失策は成果の代償

山犬
   1.失策

 毎年のことなのだが、僕は、3月から4月にかけてが一番忙しい。野球ではなく仕事のせいである。そのため、この時期は、仕事以外のことをする暇がほとんどない。当然、ここ何年かは開幕戦すら見逃している。影響は、このサイトにも及び、更新も滞り気味になって、更新を楽しみにしてくれている方々には申し訳なく思っている。
 特に今年はひどかった。深夜までの仕事が続き、慢性的な寝不足に陥り、おまけに花粉症に風邪が重なったのである。そのため、仕事中に普段では起こさないような単純ミスを連続で起こしてしまった。さすがにミスが続くと落ち込むものである。

 こういうときに脳裏をよぎるのは、プロ野球界では誰が最も失策をしたのだろうか、という実に消極的な記録である。
 2005年のプロ野球界を見ると、パリーグで414個、セリーグで428個の失策が生まれている。数え上げると膨大な量になって一つや二つのエラーはかすんでしまう。だが、その一つ一つに後悔と落胆のドラマがあったはずだ。
 セパそれぞれのリーグで最もエラーをしたのがパリーグではバティスタ(ソフトバンク)の13個、セリーグでは新井貴浩(広島)の21個である。だが、バティスタは、135試合に出場し27本塁打、新井は142試合に出場し43本塁打としっかり成績も残している。
 それゆえに本塁打数の半分に満たない失策数は目立たず、批判にさらされることもない。むしろ失策数を補って余りある成績を残したとさえ言えるのだ。

 打撃に集中したために、守備がおろそかになる。よくあることだ。
 よく新人選手に対して「打撃が素晴らしいので、守備には目をつぶろう」という首脳陣の批評を聞くことがある。守備はいいが打撃は駄目という選手がいるように、打撃はいいが守備は駄目という選手が毎年のように入団してくる。
 短所は切り捨てて長所を伸ばすという考え方においては、ホームランバッターなら少々の失策はすぐにバットで取り返せるから気にするほどのことではないのである。
 とはいえ、万能選手という走攻守すべてが揃った選手もいるのだ。強打者でもスランプに陥れば、失策数だけが目立つようになり、一気に批判にさらされることになる。たとえば、2004年に大リーグで24失策を記録してしまった松井稼頭央がそれにあたる。
 つまり、失策は、しないに越したことはないのだ。


  2.通算失策王は名手

 僕は、今まであまり通算失策数の歴代記録を気にしたことがなかったので、歴代最多記録を持っているのは宇野勝なのではないかと密かに思っていた。通算7度の失策王、珍プレーのテレビ番組の常連、そして、あまりにも有名なヘディング事件のせいで、失策=宇野というイメージを知らず知らずのうちに作ってしまっていたのである。
 だが、宇野の記録を調べてみると、通算失策数は202で遊撃手で19位にしかならないのである。宇野は、二塁や三塁も守ったりしているので通算では270失策を残しているが、それでも大した失策数ではない。

 そうなると、気になってくるのが通算で最も失策を犯したのは誰なのか、である。
 それを調べて行く過程で、僕は、愕然とする事実に気づくことになる。

守備位置別失策数上位
順位 選手名 失策数 通算安打数
(通算勝利数)
一塁手
1位 王 貞治 165 2786
2位 川上 哲治 156 2351
二塁手
1位 高木 守道 284 2274
2位 本堂 保弥 248 1242
遊撃手
1位 白石 克巳 636 1574
2位 木塚 忠助 406 1216
三塁手
1位 小玉 明利 301 1963
2位 長嶋 茂雄 261 2471
外野手
1位 大下 弘 79 1667
2位 張本 勲 77 3085
捕手
1位 野村 克也 271 2901
2位 醍醐 猛夫 133 1132
投手
1位 別所 毅彦 53 (310勝)
1位 東尾 修 53 (251勝)

 そうそうたるメンバーである。このメンバーであれば、プロ野球史上最強のチームが作れるのではないかとさえ思える。歴史に残る成績を残した打者たちだけあって、出場試合数も多いから必然的に失策数も多くなったのだ。
 各ポジション別の上位2位までを抽出してみても、王貞治、川上哲治、野村克也、大下弘、張本勲という打撃を極めた天才打者が名前を連ねる。
 だが、その中に守備に定評がある高木守道、本堂保弥、白石勝巳、木塚忠助、長嶋茂雄といった名手が名前を揃えているのである。
 さすがに守備の負担が大きい遊撃手に失策数は多い。白石勝巳が遊撃手で通算636個の失策を犯し、さらに晩年は一塁手として10個の失策を上積みして通算646失策で歴代1位の不名誉の称号を手にしている。
 1年に30個以上の失策を22年続けなければ、この記録は抜けない。2005年の最多失策が21個であるということは、常識的に考えれば不滅の大記録である。

 そんな通算失策王の白石勝巳とはどんな選手だったのか。
 白石は、戦前戦後に巨人、パシフィック、広島で活躍している。1938年春季には打率.302を記録し、1939年、1940年には得点王となっている。1949年には1試合6安打、1950年には1イニング2本塁打を記録するなど、シーズン打率.304、20本塁打を残してベストナインに選出される。打率も長打も稼げる打者だった。さらに走っては1939年の28盗塁を筆頭に通算210盗塁を残した俊足の持ち主でもあった。
 そして、最も白石の名を高めたのが守備の名手としてである。巨人に入団した白石は、藤本定義監督に一塁手から遊撃手への転向を命じられ、徹底的なノックで鍛え上げられたのだ。
 そして、白石は、逆シングル捕球の名手として知られるようになる。世間は「逆シングルの白石」とさえ呼んだ。
 白石の失策数が多いのは、打球を深追いする余り、掴み損ねたり、送球がそれてしまうといった守備範囲の広さが生んだ賜物と言ってもいい。
 その証拠に白石がシーズン最多失策を記録したのは1954年の1度でしかない。
 つまり、白石は、「逆シングルの白石」として好守の遊撃手と記憶されているにもかかわらず、通算失策王なのである。

 では、1試合での失策王は、さすがに下手な野手だろうと思って調べてみると、1試合6失策という日本記録を保持しているのは、名遊撃手として評価の高い木塚忠助なのである。通算479盗塁を決めた俊足を生かし、左右へ俊敏に動き、三塁手がトンネルした打球に追いついて自慢の強肩で一塁アウトにしたこともあったという。
 そんな木塚が1試合最多失策の日本記録保持者なのだから、失策数で守備の優劣を語るのは困難ということになる。

 また、失策数には時代が作り出す条件によっても大きな格差があることは否めない。特に白石や木塚が活躍した戦前戦後の混乱期は、グラウンドの状態が悪く、球やグラブも今とは比べ物にならないほど質が悪かった。だから普通であれば、捕れていた打球も捕り損ねたりしてしまうことがあった。
 打撃技術が昔よりも高くなっているように、守備技術も昔に比べて向上していることは確かである。それでも、語り伝えられる彼らの守備力を総合すると、失策数のみで彼らに低い評価を与えることはできない。そうなると、自然に守備率で名手だったのか下手だったのかを判断することもできなくなる。
 守備とは、記録に実情があまり表れてこない厄介な代物なのである。


 3.見えない失策の非と見える失策の価値

 こうして失策数を見てくると、出場試合が多ければ増え、環境や道具によって数が増減してしまうという、あてにしづらいものである。
 さらに、守備には積極的な動きをすれば、失策をする危険も増えるという逆説の響きさえ含んでいる。

 大洋で名遊撃手として活躍した山下大輔は、失策の本質を突く名言を残している。
「エラーをしたくなければ、打球を追わなければいい」
 守備をする際、左右前後に1、2歩しか動かない狭い範囲内で守備をやっていれば、自動的に失策は減るのだ。
 捕れないと最初からあきらめて動かなければ、判定はヒットになる。無理をして追いつき、はじいてしまったり、体勢を崩して悪送球してしまえば失策になってしまう。
 失策数が少ないのは、稀に見る名手の場合もあるだろうが、実情は、目に見えない失策がついてないだけ、という場合の方が多いのだ。

 大リーガーとして名手の誉れ高いオジー・スミスは、打撃ではほとんど目立つことはなかったが、守備力のみで歴代の大打者たちと並ぶ評価を受けている。それは、ミスが極端に少なかったというわけではなく、「1試合あたり1本以上のヒットを未然に防いでいる」という積極的な守備力によるものだった。

 それをごくごく普通の社会人に言い換えれば、積極的に数多くの仕事を手がければ、やり手と賞されるが、その分ミスだってついてくる。逆に消極的な社会人は、ミスは少ないかもしれないが、やっている仕事は少量で、誰でもできるどうでもいいことなのである。
「ミスをしたくなければ、仕事をあまりやらなければいい」
 そんなふうに、のらりくらりと、ただ会社で時間だけをつぶしている社会人を僕らはそこかしこで見かけはしないか?
 失策を恐れて積極的に動かないのは失策以上に悪い。だから、失策数は、苦労を重ねて挙げた大きな成果の代償なのだ。決して恥ずべきことではない。
 というのが、僕の結論なのだが、少し自己のミスを正当化しようとしすぎているだろうか?




(2006年5月作成)

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