 そして、この「2ちゃんねる」が一般人に幅広く知られるようになったのは2003年に入ってからだろう。
 誹謗中傷の書き込みに対して賠償を求めた訴訟、そして川崎憲次郎投手への大量投票を呼びかける書き込み、そして長崎で起こった男児誘拐殺人事件の補導少年の顔写真・実名書き込みと、話題が続いたからだ。
 僕もその過程で「2ちゃんねる」という存在を知った。それは、オールスターのファン投票で川崎憲次郎投手が驚異的な勢いで票を伸ばしていたときのことだった。


 2.川崎憲次郎投手への組織票

 オールスターゲームは、「夢の球宴」「野球の祭典」などというキャッチコピーで呼ばれることが多い。セ・パ両リーグからファン投票と監督推薦で選ばれたスター選手が集まってセリーグ×パリーグで試合を行うからである。年によって異なるのだが、これまでも毎年2試合か3試合行われてきた。時期は、前半戦と後半戦の合間だ。
 スター選手が一同に会するだけに、毎年、必ずと言っていいほど、数々の伝説が生まれる。江夏豊の9連続奪三振や江川卓の8連続奪三振は、見た者には決して忘れることの出来ない記憶となって焼きついているにちがいない。僕も、ファン投票が始まる頃からオールスターゲームを楽しみにしている。

 今年のオールスターゲームファン投票も、例年通り行われ、インターネット・携帯電話・葉書での投票方式が採用された。
 素晴らしい成績を残した選手、成績には表れてなくても華麗なプレーで記憶に残った選手などが選ばれるのが通例であり、今年はペナントレースの勢いそのままに阪神の選手が中間発表でトップに名を連ねてきた。
 メディアで話題になったのも、2位に10ゲーム以上の差を付けて快走する阪神タイガースだった。しかし、その後、中日の川崎憲次郎投手への異常な組織票へと人々の注目は移る。
 オールスターの投票については、かねてから組織票による大量得票が世間を賑わしてきた。特定球団の選手達に異常とも思えるほど票が集まったり、ほとんど活躍していない選手が上位に名を連ねたり、ということはあった。投手が野手として票が集まったり、野手が投手として票が集まったりということも僕の記憶にある。
 実際、今年も、阪神の投手ムーアが野手並の打撃を見せるため、一塁手としても3位の票を得ているのだ。
 そんな流れの中で川崎憲次郎投手への大量投票事件が起きたわけだった。


 3.かつてはヤクルトの大エース川崎憲次郎

 1989年にヤクルトに入団した川崎憲次郎は、プロ2年目の19歳で早くもシーズン12勝を挙げて頭角を現し、野村克也監督の元でヤクルトの黄金時代を支えた投手である。2桁勝利は通算4回。1993年・1995年・1997年の日本一に貢献し、1993年の日本シリーズでは2勝0敗、防御率1.20でMVPとなった。
 通算成績は、2000年末までで88勝80敗2セーブ8SP。1998年にはチームは4位だったが、17勝10敗という成績で最多勝に輝いた。
 そんな川崎に転機が訪れる。2000年末のFA宣言である。川崎は、取得したFAの権利を生かしてヤクルトから中日へ移籍する。巨人戦に対する無類の強さと巨人戦に無類の執念を見せる星野仙一監督との最強タッグ。誰の目にも2001年の中日は脅威に移った。

 しかし、川崎は、シーズン開幕を待たずして右肩を痛める。数々の栄光を手にしてきた川崎が新天地に移った瞬間、投手の生命線とも言える部分を痛めてしまったのだ。
 川崎は、2001年、2002年と1度も1軍で登板することなく、シーズンを終えた。2002年、川崎のウエスタンリーグでの成績は0勝2敗、防御率9.00。本来の出来にはあまりにも程遠い成績である。一度痛めてしまった川崎の右肩は、容易には元に戻らなかったのだ。
 2003年になってようやく川崎の右肩に復調の兆しが見えてくる。そして、ようやく一軍での登板が現実のものとして考えられるようになってきたそのときだった。
 川崎がオールスターゲームのファン投票先発投手部門の上位に名を連ねてくるのだ。
 復活を待ち望んでいるファンの温かい支援。川崎は、当初、そう感じたという。
 しかし、現実は酷だった。
 

 4.川崎投手のオールスター出場辞退

 川崎の過剰な得票の伸びに目をつけたメディアが騒ぎ始めた。それにより、特定のパソコンから大量の投票が行われている実態が明らかになる。
 インターネット投票を利用した愉快犯だったわけだ。その背景として上がってきたのが掲示板サイト「2ちゃんねる」なのである。川崎は、中日に移籍して以降、2年以上にわたって1度も1軍登板がないにも関わらず、FA制度の恩恵で高額な年俸が保障されている。そのため、川崎は、「2ちゃんねる」の掲示板で格好のネタになった。川崎に対する批判的な発言が投稿され、それがオールスターのファン投票で川崎に投票するように呼びかける発言へとつながっていったようだ。
 「2ちゃんねる」は、完全に匿名の掲示板群である。本名を名乗る必要は全くなく、発言者がどこの誰であるかは他の閲覧者には全く分からない。適当なハンドル名を付けて何か発言して去っていく。それがインターネットの利点でもあるのだが、一方で無法地帯となる、という批判も多い。
 「Yahoo!JAPAN」の中にある「2ちゃんねる」の紹介には「話題性のあるトピックの閲覧、関連ツールへのリンク」とある。話題性のあるトピックに対する大衆の反応はいつも鋭い。ワイドショーが世論にすぐ直結していることを見れば、それは誰でも容易に推察できる。「2ちゃんねる」でも、時事問題となるようなニュースがあると、瞬く間にその話題でスレッドは盛り上がっていく。
 オールスターで川崎へ投票するように呼びかけた「2ちゃんねる」での発言は、すぐに広まっていったのだろう。川崎へ投票する特殊プログラムを作った者もいたらしく、川崎の得票は、驚異的に伸びた。それまで1位だった阪神の井川慶を抜く勢いで差を縮め、インターネット上では川崎をファン投票1位にするための特別サイトを作る者まで現れた。

 ファン投票の結果発表の終盤に来て、川崎の票数は、ついに井川の票数を抜く。「2ちゃんねる」から広がった川崎票は、様々なメディアの影響で多くの模倣者を生み、社会現象にまで発展していった。
「選ばれてもどうにもならない、ということは分かってもらいたいんです」
 中間発表でセリーグの先発投手部門1位に踊り出たとき、川崎は、そんなコメントを残している。川崎の苦悩は、最後まで伝わらなかった。
 川崎の最終得票数は、911,328票。ペナントレースを独走する阪神のエース井川慶は863,460票。川崎は、5万票近い差をつけてファン投票セリーグ投手部門1位になってしまったのである。
 川崎は、その最終結果が出る1日前、得票数1位になることが確定的になったことから、出場を辞退する旨のコメントを発表した。
 残念ながら、愉快犯とそれに続いた模倣犯の思惑通りの結果になったのである。


 5.罰則の強化を

 2001年、アメリカのタイムズ紙が投票で決めるパーソン・オブ・ザ・イヤーに、田代まさしが1位になるという事件があった。田代は、覚せい剤取締法違反などで逮捕され、ワイドショーで話題になった芸能人である。タイムズ紙は全世界の人物からその年の「顔」を投票で決め、タイムズ紙の表紙を飾る予定だっただけに、急遽田代の名前をランキングから外した。
 「2ちゃんねる」に田代への投票を呼びかけるスレッドがあったことから、当時から「2ちゃんねる」というサイトに疑いの目を向ける声はあった。
 そういう事例があったにも関わらず、似たような大量投票事件がプロ野球のファン投票で起こってしまった。プロ野球のコミッショナー事務局は、ファン投票に対するセキュリティ対策が甘かったわけだ。 
 オールスターファン投票では、投票者は、住所・氏名などを入力しなければ投票できないようになってはいるが、実際は架空の住所・氏名などを利用して一人の人間が大量投票できるようになっていた。実質的に、匿名での大量投票が許されていたことになる。
 しかし、個人単位の認証を必要とするならば、莫大な人手と金額がかかってしまうことも事実である。もし、住所・氏名だけでも実在することを確認してから、得票として集計するのならば、おそらく国家が直営するサイトくらいしか不可能にちがいない。

 コミッショナー事務局は、今回のことを教訓に投票できる選手をその年に1軍で10試合以上出場した選手に限定する、といった対策を考えていくようである。
 ただ、それは、川崎投手のような2軍にいた選手には効果を発揮するかもしれないが、1軍で試合に出場している選手ではあるがほとんど活躍していない選手には通用しない。
 つまり、根本的な解決には至らないわけである。

 その解決のためには、個々人の良識を訴えることも重要だけど、法的にも罰則の強化が必要である。特定のパソコンからの大量投票は、破壊行為に等しい犯罪だと僕は思う。掲示板でも、企業や芸能人の名誉毀損だけでなく、一般個人への誹謗中傷や卑猥な書き込みといった「荒らし」であったとしても、発信源を割り出せれば厳しい罪を与えることを求めたい。
 現在、OSやブラウザも含めてインターネット関連で新たな技術が開発されるとき、充分なセキュリティ対策や犯罪対策がとられているとは言いがたい。一つ一つのサイトもそれとよく似たことをやっている。
 常に目新しく便利で、ユーザーの購買力や興味をそそるための技術競争やサービスの陰に隠れて、最も重要な部分が見落とされているのだ。
 だから、セキュリティホールや法の抜け穴が悪意ある者に次々と利用されて、ネット中に広まってしまう。対策が考え出されたり、修正プログラムが作られるのは、その後になる。まさに、ここのところ泥縄状態がずっと続いていると言っても過言ではない。
 今後、世界をつなぐウェブネットワークはますます隆盛を極めるはずである。そのことをしっかり予測した明確な法規制がまず最初に必要不可欠であることを僕はここで記しておきたい。



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