スポーツ界の体罰根絶のために
 〜桜宮高校の体罰問題から期待する波及効果〜


犬山 翔太
 
  1.変わりつつある体罰の認識

 大阪市立桜宮高校でバスケットボール部の男子生徒が体罰を苦に自殺してしまったニュースが様々なスポーツに波及している。
 おそらく、これまでもニュースにならずとも、同じような事件が全国で起こっていたはずである。
 私も、当初は、バスケットボール部顧問の辞任で丸く収まると思っていた。

 しかし、事態は、大阪市の橋下市長が桜宮高校体育科・スポーツ健康科学科の入試中止を決定したことで、全国に体罰の是非をめぐって議論が活発になっている。
 確かに、かつては、スポーツ部内での体罰やいじめは、さも当たり前のようにとらえられていた。私が学生だった20年ほど前には、教師の体罰や上級生から下級生へのいじめは、体育会系としての伝統として肯定的にとらえられていた。

 以前、バラエティー番組では、芸能人が少年の頃、野球部で生徒全員が一列に並ばされて順番にびんたされたことが笑い話になっているのを見たことがある。その程度の認識だったのだ。
 私が中学生の頃、入っていた卓球部の顧問が柔道家の教師になったことがある。その中学校には柔道部がなく、卓球経験者の教師もいなかったことから、卓球部に回されてきたのである。
 当然、その教師は、卓球ができなかったが、指導は厳しかった。休み癖の直らない生徒や課された練習をこなさない生徒に対しては、暴力も振るっていた。たいした暴力ではなかったが、体育会系の教師は、少なからず、体罰をするものなのだな、と思ったものである。

 桜宮高校体育科の入試中止を決定したことは、全国の様々な学校で体罰が明るみになる、という波及効果をもたらした。
 そして、ついに女子柔道のオリンピック日本代表でも過剰な体罰があったことが内部告発によって明らかになり、騒動は、さらに広がりを見せている。

 1980年代までは、パワハラやセクハラという言葉は日本に浸透しておらず、いじめでさえ、いじめられる者が悪い、体罰をされる者が悪い、と主張する学者やジャーナリストが少なくなく、それを容認する風潮があった。今でも、いじめられる者が悪い、体罰をされる者が悪い、という者も時折見かけるが、以前に比べて格段に少なくなった。

 しかし、全国で次々と体罰の告発が続出する現状は、日本のスポーツ界を大きく変える過渡期に入ってきたように見える。果たして、今後、体罰は、根絶という道をたどることができるのか。


  2.体罰根絶と部活動停止

 体罰が社会で大きく批判を受けることになったのは、大相撲の時津風部屋力士暴行死事件が転機だったように思う。
 2007年、時津風部屋を脱走した序の口力士が当時の時津風親方からビール瓶での殴打、さらには数人の力士に「かわいがり」という暴行を指示したことにより、集団暴行を受けた力士が死亡してしまったのである。
 この事件は、パワハラ、体罰、いじめ、という様々な要素を含んだ悲惨な事件ではあったが、その後、大相撲界では野球賭博事件もあり、この2つの不祥事をきっかけに、大相撲界は、世間から厳しい批判を浴びながら体質改善をしていくことになる。

 2012年12月の桜宮高校バスケ部の体罰自殺事件から、体罰が絶対悪であるという流れになってきたのは、元巨人の桑田真澄が体罰根絶をスポーツ界に訴えかけ、それに大阪市の橋下市長が賛同したためである。
 その後、バスケットボール部とバレーボール部の無期限活動停止が決まり、体育科・スポーツ健康科学科の入試中止が決まった。
 これは、驚くべき変化であると同時に、その決定によって犠牲となる少数の生徒が出てしまうことも事実である。

 桜宮高校の処分は、一般的に見れば、あまりにも重い。これまでであれば、おそらくは自殺した生徒が世間から同情され、批判を受けた顧問の教師が辞任することで、世間は、落ち着きを取り戻していただろう。
 しかし、思い切った処分により、桜宮高校だけでなく、大阪市そして大阪府、さらには全国の学校すべてが体罰の重みを見直さねばらならなくなった。そして、徐々に体罰根絶への流れが出来上がりつつある。

 その一方で、桜宮高校の自殺した以外の生徒は、重い処分に苦しむことになる。常態化していた体罰のせいで、何の罪もない高校生が部活動をできなくなり、高校生活最大の楽しみを奪われてしまったのである。
 確かに体罰のあった部については、教師を全面入れ替えする必要があるものの、部活動まで停止するのは、少し行き過ぎでもある。
 桜宮高校は、阪神の名捕手だった矢野輝弘(燿大)の出身校であり、これまでも優れたスポーツ選手を数多く輩出してきた。部活動停止は、一生に1度しかない高校生活の楽しみを奪うとともに、将来の名選手の芽を摘んでしまう可能性すら内包する。

 そう考えていくと、桜宮高校は、早急に体罰を過去に行った教師を全面的に入れ替え、まっとうな体制にして部活動停止を解除するべきである。
 桑田真澄が主張するように、体罰でそのスポーツの技術や体力が進歩することはない。一流となっていく選手は、指導者や自分より上手い選手から技術を吸収して、自らに適合した練習方法や技術を極めていく。そこに体罰が介在する必要はないのだ。


 3.体罰根絶のために

 これだけ体罰が社会問題化すると、今後は、些細な体罰でもニュースになっていくだろう。今の時代は、指導者の暴力も否定される時代である。
 かつては、中日監督をしていた当時の星野仙一が選手への鉄拳制裁で有名となり、「闘将」とか「燃える男」といった代名詞で称賛されていた時代もあったし、有名なドラマ『巨人の星』では、父が子供に体罰を加えるシーンもあったりする。

 野球界で体罰の認識を大きく変えさせたのは、2004年に中日監督に就任した落合博満である。落合は、徹底した体罰の排除を打ち出し、選手に手を上げたコーチは、有無を言わせず解任と言う方針を打ち出し、実際にそれを実践した。
 落合は、野球が上手すぎたがゆえに学生時代は、毎日のように上級生から暴力を受け、退部しては大会のときだけ入部する、という入退部を繰り返した。いかに暴力が理不尽かを理解していたからこそ、体罰を根絶して強固な組織を作り上げたのである。

 だが、様々な生徒がいる中で、体罰という暴力なしで生徒に上質な教育を施せる教師ばかりがそろっているわけではないという問題がある。
 特に、中学や高校では、体罰根絶と生徒間のいじめ根絶が永遠の課題である。
 この年代の子供は、エネルギーが有り余っており、不満がたまると暴力や暴言、無気力といった言動に走りやすい。それをさらなる暴力で押さえつける教師がいるから、暴力の連鎖が起こる。教師も、感情的な指導に走ると、気に入らない生徒にばかり、厳しい指導が集中したりする。

能力ある指導者であれば、そういうエネルギーが有り余っている子供たちを、うまく教育して、スポーツの世界で実力を発揮させることができるだろうが、そうした能力が低いと、どうしても安易な暴力に走ってしまうのだ。

その対策としては、全体的な教師の質を高めるしかない。だが、それが極めて困難なところが永遠の課題なのである。
 現状では、教師の体罰を絶対悪として禁じた場合、助長した生徒が逆にさまざまな問題を起こしかねない。学校の中で、体罰やいじめを検知し、それを是正するための複数名の組織が必要である。そのためには、エネルギーが有り余って、もてあましている生徒の受け皿として種々のスポーツを受け皿としておくべきである。
 体罰が原因で、部活動が停止するニュースは、もうこれ以上見たくないから、全国的な早期改善を望みたい。




(2013年2月作成)

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