記録がプロ野球の魅力を引き出す
  〜記録を探求し続けた宇佐美徹也の功績〜


犬山 翔太
 
 1.「記録の神様」と呼ばれた男

 「宇佐美徹也」という名前を聴いて「野球の記録」が思い浮かぶ人は、かなりの野球好きである。
 私も、大学生になるまで彼の存在は知らなかった。子供の頃は、テレビ、新聞、ラジオで野球を見たり聴いたりするのが日々の楽しみで、さすがに野球本を買ってまでは読まなかったからである。
 その後、大学生になって受験戦争から解放されたこともあり、私は、よく帰宅途中に本屋へ寄って野球本、野球雑誌を買うようになった。
 そんなときに見つけたのが講談社文庫で発売となった『プロ野球データブック』(1995年3月)である。文庫本なのに847頁もある分厚さにまず驚かされたが、内容もまさに目から鱗が落ちるものだった。

 当時、私が楽しんでいたのは、ただ日々開催となる現在時点のプロ野球であり、もはや引退してしまった選手の記録や衰えて代打や中継ぎでしか登場しない選手のことにはほとんど興味がなかった。
 しかし、宇佐美の本は、私が知らない過去の優れた記録で埋まっていて、綿密なデータベースとともに丁寧な解説が加えてあって読む者を過去のプロ野球の世界へ連れて行ってくれるのである。そして、監督やコーチをやっている人々が球史に残る伝説や記録を残してくれたことを知り、見る目が変わった。

 それからというもの、私は、視野を広げて野球の楽しみ方に幅を広げて行く。史上何人目の記録であったり、日本新記録やリーグ新記録、さらには通算記録の積み重ねにまで興味を持って見るようになった。
 さらに毎年、宇佐美が監修を務めて発売となる実業之日本社の『プロ野球全記録』も購入するようになった。大学で野球史を題材としてレポートを作成したこともあったし、友人との間でも記録について語ることが多くなった。
 大学を卒業後、私は、子供の頃から親しんできたプロ野球の魅力を多くの人に伝えたいと考えるようになり、自らホームページを制作することになるのだが、その根源にあったのは、宇佐美が作り上げた野球記録本なのである。

 その宇佐美が2009年5月17日に亡くなったことをインターネットのニュースで知った。各メディアでは、それほど大きな扱いをしていなかったのが、私には少し意外だった。
 確かに野球本と言えば、現役の選手や引退後の選手が書いた自伝や、ルポタージュやノンフィクションの形態をとったスポーツライターによる作品ばかりが注目を集める。
 その中で過去の記録に焦点を当てた野球本は、一部の野球マニアにしかその価値の高さは認められていないように感じる。日本には、未だ現在の華だけをもてはやす偏りがあまりにも酷いのである。


 2.記録から選手をよみがえらせた功績

 プロ野球の監督とコーチ、テレビやラジオのプロ野球解説者などは、その多くが現役時代、名選手として偉大な記録を残した人物である。
 しかし、プロ野球ファンは、若ければ若いほど、過去の名選手のプレーを実際には見ていない。そのため、いかに偉大な記録を残していても、現在、現役でプレーしている控えのプロ野球選手の方にファンは群がる。

 少し前、こういう話をテレビで見た。
 桑田真澄が松坂大輔と一緒にいると、野球少年は、松坂にだけサインをもらっていく。なので、松坂が気を遣ってしまう。でも、桑田は、仕方のないことだと微笑む。
 このとき、松坂は全盛期だが、桑田は現役の晩年である。注目度は歴然としているから少年の英雄は松坂なのだ。同じように、桑田と金田正一が一緒にいると、野球少年は、桑田にだけサインをもらっていく。そういうものなんだ、と。

 過去は、現在よりも過小評価される。それは、いかなるスポーツにおいても言えるのだが、必要以上に過小評価しているように感じる。それは、記録が長い間、日の目を見ない存在となっていたからだろう。

 テレビでは、過去の記録を詳細に記したデータ表を画面で見せることはまずない。現在の選手が日本記録やリーグ記録に並んだり、抜いたりしたときだけ、簡単に紹介されるのみである。それは、ラジオも変わらない。新聞では、データ表が掲載されることもあるが、それもわずか1日のことなので、人々の記憶からはすぐに消えて行く。
 人々の記憶へ鮮烈に残るのは、テレビで何度も繰り返し放送する劇的なドラマである。たとえば、長嶋茂雄の天覧試合での本塁打や王貞治の本塁打世界記録達成、1988年の10.19、1994年の10.8など。しかも、実際にリアルタイムで熱狂した人々にとっては、思い出として残る記憶が度々映像として現れることによって、その伝説に価値を感じるのである。

 だが、そうした鮮烈なドラマのみがメディアで過剰に流されることによって、比較的地味な記録の数々が歴史の中に埋もれて行ってしまうことになった。
 そうした地味だが偉大な記録の数々を発掘する作業をした第一人者が宇佐美徹也なのである。
 彼の功績の中でも伝説的に語られるのが、日本でいち早くセーブという記録に注目したことである。宇佐美は、当時、先発完投型の投手がまだ幅を効かせ、美徳とされていた時代に、クローザーの重要性を見い出し、1974年に日本プロ野球がセーブを導入するきっかけを作りだしたと言われる。
 確かにセーブの価値は、現在でも年々増しているのだが、私が彼に多大な功績を感じたのは、セーブがまだなかった時代にまで遡って記録を集計し、江夏豊の通算セーブポイント数が300となることを突き止めたことである。そうなると、江夏は、通算200勝を達成しながら通算300セーブポイントも達成していたわけであり、まさに空前絶後の万能投手であったことが明らかになるのだ。

 近年は、セーブに次ぐ存在としてホールドポイントも脚光を浴び始めているが、ホールドポイントがなかった時代まで遡って記録を集計する者がいないのは、逆に宇佐美の偉大さを浮き彫りにしていると言えよう。
 そして、宇佐美は、記録が時代とともに更新されていく過程を文章として描き上げ、記録の重みと魅力を読者に伝え続けたのである。それは、歴史を俯瞰して、名選手たちをよみがえらせる作業であり、まさに野球史を編纂したと言っても過言ではない。

 また、宇佐美は、記録のために本来の職務を全うできなくなることには批判的で、シーズン終盤に本塁打王や首位打者争いで起きる四球合戦には常に苦言を呈する立場を貫いている。
 それは、セーブ記録においても変わることはなく、連続試合セーブ、連続試合セーブポイントのために同点や僅差のビハインドでは登板させない、という風潮には厳しく批判した。
 宇佐美と同年代には侍や野武士と形容される選手たちが数多くいたように、宇佐美もまた武士道のように、本来あるべきスポーツマンの姿にこだわった侍だったのである。


 3.記録から見えるプロ野球の魅力

 野球は、他のスポーツに比べて圧倒的に記録の種類が豊富である。サッカーでは得失点以外にシュート数やコーナーキック数、警告数、選手交代など記録に残るものは少ない。しかし、野球は、投手の投げる1球1球や打者の1スイングまでもが記録として残り、その記録を見るだけで試合の全容を想像することが可能である。

 それだけに、プロ野球においても記録は、最も重要とさえ言えるのだが、日本人がプロ野球の記録を重視するようになったのは、ごく最近のことである。
 私が学生の頃は、まだインターネットが流行し始めた頃で、プロ野球の記録に詳しいサイトや1球1球を詳細に速報してくれるサイト、過去の名プレーを見せてくれる動画サイトも存在しなかった。
 日本は、テレビのスポーツニュースやスポーツ新聞が発達していて前日のプロ野球であれば、ポイントとなる大抵のプレーは、状況を知ることができる。しかし、かつては試合後、2日経過すると、もはやどこのテレビや新聞でも見ることはできず、それを既に知っている人々の記憶の中だけで生き続けざるをえなかった。
 そんな中で宇佐美は、人々が見落としているような記録にも焦点を当て、過去の選手が作り上げた功績をデータ表や文章としてよみがえらせた。試合の流れやプレーが起きた状況を詳細に描き、ときにはその時代背景までをも描いた。

 そうした積み重ねがインターネット隆盛の時代を迎えて、ようやく日本人の中に根付いてきている。
 それは、インターネット上でプロ野球を報道する各メディア、Youtubeを代表とする動画サイトやWikipediaを代表とする百科事典サイト、そして個人のサイトやブログが大きな役割を果たすようになったためである。
 現在では、かなりのマニアでないと知らないような記録も、検索を重ねれば見つけ出せることが多い。そして、それを描いた文章も、ブログを中心とした個人発信のページで、生き続けていたりする。
 新聞は、1週間もすれば束ねられてもう2度と開かれることはなかったりするが、インターネットは、削除しない限り残り続けてくれる。誰もが見たい時に、過去の記録を見つけ出すことができるのだ。
 プロ野球の記録は、本来そうあるものだと考えていたのがおそらく宇佐美だったにちがいない。それゆえに生涯かけて分厚いデータブックを作り続けたのだ。
 私は、より多くの人々がその目で見たプレーをどこかに記録として、文章として残してもらいたいと願う。宇佐美ほどの分厚い本が作れないとしても、そうした人々の記録が重なることで、プロ野球の些細な記録も伝説となり、後世に語り継がれるはずだからである。




(2009年6月作成)

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