何歳まで盗塁王を獲得できるのか  〜赤星憲広の30代〜

山犬
 
 1.盗塁を自重する少年たち

 先月、日曜日に仕事が入っていた僕は、嫌々ながら出張先の仕事場に向かったのだが、そこの裏にあるグラウンドで少年野球の試合をやっていた。
 せっかくだからと、僕は、仕事の空き時間を少年野球の試合を見て過ごした。見た感じは、小学校の高学年くらいだろうか。
 小学時代から大学時代まで野球に打ち込んだ同僚も、気になったのか見に来ていた。
「あの子はいいバッティングだ、スイングがしっかりしている」とか「このピッチャーは、どうも肘の使い方が悪い。担ぐように力任せに投げてる」などと、ちょっとした野球談義に花を咲かせていたが、見ていてどうも気になることがいくつかあった。
「やけに左打者が多いね。これは、イチロー、松井の影響なのかな」
 僕がつぶやくと、隣では同僚が解説してくれる。
「それもあるだろうけど、俺の時代から入部してきた生徒には左打ちの練習をさせてみるという指導があったよ。このチームも、そうなんじゃないかな」
 確かに左打者は有利だと言われる。だが、入部してきた全員に左打ちの練習をさせるというのはやりすぎではないか。僕がぶつぶつ言っていると同僚は補足する。
「でも、左打ちの練習をしたからと言って全員、左打ちがものになるわけじゃないからね。少年野球だとホームから一塁が近いから左打者はかなり有利になるし、ほとんどが右ピッチャーだから打ちやすくもなる。チームとして勝つためには左打者が多ければ多いほどいいんだ」
 釈然としないが、試合を見ていると納得せざるを得ない場面に出くわす。左打者の打球にあせってゴロをこぼしてしまったり、一塁へ悪送球してしまったり。勝つためには少しでも有利になるチーム作りをするなら必然である。

 だが、そんなレベルの少年野球であっても、ランナーが一向に盗塁しようとしないのだ。そのせいで点もあまり入らない。塁間も狭く投球フォームも大きいから盗塁をしようとすれば、すぐできるはずなのに。
「この試合のルールは、盗塁禁止でやってるのかな」
 同僚は、即座に首を横に振る。
「いや、そんなはずはない。盗塁有りだけど、なかなか盗塁をする勇気がないんだよ。塁間は狭いけど、子供は足も遅いから結構アウトになる。せっかくランナーに出ても、盗塁を失敗したら監督にひどく怒られる。だから、なかなか走れないんだ」
 実際、ランナーがちょっとしたワイルドピッチで進んだことがあった。ということは、やはり盗塁も許されているようだ。
 走れば成功して当たり前。盗塁と暴走が紙一重であるならば、誰もが自重するのも仕方ないことなのだ。
 
 幼すぎて速く走れない。
 そして、中学生、高校生……と進むにつれて速く走れるようになり、また年老いて走れなくなっていく。
 幼すぎて走れなかった少年がいるように、おそらくは年老いて走れなくなった大人もいるだろう。
 僕も、最近、年齢が気になるようになった。もし陸上選手だったならそろそろ引退を考える年齢でもある。走ってみると、学生の頃よりかなり遅い。100メートルを走れば、1秒くらい遅くなっているだろう。
 プロ野球で頂点を極めた盗塁王でも、いずれは皆、走れなくなって引退していく。避けようのない事実ではあるが、まだ気になることはあった。
 

 2.盗塁王の行く末

 2006年6月9日、阪神の赤星憲広が左足捻挫のため、試合を欠場した。2001年から2005年まで5年連続盗塁王に輝いた赤星も、2006年の盗塁数は例年の勢いがなく、伸び悩んでいる。
 そんなときに左足の負傷である。6月8日の試合で外野飛球を追ってフェンスに激突した際に捻ったらしい。
 赤星のような常に盗塁を期待される選手でなければ、少々の足の負傷など気にとめるほどのことではないだろうが、赤星は、目下5年連続盗塁王である。0.1秒次のベースに早く到達できるかどうかによって成功か失敗かを判定されるシビアな世界に身を委ねる選手なのだ。
 足の故障がどれほど影響を及ぼすかは想像に難くない。
 幸い軽症のようで復帰後は元気に盗塁を決めているが、一つ間違えば取り返しのつかないことになっていた可能性もある。完璧に治らない故障とか、癖になって頻繁に再発する故障だってあるのだ。
 気にすれば、どこまでも気になるものである。

 僕は、野村謙二郎の盗塁の記録を見ていて、あまりの落差に驚いたことがある。入団後、順風満帆な7年を送った野村は、185盗塁を積み重ねる。盗塁王は3度獲得した。
 しかし、1996年に足首を痛めた野村は、その後股関節の故障にも苦しめられ、プロ11年目からは、ほとんど盗塁をできなくなる。プロ10年目までに234盗塁を積み重ねたものの、その後の7年間の選手生活で積み重ねた盗塁は、わずかに16。走攻守揃ったプレーヤーは、走を失った。
 走がなければ、攻守にも少なからず影響が出る。それまでいとも簡単にシーズン150安打以上を放っていたバットにも陰りが出てくる。野村は、そんな苦境の中で、バッティング技術や経験を頼りに努力と気力で2000本安打を達成したと言っていい。
 俊足を武器に多くの盗塁を稼ぎ出した選手は、走れなくなったとき、高く大きな壁にぶち当たるのである。

 盗塁王と言えば、大リーグの盗塁記録を塗り替えて「世界の盗塁王」と呼ばれた福本豊がまず思い浮かぶ。現在でも通算最多盗塁1065とシーズン最多盗塁106は日本記録である。
 福本は、1970年から1982年まで13年連続盗塁王という、おそらくは不滅の金字塔を打ち立てた。
 1983年も盗塁王こそ大石大二郎に譲ったものの、55盗塁と前年より1つ上乗せしている。だが、その翌年から福本の盗塁数は減じていく。36歳の1984年に36、1985年23、1986年23、1987年6、1988年3。
 20代は、確実にシーズン60個以上決めていた盗塁が32歳のシーズンから50台に減り、そして36歳で30台、39歳だった1987年は、ついに1桁になってしまう。
 24歳で106盗塁を記録した俊足も、40歳には3個にまで減り、引退することになる。
 走れない少年の悲哀を僕は、福本の40歳での数字にも感じてしまう。
 通算596盗塁を残した広瀬叔功も、8月で39歳となる1975年のシーズンに10盗塁を記録したものの、翌年には2盗塁しか決められなかった。
 通算579盗塁を決めた柴田勲も、34歳で34盗塁を決めて盗塁王になったものの、35歳で10盗塁、37歳で1盗塁に終わり、引退している。
 年齢とともに、打撃成績も落ちていくので、一概に言うことはできないが、30代になれば、衰えや故障、意欲の低下によって、盗塁数が落ち始める。そして、30代後半には激減して40代になるとほとんど盗塁をできなくなってしまう。
 40代の盗塁王は、今まで存在したことは無い。それどころか、36歳以上の盗塁王も今まで存在していないのである。

  高齢の盗塁王の上位選手を挙げてみるとこうなる。
選手名 盗塁数 年齢
大石大二郎 1993年 31 10月に35歳
福本豊 1982年 54 11月に35歳
柴田勲 1978年 34 2月に34歳
飯田徳治 1957年 40 4月に33歳
古葉竹識 1968年 39 4月に32歳
高木守道 1973年 28 7月に32歳

 32歳以上の盗塁王さえ、6人しかいないではないか。
 若い頃は、故障も少なく、少々打撃の調子が悪くてもそれを取り返すために走ってみたりもできる。だが、歳をとって何度も故障を経験し、さらに打撃も下降線をたどるとどうしてもそれができなくなってしまうのだろう。
 赤星は、2006年に大台となる30代に突入した。亜細亜大学から社会人野球のJR東日本を経て入団した赤星にとって、プロ6年目で早くも30代を迎えることになった。
 とうとう一般的には盗塁数が落ち始める年齢に来たわけである。そこへ来ての故障は、やはり心配の種となる。
 バッティングも一流のものをもっているだけに、赤星は、もし走を失ったとしても、アベレージヒッターとして生き残ることは可能である。
 だが、僕たちが見たいのは、福本のシーズン記録や通算記録を破れないとしても、そこにどこまで近づけるかという夢である。
 赤星の足には、多くの人々の希望が詰まっている。だからこそ、足の故障には細心の注意を払って欲しいのだ。


 3.故障を最小限に

 今更言うまでもないことだが、スポーツをする上で、足は重要である。どんなスポーツでも、走り込みを重視するのは、どれだけ足の状態が成績に直結するかを雄弁に物語っている。
 投手では、内転筋を痛めたりすると、それが投手人生を左右することもあるし、打者は足首や膝を痛めると踏ん張りが利かなくなって飛距離が落ちたりする。
 それでは足だけが重要なのかと言われれば、そういうわけでもない。肩や肘、手、腰など、体のすべての部分が軽視できない。

 以前、ある大投手が、現役時代はどんなことがあっても利き腕では重いものを持たないようにしていた、という逸話を聞いたことがある。
 プロである以上、その程度の心がけは当たり前のことであるかもしれないが、実際には避けられるはずの故障で野球人生を暗転させてしまう選手は一向に減らない。中には不可避の故障もあるだろうが、避けられるべき故障の方が多いのではないか。
 一つのプレーが試合の流れを左右するだけに無理をしてでもボールに向かって行こうという気持ちは分かる。そのぎりぎりのプレーこそがプロの技なのだというのも僕は否定しない。
 だが、それによって自らの野球人生を暗転させることになるかもしれないという慎重さもまた重視すべきである。高校野球では一つ負ければ終わりというトーナメントの試合がほとんどなだけに無理をしても仕方ない面があるが、プロは、完璧な状態で毎試合プレーして年間を通してファンを魅了するという義務を持つ。

 確かにレギュラーを獲得してから引退するまで全試合の全イニングに出場できた選手はいない。
 故障をせずにプロフェッショナルなプレーを見せる。それは、一見、両極に対峙して交わることさえ困難そうではある。
 だが、理想として1試合たりとも休まずにプレーすることを心がけることこそ、職業野球としてのプロではないか。

 松井秀喜は、2006年、ついに守備中の手首骨折によって10年以上にわたって継続してきた連続試合出場が途切れたが、彼が心がけていたのは常に出場し続けることである。
 スタジアムには一生に一度しか来られないファンもいる。そういう人にも自らのプレーを見てもらいたいのだ。
 松井が常に念頭に置いてきたのは、その日のその瞬間にしか見てもらえないファンのためにプレーしている姿を見せることである。
 そういう意味では松井は、今回の故障を野球人生最大のミスだと心のどこかで悔やんでいるにちがいない。スポーツに怪我はつきものとはいえ、怪我をせずにプレーしている選手が存在する以上、それは、過失でもある。

 通算記録の上位に名を連ねる名選手たちに共通して言えることは、自らの野球人生を暗転させるような故障を最小限に抑えたということである。
 松井や赤星の今回の故障は、症状としては野球人生に関わるほど重いものではないとしても、一つ間違えば、という危険性を孕んでいる。
 それゆえに、たとえ守備であっても、目の前に潜む危険を回避できる判断をして欲しいのである。

 赤星には、5年連続盗塁王を達成し、積み上げてきたものを無にするようなことはして欲しくない。自らに託された希望を壊して欲しくないのである。
 確かにスピードは、30代半ばになれば年々落ちていく。しかし、それを補う注意力とタフさ、技術と強い勇気があれば、40代になっても2桁の盗塁をすることは可能ではないだろうか。
 かつて王貞治は、40歳でシーズン30本塁打を残しながら、惜しまれつつ引退した。それならば、40歳で30盗塁をして、惜しまれつつ引退する選手が現れてもいいのではないか。これだけスポーツ科学が進歩し、さまざまなトレーニング設備がある時代なのだから。
 気を抜かず、無茶なプレーを回避すれば、ほとんどの故障は防げるはずである。赤星は、自らの足を大切にし、通算1000盗塁に少しでも近い成績を残して40代で30盗塁くらいして惜しまれながら引退してもらいたい。それは、最近、どうも小さな故障をしがちになってきた僕たちの世代の夢でもある。




(2006年6月作成)

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