野球人気を高めるには何が必要なのか
  〜新庄剛志が北海道で起こした革命〜


山犬
 
  1.日本シリーズで見た不思議な現象

 2006年の日本シリーズは、不思議な現象の連続を見ているようだった。
 中日は、第2戦以降、バントをすれば失敗、強攻策をとれば併殺打、投手を変えれば痛打される。鉄壁であった守備にミスが出る。それらの繰り返しだった。しかも、併殺打の後の打者がよくヒットを打ったりするのだから、本当に信じ難い光景である。

 私は、落合監督が日本シリーズの最後に、自らに言い聞かせるように残したコメントが頭から離れなかった。
「スポーツってのは強い者が必ず勝つわけじゃない」(デイリースポーツ 10月27日)
 ボクシングの絶対的な世界王者でも、一発のラッキーパンチによって敗北を喫することもある。FIFAの世界ランキング1位のチームがW杯で準決勝や決勝に進めないのも珍しくない。タイガー・ウッズだって予選落ちすることもある。
 スポーツには絶対というものはない。たとえ最強であっても常に勝つということはないのだ。
 逆に言えば、だからスポーツは、面白い。
 たとえば、2006年のWBCでは、全員メジャーリーガーの最強チームで挑んだアメリカが2次リーグで早々と敗退し、メジャーリーガー2人で挑んだ日本が優勝を果たした。
 100試合戦えば、勝ち越すことが困難なチームが相手でも、短期決戦であれば勝つ可能性は高くなる。
 以前、野村監督は、テレビでこのような発言をしている。
「短期決戦は、ごまかしがきく」
 スポーツの短期決戦は、ある程度の運と勢いが大切になってくる。つまり、精神的なものに大きく左右されやすいのである。

 2006年のの日本シリーズで、そのごまかしを最大限に利用したのが日本ハムということになる。
 下馬評では、中日有利という声が圧倒的だった。両チームの数字を比較すると、ほとんどの面で中日の方が上回っていたからだ。私も、中日が52年ぶりに日本一になるものと思い込んでいた。
 だが、数字通りに行かないのが短期決戦である。日本ハムは、第2戦以降、打つ手がすべてうまくいった。
 投手交代は、ことごとく成功し、バントやスクイズも成功が続いた。欲しいところでタイムリーヒットが出たし、試合を決めたいところで本塁打が出た。これも、ここまで何もかもうまく行っていいのかと思えるほどの不思議さである。
 5試合の両チーム合計安打数の差は、わずか1本であったのに4勝と1勝という差が生まれたのは、いかなるごまかしによってか。
 これは、多くの人々が指摘しているように、新庄剛志という強烈な希有なエンターテイナーが生んだ陽気さによるのではないか。

 新庄が日本シリーズの前に漏らした「ここまで来たらどっちが勝ってもいい」という発言は、誰が聞いても勝利への強い意欲を感じないものだった。しかも、シリーズが始まると、試合中も終始笑顔を見せていて、緊張感や悲壮感は全くない。
 一方、中日は、シーズン当初から日本一になることを最大の目的として1年間戦ってきたチームである。落合監督も、過去最高とも言える戦力を背景に、日本一になる自信を口にしていた。選手たちも、日本一への強い執念を持って引き締まった顔つきを見せていた。
 しかし、結果は、どっちが勝ってもいいと考えていた新庄が引っ張る日本ハムが日本一になってしまうのである。


 2.新庄剛志というエンターテイナー

 日本シリーズの流れは、第2戦の途中に中日から日本ハムに移り、そこからはシリーズ終了時まで中日に流れが戻ることがなかった。
 第4戦が終わったあと、私も、内心ではもはや中日に流れが戻ることはないのではないかと感じていたが、中日ファンの同僚に聞いてみた。
「いくら川上でも、この流れは止められないだろう。あまりにも流れが悪すぎるから」
 どこかで相手の流れを止められるきっかけとなるものがそれまでにあったらいい。だが、残念ながら、第3戦、第4戦と全くいいところを見せないまま、中日はあっさり敗れていたのだ。

 日本ハムは、ピンチになって、投手交代があると、新庄が外野陣を集めて話をする。そのときのポーズが片膝を立て、もう一方の足を後ろに伸ばし、頭にはグラブを被るという完全に観客を意識したパフォーマンスなのである。しかも、自慢の白い歯を光らせる笑顔で。確かに投手交代の合間は、観客にとっては退屈ではあるが、少し真剣さに欠けるのではないかという批判も多かったはずだ。
 それでも、2006年は、きっちり結果を残してきた。
 日本シリーズでも、その底抜けの明るさにやはりごまかされたとしか考えられないのだ。
 日本シリーズ第2戦の逆転劇のきっかけとなったのは、まぎれもなく新庄が1死1塁から山本昌の絶妙にコントロールされた外角の決め球を泳ぎながら何とか当て、ライト線にポトリと落とした1本から始まった。見ている限り、あの球をヒットにすることは容易でなかった。打者の気分が相当乗っていなければ、あのような結果にはならないはずの投球だったからである。新庄でなければ、凡打になっていた可能性は限りなく高い。
 確かに新庄は、直接、逆転打を放ったわけではない。だが、あのラッキーなヒットこそが流れを呼び込む一打だった。事実、新庄の1打で1死1、3塁になった後、次打者のときに新庄が盗塁して2死2、3塁となり、金子の逆転2点タイムリーが飛び出しているのだ。

 第5戦で日本一を決めて監督より先に胴上げされる新庄を見ながら、かつて新庄を超えるエンターテイナーがプロ野球界にいただろうか、と考えてしまった。
 私が少年の頃から応援してきた落合博満やブーマー、桑田真澄や清原和博、野茂英雄らは、いずれも超一流選手ではあったが、さまざまなパフォーマンスを中心に考えるエンターテイナーではなかった。いずれも、並外れた成績を残すことによってファンを魅了してきた選手たちだった。
 それは、近年のイチローや松井秀喜、松坂大輔らにも言えることだろう。
 野球選手という競技者として、最も必要なのは野球で少しでも良い成績を残すことであるからだ。成績度外視で、人気による集客面だけを考えて起用する監督は、まずいない。監督もまた、チームの順位が良くなければ、自らが解任されてしまうからである。

 プロ野球界にもお祭り男と呼ばれるエンターテイナーがいなかったわけではない。かつては、代打オレで有名な藤村富美男や、すべての面で華があった長嶋茂雄、浪花の春団治と呼ばれた代打男川藤幸三、ハッスルプレーと陽気な言動で沸かせた中畑清、マウンド上で吠えたり、暴れたりするアニマル、パンチパーマとお立ち台でのマイクパフォーマンスの佐藤和広らが記憶に残る。
 だが、それらは、いずれも野球のプレーがまず第一にあり、パフォーマンスは、それに付随するものでしかなかった。

 しかし、新庄は、野球とは全く関連のないパフォーマンスを随所に散りばめた。グラウンドにハーレーで登場したり、ドームの天井から宙吊りで現れたり、マジシャンのような脱出劇をグランドでやったり、バラエティー並の被り物で練習したり……。
 そんなバラエティー番組のような演出には、プロ野球はプレーでファンを呼ぶものだ、と考えている人々には不快に移ったかもしれない。
 最近では、プロボクシングの亀田兄弟が試合の前後に行う過剰な演出やボクシング以外での過剰な露出が槍玉に挙がっている。

 これらは、現代のプロスポーツのあり方において、大きな問題を提起している。
 プロスポーツ選手は、本業の競技のみに全力を注ぐべきなのか。それとも、本業以外の集客力にも力を注ぐことが必要なのか。
 大リーグを経て、日本ハムに入団した新庄は、本業の競技と同じくらいのウエイトをかけて、エンターテイナーとしての集客力アップに尽力するという革命を起こした。
 しかも、それは、想像以上の成功を収め、巨人の低迷で危ぶまれていたプロ野球人気への懸念を吹き飛ばしてしまった。日本シリーズでは北海道で瞬間視聴率が70%を超えるという奇跡まで起こした。
 ということは、もはや、プロ野球は、野球だけやっていては駄目な時代に突入したということを意味するのというのか。


  3.さらけだす個性と地域貢献の必要性

 プロ野球のニュースは、どこを見てもスポーツというカテゴリに入っている。
 だが、プロ野球は、本当にスポーツという枠だけに入るものなのか、と言えば、それは違うような気がする。
 確かに少年野球や高校野球、草野球は、まぎれもなくスポーツである。ただ、純粋に試合へ没頭していればいいからだ。
 だが、プロ野球は、観客があってこその興行である。どれほどレベルの高い試合を見せつけたところで、ファンが観に来なければ意味をなさない。

 かつて、「実力のパ、人気のセ」という言葉をよくテレビで聞かされた記憶がある。それは、1980年代から1990年代初めにかけてだったと思う。
 西武が黄金時代を築き、日本シリーズでも圧倒的な強さを誇っている時代であり、また、オールスターでもパリーグがセリーグを押していた時代でもある。それでも、依然としてプロ野球ファンの約半数は巨人ファンであり、巨人のテレビ中継は高視聴率を記録していた。一方、パリーグの各球場は、どこも閑古鳥が鳴いていた。

 ところが、FA制度や大リーグ移籍、全試合の進行状況が即座に分かるインターネットや全試合中継されるテレビ環境の変化、プロ野球チームの地域分散、交流戦の開始などにより、国民の嗜好は、どんどん多様化の道を歩んでいる。
 これにより、メディアに訴えかける個性、あるいは、地元地域との一体感が重要になってきている。

 それは、プロ野球に限らない。プロゴルフ界も、宮里三兄弟や横峯さくら親子の突出したキャラクターや沖縄の大らかさを前面に押し出して人気を高めたし、プロボクシング界も亀田親子の個性と大阪らしい挑発的な笑いによって人気を高めた。

 長嶋茂雄がかつて絶大な人気を誇ったのは、プレーに華があった以上に、プレー以外、さらにはグラウンド外で自然とさまざまな伝説的なエピソードが生まれてくる突出した個性によるところが大きかったはずだ。
 新庄は、長嶋のように自然と生まれてくるエピソードは長嶋には及ばないと感じ、自ら野球以外でさまざまなパフォーマンスを起こして突出した個性をさらけ出したのである。それが野球不毛の地であった北海道の人々の心をつかむことにもなった。
 また、日本シリーズの試合終了後にいつも日本ハムの各選手がファンにプレゼントするため、ボールにせっせとサインをしている姿が流れていた。新庄が来てから、他の選手たちも、ファンサービスにかなりの時間を割くようになったそうである。

 新庄は、パフォーマンスの一環として着用した襟付きアンダーシャツをパリーグから禁止されたとき、次のような声明を出している。
「ただ選手が新しいこと、いろいろなことにトライしていこうという気持ちがないことに寂しさを感じている。ファンのために選手個々がいろいろなことを最初にやる勇気を持ってほしい」(nikkansports.com 2006/5)

 それは、新庄が時代の流れを敏感に汲み取って、プロ野球界に忠告した最後のメッセージではなかったか。
 ただ、野球選手がプレー以外で人々を魅了するのは、たやすいことではない。世間にはプロのエンターテイナーがおり、見る目は厳しい。ちょっとファンを楽しませることをしても、すぐあきられてしまうこともあるだろう。
 プロ野球選手も、そして球団も、プレーで人々を魅了するよりも、プレー以外で人々を魅了するために、失敗を恐れず、これまでにない創造力を試していかなければならない。そんな時代が来たことを新庄は、身を持って証明してくれたのだから。




(2006年11月作成)

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