WBCの日本代表に選出される意義

山犬
 
   1.WBC出場辞退による物議

 松井秀喜は、どうしていつも「物議」の渦中に放り込まれるのだろうか。
 松井秀喜が最初に「物議」で世間を騒がせたのは、1992年。高校三年生の夏だった。
 高校生とは思えない打球を飛ばす松井に恐れをなした明徳義塾高校の監督が夏の甲子園で松井を全5打席敬遠という究極の策をとったのだ。しかも、その策は見事に当たり、松井の星陵高校は敗退してしまう。
 この事件は、高校野球ファンだけではなく、アマチュアスポーツ界、さらには一般大衆までが賛否を巡って議論した。正々堂々と潔く勝負するスポーツマンシップが大事か、どんな姑息な手を使っても勝ち抜くことにこだわる勝利至上主義が大事か。教育のあり方を多くの人々に再考させたのだ。

 そして、幸運にも抽選で巨人に入団した松井は、順風に日本人最高のスラッガーへと歩みを進めていく。常にユーモア溢れる好青年である松井は、マスコミとの関係も良好だったが、2003年からの大リーグ挑戦を表明してから、またしても周囲の喧騒に巻き込まれる。
 日本プロ野球の顔とも言える巨人の四番打者の座を捨ててまでの大リーグ挑戦なのだ。育ててもらった巨人という絶大な存在への恩を返し終えていないのに、とか、日本のプロ野球界を顧みず自己の夢をとった、という批判が噴出するのは避けて通れなかった。
 幸い、松井の人徳のせいか、大きなバッシングはなかったものの、その後、日本のプロ野球人気が一気に下降線をたどったことにより、松井の大リーグ挑戦は、いまだにプロ野球人気低迷の大きな要因として語られることも多い。何せ順調に成績を伸ばし続ける松井と異なり、巨人は年々、過去最低の人気を更新し続けているのだ。

 そんな過去から見ると松井秀喜のWBC出場辞退は、彼にとって3度目の「物議」ということになる。
 松井は、大リーグ1年目に新人王を争い、2年目にはシーズン30本塁打、3年目にはシーズン打率3割を突破するなど、大リーグのスター街道を登り続けている。だが、イチローの派手な活躍、つまり1年目から2冠王とMVP選出、そして2004年にシーズン262安打の大リーグ新記録樹立といったインパクトに比べると地味な印象は否めない。そうなると、そろそろ松井に期待されるのが個人でのタイトルと、チームのワールドシリーズ制覇なのである。
 大リーグ4年目で確固たる地位を築きつつあるとはいえ、大リーグは日本よりも遥かに厳しい世界である。日米通算200勝を達成した野茂英雄でさえ、幾度となくマイナーへ突き落とされているのだ。松井は、ただでさえ選手層が厚いヤンキースという名門チームに属している。
 松井がヤンキースで結果を残していくことの重要性を訴えてWBCを辞退するのは、当然と言ってもいいだろう。
 だが、残念なことに日本代表は、松井秀喜を四番打者に据える形が最強の布陣となるという周知の事実があった。
 WBCは、松井の他にも大リーグ1年目の城島健司や大リーグ2年目の井口忠仁をはじめとして、日本プロ野球に籍を置く選手が多く辞退を表明した。
 だが、それらの選手に松井秀喜の出場辞退ほどのインパクトはなかった。巨人で頂点を極め、名門ヤンキースへ入ってからも常に注目を浴び続ける松井には誰しも及ばないのだ。
 日本という故郷、そして日本代表という名誉が大事なのか、生活に直結するシーズンでの個人成績が大事なのか。そんな物議は、松井自身には一切責任がない。甲子園での物議も、大リーグ挑戦での物議も、WBC辞退での物議も、松井が並の選手であったなら誰も議題にすら挙げようとしなかったにちがいないからだ。すべて松井を取り巻く環境が生み出した「物議」なのである。
 おかげで2006年の松井秀喜は、日本からのちょっとした逆風の中でシーズンを過ごさなければならなくなる。


  2.サッカーW杯とWBCの格差

 日本は、3月5日の1次リーグで韓国に2−3で敗れた。1次リーグ2位までが2次リーグに進めるため、大勢に影響はなかったが、多くの人々と同じように僕も、1次リーグは軽く全勝で突破すると予想していただけに軽い衝撃を受けた。
 そうなると往生際が悪くなる。
「やっぱり松井や城島がいないからねえ」
 と。日本のプロ野球の方が韓国よりもレベルが高いのだ、という自負が松井を言い訳の道具に使ってしまうのだ。
 野球は1試合9回しかないから、かなりの実力差があっても弱いチームが強いチームに勝つということがある。これが1試合50回あれば、まず勝ち目はないだろうが、たまたま優秀な投手がいたりすれば、チームの総合力は低くても1試合勝つことは難しくない。目もくらむような大リーガーを集めたアメリカも、1次リーグでカナダに敗れているのだ。

 それを頭では分かっていても、どうしてもWBCを辞退した選手たちのことが頭から離れないのである。
 もちろん、アメリカを筆頭とする強豪各国でもWBC辞退選手を多く出している。バリー・ボンズも、マニー・ラミレスもWBCを辞退している。
 国の代表と言いながら、完璧な代表で臨んでいる国はほとんどないのが現状なのである。

 こんな状態がサッカーのW杯で考えられるだろうか。ベッカムは、W杯直前に足を骨折しても、必死の治療を施してまでして出場してきたではないか。
 日本人選手も、W杯に出ることができなくて悲嘆に暮れる選手は多くいても、W杯に大きな故障以外の理由で出場を辞退した選手がいただろうか?
 サッカーのW杯は、そもそも国の代表に選ばれて出場することが全世界のサッカー選手共通の目標となっている。
 なのに、野球のWBCは、多くの辞退選手が出て、国の代表という肩書さえくすんでしまいつつある。
 この天と地ほどの格差は一体どうして生まれてしまうのか。

 その原因は、歴史に求めることができるだろう。
 サッカーのW杯の歴史は長い。僕も、調べてみるまで知らなかったのだが、サッカーのW杯は、1930年に第1回が開催されている。
 だが、その第1回大会は、今では考えられないほど小規模である。参加国は13ヶ国。だから、予選もなく、いきなり本大会だった。
 それが、2002年の日韓共催W杯では198の国と地域が参加する世界最大級のイベントにまで成長したのである。

 これに対して2006年に開催となった第1回WBCは、16ヶ国の参加で予選も行う。どことなく第1回サッカーW杯を意識したと言えなくもない。参加国数でも、予選を行うということにおいても、サッカーのW杯を上回る出足にしてきたからだ。
 日本代表監督の王貞治監督は、WBCの意義についてこう述べている。
「第1回というのは、まず開催することが重要だ」
 この意見は、おそらく正しい。参加国数が少ないとか予選をする必要があるのかなどという批判は、今の時点では問題ではないのだ。
 最初から198の国と地域を集めて大々的に開催するなんてことは、どんなスポーツであっても不可能なのだ。スポーツ大会の歴史は、連なって続いていく過程で伝説を積み上げ、大きくなって重みを持つようになる。
 だから、僕は、今回のWBCについて辞退選手が多いとか、盛り上がりに欠けるとか言う前に、どうして今までWBCというものを開催しなかったかという足元から問い直すべきだと言わざるをえない。


  3.WBCは、なぜ今第1回なのか  

 WBCは、2006年まで実現しなかったものの、野球の世界大会としてはオリンピック、IBAFインターコンチネンタルカップ、IBAFのW杯が3本柱として存在している。
 このうち、IBAFのW杯が最も古く、1938年に第1回が開催されている。だが、このときはイギリス×アメリカ戦のみであり、W杯と呼ぶに程遠いものだった。
 1950年には参加国が2桁に乗ったものの、その後も参加国は伸び悩み、2005年の36回大会でもまだ18ヶ国の参加にとどまるなど、世界に野球を普及させたとは言いがたい現状がある。この大会は、あくまでアマチュア中心の大会であり、近年はプロの参加も積極的になってきたとはいえ、プロを含めた最強チームを作って世界一を争うという意図は出てきていない。
 1973年に始まったIBAFインターコンチネンタルカップも同様の道を歩んできたと言ってもいい。やはりアマチュア中心の大会であり、第1回の参加国は8にとどまり、2002年の第15回大会でも15ヶ国である。
 そして、この2つの大会より断然注目度の高いオリンピックが世界における野球の位置づけを雄弁に物語っている。
 野球がオリンピックに現れたのは1904年の第3回モントリオール五輪と時期は早いのだが、デモンストレーション・スポーツとして8回行われた後、消滅している。
 再びオリンピックの舞台に野球が姿を現したのは1984年のロサンゼルス五輪のときだった。ただ、このときはまだ公開競技としてであり、正式種目として採用されたのは、1992年のバルセルナ五輪からである。
 2000年のシドニー五輪ではプロの参加が可能になったものの、日本は非協力的なプロ野球球団が多く、とても日本代表と呼べる戦力が整ったとは言い難かった。もちろん、アメリカも一流大リーガーを出場させることはなかった。
 そうなるに至った理由やプロセスの違いこそあれ、野球が国を代表するスポーツであるアメリカと日本が最強チームを形成することに積極的でなかったことは確かである。
 そのことは、アマチュア選手が名を挙げるのに効果があったかもしれないが、野球を世界に普及させるという目的はほとんど達せられないままだったのである。

 WBCが2006年になって第1回大会の開催にこぎつけることができたのは、選手の各国間の行き来が活発になった国際化と、世界ではサッカーに押され続け、普及が進んでいないという危機感が生んだもの、つまり環境が作り出した大会とも言えよう。
 アメリカも日本も、これまでプロで最強のチームを作ったらアメリカが1位で日本が2位になるだろうという思い込みを長年持ち続けてきた。両国とも、プロ野球という小さな組織の上であぐらをかいて座っていたのだ。
 それは、結果的に野球という競技そのものの世界普及を遅らせるという最悪の事態を招いてしまった。実際に形として現れたのが、五輪からの野球、ソフトボール除外という決定だろう。2005年7月にIOC総会の競技存続を決める投票で野球は賛成50票、反対54票で否決、ソフトボールも賛成52票、反対52票で存続に必要な過半数を得られず、2012年ロンドン五輪での除外が決まった。
 翌2006年2月には再びIOC総会は、野球とソフトボールの復帰について討議したものの、復帰の再投票すべきかという投票で、野球は賛成42票、反対46票、ソフトボールは賛成43票、反対47票でともに否決となり、復帰を問う投票にさえ進まなかった。
 日本人の多くは、野球というスポーツがここまで世界的に低く見られていることにIOC総会で2度否決されるまで気づいていなかったようである。島国の日本にとって、アメリカから輸入した野球というスポーツは、日本最大の人気を誇っており、それがそのまま世界の評価であると錯覚していた節がある。おそらくアメリカ人の多くも、同じような錯覚に陥っていたのではないか。
 そんな状況が徐々に見えるようになってきた今、アメリカも、日本も、本気でサッカーのW杯のような大会を作っていかねば、野球は世界から取り残されてしまうという危機を感じとったのだ。
 だから2006年のWCB第1回大会は、野球の歴史上で最も重要な大会とさえ言っても過言ではないのである。


  4.WBCが持つ絶大な役割

 重要なはずのWBC第1回大会にこれほどまで出場辞退選手が出るというのは、産みの苦しみと言っていい。
 今の時点では、WBCが今度、それほどまで権威をもつ大会になっていくかなど、誰も分からない。サッカーのW杯のような世界的イベントになっていく可能性もあるし、数回で消滅してしまう可能性もないわけではない。

 だから、選手が目先のシーズン成績を重視してWBC出場を辞退しても、真っ向から自信を持って反論しようがないのだ。WBCで大怪我をして野球人生を棒に振り、さらにWBCが数回で消滅してしまおうものなら、おそらく後世まで笑いものになってしまうだろう。
 そういう意味で、松井秀喜の選択は、誤ってはいない。しかし、正しかったかと言えば、僕は、首を縦に振ることができない。

 サッカーのW杯では、日本代表選手に選出されて
「私は、Jリーグで活躍することの方が大事だから出場は辞退します」
 などと言ったら、それこそ後世までの笑いものになるだろう。それは、ほとんどすべてのJリーガーがW杯の日本代表に選出されることを最大の目標にしてプレーしているからだ。だから1998年のフランスW杯の日本代表から漏れた三浦知良は悲劇のヒーローとなったし、2002年のW杯で日本代表に選ばれなかった中村俊介は失意のどん底に追いやられた。
 オリンピックでドーピングを犯してしまう選手は、オリンピックで金メダルを獲得できたら死んでもいい、というくらいの覚悟で使用してしまうのだという。陸上やスケートなどの選手たちは、オリンピック代表に選出されることを目標に4年間厳しい練習を続けているのだ。
 サッカーのW杯やオリンピックがその競技をする全選手の目標であるように、WBCの日本代表に選ばれることが日本の全野球選手の目標となることを僕は願っている。

 今は草創期である。故障する危機。結果を出せず叩かれて評価を下げる危機。シーズンに向けて万全の調整ができなくなる危機。まだ権威がない不安定な大会。
 そんな大きな不安を抱える状況にありながら、WBC出場に踏み切ったイチローをはじめとする日本のプロ野球選手に僕は敬意を表したい。
 そして、参加を最後まで渋った日本プロ野球機構と日本プロ野球選手会、そして出場を辞退した日本人選手には敢えて苦言を呈したい。

 野球が世界のスポーツとして認められていない現状を考えると、WBCの第1回大会が次へつながる実績を残さなければ、野球の将来は暗くなる。
 今後、どんどんWBCの参加国を増やして行かない限り、野球がオリンピックに復帰することはないだろう。それゆえ、WBCは、ヨーロッパやアフリカ、西・南アジア、南米といった野球が普及していない地域に野球の魅力を伝える義務を背負っている。
 長期的な展望をすれば、WBCの日本代表に選出されることは、サッカーのW杯の日本代表やオリンピックの日本代表に選出されることと何ら遜色ないのである。
 日本のプロ野球界、そして、日本人選手は、そのことを踏まえて、日本代表に選出されることの重みを受け止めてもらいたい。
 たとえ、WBCで故障してその後の野球人生に影響が出るとしても、WBCに出場するということは世界の野球史の中にそれ以上の名誉を刻み込むこととなるにちがいないからである。




(2006年3月作成)

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