守備の活躍にヒーローインタビューを

山犬
 
   1.おまけ扱いの守備

 野球を少しやったり、見たりした人ならすぐ分かることだけど、試合でヒーローになるのはまずバッターかピッチャーである。
「いやあ、すごかった。バックスクリーンの一番深いところまで飛んでいきましたよ。2点リードされていたところを一振りでひっくり返す見事な3ランホームランでした」
「ナイスピッチングでした。9回をわずか3安打。しかも、無四球で完封です。コーナーを突く直球が実によく決まっていましたね」
 そういうインタビューに混じって、ごくたまにこう触れられたりする。
「そして、6回のあの守備。後ろへ走りながらのジャンピングキャッチ。あのプレーが流れをたぐり寄せましたね」
 まず間違いなくバッティングかピッチングを褒めた後、「そして」が続くのである。
 そうなのだ。守備は、あくまでおまけであり、雑誌についている付録やジュースについているプレゼント応募券みたいなものでしかない。

 見ていて勝負に必要不可欠に感じるもの。それは、決勝打であり、打者を抑え込むことなのである。守備は、その隙間にいつも埋もれていて、重要な局面で好プレーが飛び出したとき、そして、それが素人目にも好プレーであると明らかに分かったときだけ少し顔を出す。
 それだからだろうか。プロ野球を観戦していて、守備の活躍のみでヒーローインタビューに呼ばれた選手を僕は見た記憶がない。
 それは、走塁についても言えるかもしれない。でも、おそらく走塁は、選手がそれまでの盗塁記録を塗り替えたりすれば、ヒーローインタビューに呼ばれているのではないだろうか。それに盗塁は、記録として数え上げられ、タイトルにもなっている。
 しかし、好プレーは、記録上に一切残らない。刺殺や補殺という一見何の変哲もない守備記録が残るだけである。華麗な好プレーと正面に来た平凡なゴロをさばいたプレーは、記録上は全く同じなのだ。放っておけば膨大な映像の中か、記憶の彼方に埋もれていってしまう。
 どこかで誰かが語り継いだり、書き残したりしなければ、後世に残ることはない。それどころか皮肉なことに、嗜好性の強いテレビ番組の影響で、好プレーよりも珍プレーの方がより多く後世に残ってしまうというのが実情だったりする。
 守備は、堅実にこなすのが当たり前、好プレーをしてもヒーローにはなれない。そういう見方に、僕は、最近、疑問を感じるようになった。
 たまには年に何度しか見られないような好プレーをした選手をヒーローインタビューに呼んでやってもいいんじゃないか。僕はそう思うのだ。

 僕がこういう気持ちになったのは、先日、中日の外国人選手アレックス・オチョアのホームへの好返球を見たからだ。
 アレックスは、長年大リーグに籍を置いていた選手である。しかし、彼は、大リーグにいる間、ほとんどと言っていいほど第四の外野手だった。第四の外野手とはライト・センター・レフトの3人の控え。アレックスは、そういう大リーグの控え選手の地位に甘んじていながらマイナーリーグにはほとんど落ちることなく生き残ってきた。
 それどころか来日する前年には約3億円もの年俸を得ていた。大リーグ時代の通算成績は、807試合に出場して打率.279、46本塁打。1996年にはメッツでサイクルヒットを記録している。こう見てみると、アレックスは、大リーグでもそこそこやっていけるだけの打撃技術を持っていることが分かる。
 しかし、何よりアレックスの最大の持ち味は外野の守備なのである。まず広い守備範囲を持っている。それだけでなく、彼は、外野の深いところからホームベース上にいるキャッチャーまでノーバウンドの剛速球を投げることができる。
 並の外野手ならアウトは不可能と思えるような捕球位置からランナーを刺したり、ランナーの進塁を許さず、ベースに釘付けにさせたりできるのだ。
 アレックスは、来日したとき、自らのバッティングをアピールする外国人バッターとは一線を画して、こうアピールしている。
「私の肩を見て欲しい」
 開幕から1ヶ月がたち、アレックスの肩には「サンダービーム」という愛称がついた。アレックスの強肩は、早々と日本で市民権を得たのである。


   2.奇跡のバックホーム 松山商業高校の矢野選手

 僕がアレックスの強肩を見て思い出すのは、ある夏の甲子園だ。
 記録を見てみると1996年になっている。他の試合のことはほとんど覚えていないのだけど、その試合のその場面だけははっきりと覚えている。
 松山商業高校と熊本工業高校が対戦したその試合は、決勝戦だった。僕は、試合開始時点からテレビ観戦した。
 試合は、松山商業が1回表にいきなり3点を先制する。このままワンサイドゲームになるかと思いきや、熊本工業も2回裏に1点、8回裏にも1点を返す。9回表が終わったとき、松山商業が3−2でわずか1点リードという緊迫した状況になっていた。
 9回裏、熊本工業の攻撃は、簡単に2アウトになる。松山商業の2年生投手新田浩貴は、あと一人抑えれば全国制覇というところまでこぎつけていた。
 ここで簡単に最後のアウトをとっていれば、この試合はあまり僕の記憶に残らなかったにちがいない。しかし、まるでドラマのようにここから試合は、大きく動く。
 打席に入ったのは1年生の沢村幸明。その初球を沢村は、完璧に捕らえた。打球は、歓声と悲鳴を切り裂くようにレフトポール際のスタンドへ飛び込んでいった。
 9回2死ランナーなしからの劇的な同点アーチ。試合終了間際に振り出しへ戻った試合は、延長戦に突入する。

 延長戦は、裏の攻撃の方が有利である。これは、野球の格言みたいになっていて、よく耳にする。表で点を取られてもまだ裏の攻撃があるし、表を0点に抑えてしまえば、裏は1点取れば勝ちになる。精神的にも有利だし、実際裏の方が勝つ確率が高いからそう言われるのだろう。
 3点差をじりじりと詰め、9回裏に同点に追いついた熊本工業がその勢いで全国制覇してしまうにちがいない。あのとき、僕はそう予想していた。
 10回裏、熊本工業は1死満塁のチャンスをつかむ。松山商業の新田投手は、ノーアウトから2塁打を浴びてマウンドからライトに回り、代わりにエースナンバーを付けている渡部真一郎がライトからマウンドに上がった。送りバントで1死3塁になったところで松山商業は満塁策をとった。
 こうして熊本工業は1死満塁と攻め立て、延長10回サヨナラ勝ちで全国制覇という快挙の一歩手前まで来たわけである。
 ここで松山商業の沢田勝彦監督は、先発投手だったライトの新田をベンチに下げて矢野勝嗣を送り出す。矢野は、本来ライトでスタメン出場すべき選手ながら、この日は、エースナンバーを付けている渡部がライトでスタメン出場していたため、ベンチを温めていたのだ。
 投手の新田という強肩の選手に代えて矢野。この交代を見た多くの人々は、その真意を測りかねただろう。
「せっかくの決勝戦の舞台だから、最後にちょっとだけグラウンドに立たせてあげようということかな」
 僕は、そんなことを考えていた。高校野球の負け試合の最後にはよくそういう交代が行われるからだ。しかし、スコアはまだ同点。だから真意を測りかねるのだ。
 ナインを落ち着かせるための間をとった。そう考えた人もいるだろう。新田より矢野の方が守備がうまいんだろうよ、と考えた人もいるだろう。
 とにかく、一時的な間を空けた後、試合は再開された。

 熊本工業の3番バッター本多は、渡部の初球を叩く。ボールは高々と舞い上がり、ライトの深いところまで飛んだ。
 矢野は、定位置よりかなり下がってそのボールを捕った。サヨナラ負けになる飛球が代わったばかりの矢野のところに行くとは酷だな。そう思おうとした瞬間だった。
 全力で矢野の肩から放たれた、ものすごい勢いの白球は、小さく弧を描いてノーバウンドでキャッチャーが構えたミットに吸い込まれていったのである。
 間一髪のクロスプレー。判定は、アウト。
 僕は、このとき、次に松山商業の11回表の攻撃が始まることを理解するまでかなり時間がかかった。既に松山商業が優勝を決めてしまったかのような錯覚に陥ってしまったのだ。それほど、衝撃的なプレーだった。
 あとは、もはや余興にすぎなかった。奇跡のバックホームを見せた矢野は、11回表に二塁打を放ち、スクイズで決勝のホームを踏む。この回に3点を奪った松山商業は、そのまま6−3で優勝を決めた。
 この試合で最も語り継がれているのは、決勝点のスクイズでもなく、決勝点の元となった矢野の二塁打でもない。
 この試合を見た者が真っ先に語るのは、矢野が10回裏に見せた「奇跡のバックホーム」なのである。
 意外なことに矢野は、元々バックホームを苦手としていたのだという。そのため、毎日バックホームの遠投練習を繰り返してあの送球を身に付けたのだ。その守備力を高く評価していた沢田監督は、あの絶体絶命の場面で矢野をライトに起用した。実は、緻密に計算しつくされた交代だったのである。
 それに加えて、守備の重要性を全国に知らしめた功績を考えれば、あのプレーは、逆転満塁サヨナラホームランに匹敵する価値があると言ってもいい。


  3.華麗な守備

 華麗な守備、という言葉から思い起こせる選手は多い。まず世間で真っ先に名前が挙がってくるのは長嶋茂雄だろう。
 彼は、大リーグ並の深い位置に守り、緩いゴロに猛然とダッシュして帽子を飛ばしながら倒れこむように一塁へ投げたり、広い守備範囲でショートが捕るべきゴロまで捕って華麗なスローイングでアウトにしてしまうなど、守備の名手として名をはせた。
 しかし、守備の玄人と呼ばれる人の多くが「長嶋の守備は、抜群に巧いわけではない」と言う。
「長嶋は、オーバーなアクションで巧く見せているだけさ」
 と。確かに長嶋は、平凡なゴロでも派手にトンネルしてしまうことも度々あった。それでいて、その後で絵になるような美しいプレーを見せたりする。
 長嶋の守備を説明すれば、簡単な打球でも難しい打球でも、すべて巧く処理したと見せかける技術を持っているということなのだ。

 戦前戦後の名二塁手苅田久徳は、「難しいプレーをいとも簡単にやってのける」のが名手だと述べている。また、牛若丸とまで呼ばれた遊撃手吉田義男は「ボールが飛んでいくところには吉田がいる」とまで評された。
 ゴールデングラブ賞を8回獲得した山下大輔は、遊撃手としての連続守備機会無失策記録を更新したが、彼自身はこの記録にあまり価値を感じていないという。それは「エラーをしたくなければ、難しい球を追わなければいい」から。
 このようなところから考えてみると、守備の評価ほど難しいものはない。
 並の内野手が外野に抜けそうな当たりを横っ飛びで捕ったとしても、それはファインプレーに見えるだけで、実際は打球へのスタートが遅れただけの凡プレーなのかもしれないわけである。守備の達人なら、いとも簡単に正面で捕球して処理していたかもしれないからだ。
 長嶋茂雄は、実際いとも簡単に捕球できるだけの名手であるにもかかわらず、あえて華麗なファインプレーに見えるように観客のことを常に意識してプレーしていたのである。
 それは、あくまで確実に捕球して堅実に処理することしか考えなかったチームメイトの広岡達朗とは正反対のスタイルになるだろう。
 今、長嶋茂雄の守備がどんなにダイナミックでかっこよかったかを語れる人は多くいても、広岡達朗がどれほど守備を究めていたかを語れる人はほとんどいないだろう。
 そういう意味で、守備は、損なところがある。表面的なところを見ていては分からないし、記録からも容易に判定できない。相当な玄人でなければ、守備の達人であるかどうかを見分けることは困難なのである。


  4.アメリカの野球殿堂入りした好プレー

 大リーグで守備の名手と言ってすぐに浮かんでくるのはゴールデングラブ賞を13度獲得したオジー・スミスだろう。その軽やかな守備は、「オズの魔法使い」という異名まで得た。
 そのスミスにはシーズン621補殺という記録がある。補殺がただ多いだけで何が分かるか、と思うかもしれないが、スミスは、並のショートより1試合平均1補殺以上多いため、1試合につき相手チームの1安打以上を阻止していたことになるのである。
 そのような記録が意外と重視されているところに、アメリカが日本よりも守備を高く評価していることが垣間見える。実際、スミスは、現役通算で打率.262、28本塁打という成績しか残していないけど、1985年には大リーグ最高年俸をもらっていた。

 そんなアメリカにおいて、守備だけで評価された日本人がいる。阪急ブレーブスにいた山森雅文である。
 その守備を見せたのは1981年9月16日のロッテ戦だった。1回表に阪急のエース山田久志が投げたシュートをロッテの弘田澄男は見事に捕らえた。打球はレフトに舞い上がり、フェンスを越えてホームランになるかと思われた。
 しかし、レフトを守っていた山森は、背走したあと、素早くフェンスの上によじ登り、上半身をスタンドに大きく乗り出してホームランボールを捕ってしまった。
 それをビデオで見たアメリカ人は、山森のプレーを絶賛し、そのときの写真がアメリカの野球殿堂に日本人として初めて飾られることになったのである。
 山森は、現役を通じて主に守備固めの選手として起用され、レギュラーに定着することはなかった。そのため、通算成績は、打率.235、33本塁打である。1986年に規定打席未満にもかかわらず、ゴールデングラブ賞を受賞した以外は、これといった記録を残していない。
 でも、山森は、何年かに1度訪れるかどうかという、あのプレーの機会を予測して、毎日毎日、外野のフェンスに素早くよじ登って、フェンス上を移動する練習をしていたのだという。
 打撃にばかりスポットを当てがちな日本人で、初めてアメリカの殿堂入りしたのが好守備を見せた山森だったというのが、どこか皮肉でもある。


  5. 記憶に残る守備に賞賛を

 相当な玄人でなくては守備の巧さは見分けられないとはいえ、山森のフェンスによじ登っての好捕のように、誰でも簡単に分かる好守備というものがある。
 その一つが強肩を見せつけての補殺だ。元投手の外野手イチローが強肩であることから、よくテレビでも紹介されるようになった。
 アメリカでは外野手の補殺が全米を熱狂させたことがある。1979年、大リーグのオールスターでの出来事である。この試合に出場したパイレーツのデーブ・パーカーという外野手は、捕殺だけでオールスターMVPに輝いたのだ。
 パーカーは、7回に三塁を狙ったランナーをライトから見事な返球で刺し、さらに8回2死一・二塁からライト前ヒットでホームを狙った二塁走者を本塁手前でタッチアウトにするバックホームを見せている。その送球は、まさに矢のようなノーバウンドで、見ているものを唖然とさせたという。しかも、8回にバックホームをしたときのスコアは、6−6の同点だったから、パーカーのバックホームは相手チームの勝ち越しを防ぐ重要な守備となった。

 アレックスのバックホームも、パーカーのそれに近いものを持っているように感じる。アレックスの強肩は、大リーグ一と賞賛されたこともあり、あまりに肩がいいのでセンターからバックネット裏の観客に遠投するファンサービスも球団が検討していたという。
 あの「サンダービーム」は、世界一かもしれないわけである。今後、必ずやアレックスの強肩が試合の行方を決定付ける状況が訪れるにちがいない。
 そのとき、アレックスがその守備だけでヒーローインタビューを受ける姿を見られるのではないかと僕は、密かに期待を寄せている。
  


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