鳥取城北高校 取り戻した夏 〜2005年夏の高校野球〜

山犬
 
 2005年6月22日、鳥取城北高校の対外試合禁止1年間という処分が2ヶ月間短縮となることが決まった。これにより7月16日から始まる夏の鳥取大会への参加が可能となった。

 1度下された判定はもはや覆ることがないのか、とあきらめかけていた僕にとって、この急転直下のニュースをにわかには信じることができなかった。2月に下された2004年9月8日から2005年9月7日まで対外試合禁止という、チーム全体に重い罪を被せる一律な処分。その処分に苦悩する保護者や生徒たちの心情を知らされた僕は、以前から感じていた憤りをストレートにこの場に書き、様々な意見や感想をいただいた。
 そのほとんどが処分を重過ぎるというものであり、多くの共感をもらったものの、処分の軽減を求めるすべが僕には思いつかず、しゃにむに行動に出る勇気もなかった。それでも、保護者をはじめとする関係者の方々は、粘り強く、あきらめずに奔走し続けた。

 処分解除の理由は、「指導体制の改善」と発表されたが、むしろ、それ以上に保護者をはじめとする関係者の方々の熱意が実を結んだと言うべきだろう。
 まさに奇跡のような展開だった。処分の解除に向けて尽力された方々、意見や感想をくださった方々に感謝し、夏の大会での鳥取城北高校の活躍に期待したい。
 
2005年6月25日 山犬
 2005年夏の鳥取大会に出場した鳥取城北高校は、初戦となった2回戦の倉吉東高校戦に7−0で勝つと、準々決勝の鳥取育英高校戦も6−2で勝利を収め、ベスト4に進出した。
 準決勝となった米子西高校戦では常に先手を取る展開で8回裏に1点を勝ち越し、4−3として、決勝進出まで9回表を抑えるのみというところまでこぎつけた。
 しかし、鳥取城北高校は、9回表に米子西高校の猛反撃を許し、2本の本塁打を浴びるなど一挙に4点を奪われて試合をひっくり返され、惜しくも4−7で決勝進出を逃した。
 それでも、夏の大会直前まで対外試合禁止だったことで実戦感覚があまりにも乏しい中、あと一歩で決勝進出というところまで躍進した鳥取城北高校の奮闘ぶりに、多くの人々が勇気と希望を共有できたはずである。
2005年7月31日 山犬

1年間の対外試合禁止処分の軽減を  〜鳥取城北高校を夏の大会に〜
山犬
 1.またか、で済まされがちなニュース

 2005年2月2日、日本学生野球協会は、鳥取県の鳥取城北高校を1年間の対外試合禁止処分とした。期間は2004年9月8日から2005年9月7日まで。
 1年間という長期間にわたって対外試合を禁止するのは異例中の異例である。鳥取城北高校は、既に2004年の秋季県大会を出場辞退していたが、今回の処分により、春季県大会も、そして、夏の甲子園を目指す夏の鳥取大会も出場できなくなった。
 その事実が意味するものは、新チームとなった鳥取城北高校2年生、つまり2005年4月から3年生になる野球部員たちの最上級生としての1年間が奪われたということである。

 僕は、このニュースを最初、流し読みしていた。それは、他にもさまざまな対外試合禁止処分や謹慎処分があったせいでもあるし、鳥取城北高校が全国的にあまり馴染みのない高校名だったせいでもある。
 インターネットが隆盛となった昨今、目にしたニュースも、次の日には忘れてしまっていることが多い。鳥取城北高校の対外試合禁止処分も、そんな一過性のニュースとして忘れ去られてしまいそうな危惧を含んでいた。対外試合禁止処分や謹慎処分なんて、何年かに1回とかじゃなく、毎回毎回途切れることなく存在する。「またか」で済まされるほど、ありきたりのニュースに成り下がっているのだ。
 今回のニュースも、しばらくすれば、僕の頭の片隅からも、消えて行ってしまうにちがいなかった。


 2.見逃してしまうところだった重大さ

 ニュースが流れて2週間が過ぎようとしていた2月14日、僕は、鳥取城北高校野球部員の保護者の方からメールをいただいた。僕がホームページに掲載したコラムNo.4「閉ざされた夏 〜PL学園6ヶ月の対外試合禁止〜」を目にしていただいたのがきっかけだった。
 僕は、桑田真澄・清原和博がいたPL学園に魅了されて以来、PL学園のファンになった。いつかまたPL学園から彼らのような大選手が現れるのではないか。それを毎年楽しみにしている。
 ところが2001年6月、PL学園が夏の大会参加差し止めの処分を受け、7月には追い討ちをかけるように対外試合禁止6ヶ月を言い渡されたのである。その理由は、野球部内・寮での暴力行為の多発。
 この処分により、PL学園は、夏の大会に参加できないばかりか、春のセンバツ大会の選考基準にもなる秋の地方大会にも参加できなくなったのである。
 あのとき、僕が受けた衝撃は大きかった。個人ではなく、チーム全体に責任を被せてしまう高野連と学生野球協会のやり方に憤ったものだった。

 だが、その一方で、PL学園という全国的に知名度の高い高校に必要以上の厳しい処分を与えて、全国に警鐘を鳴らし、今後はそんな重い処分を課すことはないのではないか、という楽観的な見方もした。
 実際、翌2002年の春のセンバツ大会で福岡工大城東高校に対して高野連が行った処分は、処分の緩和を感じずにはいられなかった。
 その不祥事は、甲子園の観客の目の前で起こった。1回戦で福岡工大城東高校の副部長が相手投手の配球の癖と攻略法を書いたメモをボールボーイの控え選手に渡したのである。それは、不正行為にあたり、処分の対象となる。だが、高野連は、城東高校の2回戦出場辞退の申し入れを受理せず、2回戦に出場させたのである。下した処分は副部長の謹慎と部長の変更。
 チームに責任を被せないこの処分を僕は、英断だと喜んだ。

 しかし、2005年2月2日の鳥取城北高校に対する処分は、PL学園に対する処分以上に厳しくなって、しかもチーム全体に責任を被せる伝統的な処分を踏襲していた。
 2004年9月8日から2005年9月7日までの1年間、対外試合を行うことができないということは、新チーム結成後、次の学年のチームに入れ替わるまで全くチームとして機能することができないということである。高校で部活動を行う平均2年4ヶ月程度のうちの1年間は大きい。
 これを自業自得という単純な言葉だけで終わらせてしまっていいのだろうか。
 最上級生としての1年間というのは、プロ野球で言えば、レギュラーとして働く十数年間に匹敵する。秋も春も夏も大会に出られないということは、受験生が私立大学の試験も国立大学の試験も専門学校の試験も受けられないのと同じではないか。
 僕は、ここに至って初めて事の重大さを知った。


 3.あまりにも重すぎる処分

 鳥取城北高校は、地元では「いつ甲子園に出場してもおかしくない」と言われるほどの強豪校である。
 広島カープで活躍した川口和久投手や、2005年に阪神へ自由獲得枠で入団した能美篤史投手の母校でもある。特に川口投手は、広島カープで一時代を築き、最多奪三振3度を記録するなどプロ通算139勝を挙げた大投手だった。
 彼らが在籍していた当時も甲子園とは無縁だったが、ここ近年は安定して好成績を残している。数年前には21世紀枠鳥取県推薦校にも選ばれている有望校だった。
 2000年秋の県大会では優勝を果たし、2002年秋の県大会でも準優勝に輝く。2003年夏の県大会ではベスト4、秋の県大会でもベスト4という成績を残した。
 地元では鳥取城北高校の念願の甲子園出場を今度こそは、と期待していた人々も多いはずだ。

 そんな2004年9月、不祥事が明るみに出る。野球部員が下級生の頬に包丁の背を当てて脅す暴力行為が発覚したのだ。刑事ドラマの1シーンのように強烈なインパクトを持ったこの不祥事は、全国に報道される。
 鳥取城北高校は、秋の県大会を出場辞退し、活動を自粛する。
 その後、事態の究明に躍起になった高野連やマスコミ、それにあおられるように高校内でも綿密な調査が行われたことにより、新たな不祥事が次々に発覚する。
 11月24日、日本高野連は、ついに鳥取城北高校について、有期の対外試合禁止処分を日本学生野球協会審査室に上申することを決めた。
 そして、2月2日、日本学生野球協会は、鳥取城北高校に対外試合禁止1年間の処分を下す。同時に部長、監督、顧問、コーチには1年間の謹慎処分とした。
 部員の半数以上にあたる26人が部内で日常的に暴力行為を行うなど、計84件にものぼる暴力、窃盗、窃盗品売買があったという。

 確かに数え上げられた不祥事の数は、過去に類を見ないほど多く、処分は重くて当然のように見えてしまうかもしれない。高校野球の象徴である「健全なスポーツ精神」「道徳教育」に反していることは疑いない。
 だが、明るみになった不祥事によって、高野連や学生野球協会が高校生の輝くべき人生の1ページを一方的に奪ってしまうことに対し、大きな憤りを覚える者はいないだろうか。


 4.やるせない憤り

 僕には、今回の処分が度を超して重すぎる処分と思えてならない。秋、春、夏の大会すべてに出場できない処分は、野球をする高校生にとって死刑宣告を受けたに等しい。
 だから、僕は、その処分に対して2点の疑問を投げかけたい。

 @チーム全体を1年間もの間、対外試合禁止とする必要はあるのか

 鳥取城北高校は、事件が明るみになった9月から対外活動を自粛し、秋の県大会も出場を辞退した。その後、数々の報道により、全国的に不祥事の情報は行き渡り、県内外から非難の矢面に立たされたことで、社会的な制裁は受けている。部員たちは、不祥事発覚後、台風被害の復旧活動に参加するなど、ボランティア活動を行った。
 そのあたりを考慮すれば、情状酌量の余地はあるのではないだろうか。
 それに、不祥事発覚から既に半年近くが経過した2月に、対外試合禁止処分にするとはあまりにも遅すぎる処分決定ではないか。
 1年間もの間、対外試合を禁止されてしまえば、新チームの最上級生は汚名を返上する機会を永久になくしてしまう。
 チームの約半数が不祥事に関わっていたとはいえ、不祥事に関わっていなかった生徒も半数近くいる。中には暴力を振るわれていた側の被害者もいるわけである。彼らをもひっくるめて、チーム全体に対して処分を行う決定は、無実の者までも罪を共有させてしまう冤罪判定になってしまわないのだろうか。


 A個々の暴力行為や窃盗などについてそれぞれ検討し、不祥事の大きさに応じて個々に処分すべきではないのか

 チーム全体に対して対外禁止処分というのは、集団主義の考え方に基づいた連帯責任である。確かに不祥事を起こした生徒に対して指導が行き届かなかった責任は、指導していた教職員がその程度に応じて連帯してとる必要はあるだろう。
 しかし、暴力行為や窃盗、窃盗品売買というものは、チームで行っているわけではない。誰かが先頭に立ってグループを作っていたとしても、それぞれ個人によって罪の重さは違う。数十件もの不祥事に関わっていた生徒もいれば、無理やり2、3件の不祥事に関わらされた生徒もいるはずである。
 暴力行為や窃盗などというものは、身近な高校でも一部の優良校以外では多かれ少なかれ見られることを僕は知っている。おそらく、全国の高校の至るところで見られるはずだ。鳥取城北高校のような徹底調査をすれば、全国のほとんどの高校が対外試合禁止処分になってしまうはずだ。そういった意味では不公平な処分とも言える。
 また、今回の処分は、「チームの対外試合を1年間禁止」というあまりにも大まかな処分で、不祥事の事例数だけにこだわりすぎてはいないだろうか。長く放置しておけば不祥事の事例数が増えるのは当然のことで、不祥事を早期に認識できなかった教職員側の責任が圧倒的に大きい。
 そういった観点から、生徒に対する処分を軽くして、教職員に対する処分を重くするという方法が妥当ではないか。生徒に対しても一括りでなく、個々の不祥事の程度に応じて処分すべきではないだろうか。


 以上の2点の疑問に対して、僕は、納得のできる答えがほしい。
 警察でも、裁判官でもない高野連や学生野球協会が、多くの生徒の夢と青春を1年間にわたって奪い取ってしまっていいのだろうか。僕には、あまりにも生徒やその家族の心情を考慮していない処分と思える。僕は、これを教育と呼びたくない。
 高校野球の試合は、運転免許のように、1度取り上げらたらまた取り直せばいいものとは違うのだ。失った機会は、もう2度と訪れない。
 僕は、鳥取城北高校の対外試合禁止1年という、あまりにも理不尽に重い処分が軽減されることを願っている。
 せめて、夏の大会くらいは出場できなければ、鳥取城北高校で野球をやってきた生徒やその家族、そして関係者たちの人生の夢舞台と幾多の努力・成長を無に帰してしまうことになるのだから。





(2005年2月作成)

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