ヒーローが与える影響

山犬


   以下の文章は、山際淳司著の『ルーキー』(1989・角川文庫)から受けた所感を述べたものです。

 プロ野球には毎年ルーキーと呼ばれる選手がいる。彼らがそう呼ばれるのは最初のわずか1年限りである。
 そして、ルーキーと呼ばれなくなった選手は、それぞれ普通にプロ野球選手として受け止められていく。
 『ルーキー』という作品は、ある位置選手がルーキーとして過ごした一年間を周囲の人々、そしてその選手がかつて過ごしたリトル・シニア、そして高校で触れ合った人々の視点を交えて描き出したものである。
 ルーキーの名は、清原和博。
 今やプロ野球ファンならずとも知らぬ者はいない。
 彼は、高校1年生の頃から国民的なスターであった。「PL学園の桑田・清原」は、甲子園の代名詞と言っても過言ではなかった。彼らは、頭文字をとってKKコンビと呼ばれ、やがてはかつてのONに比較されるまでの存在になっていく。
 彼らの甲子園での成績は、20勝3敗。プロ入り後は、巨人のエースと西武の四番。
 完璧なまでのサクセスストーリーを描いていった。

 だが、山際淳司が描いたのは、清原の実像ではなく、むしろ清原の少年時代を知る人々、高校・プロ1年目でのチームメイトや対戦した相手、指導者などが清原から受けた、又は清原に与えた影響である。
 そうした清原を取り巻く人々の言葉を見ると、彼らが清原に与えた影響より、彼らが清原から受けた影響の方がはるかに大きいことに気づいてしまう。
 PL学園ではチームメイト達の「清原より目立ちたい」という意志が最強のチームを作り上げ「清原を打ち取りたい。対戦したい」という願望が好投手を作り上げた。
 そして、指導者は、清原の野球への熱心な取り組み方や実力、強運から清原の存在の大きさを感じさせられる。
 それ以外にも、周囲の人々は、清原という存在から何らかの影響を受けざるをえなかったのだ。
 それらは、イチローの高校時代の監督中村豪が「イチローに教えたことより学んだことの方が多かった」と述べているのとどこか共通点がある。
 清原は、周囲を顧みることなく、努力と強運で実力を伸ばしていき、プロ野球チームの四番にまで登り詰めた。常に自分のペースでそこまで来たのである。

 だが、清原の大きすぎる存在によって、野球観、さらには人生観までも変えてしまった人々もいるのだ。
 著者はそうした人々がどういう状態で清原に出会い、どんなふうに変わって行ったのかを切実に、そして訴えるように描いている。
 怪物と呼ばれる男が凡人達の目の前を通り過ぎていくとき、波風が立たないということはありえない。それは、どの分野でも言えることではないだろうか。それぞれの分野でトップに位置する者を気にならない同職者はいないはずである。
 あの清原でさえ、プロ野球界でトップに位置する落合博満に目を向けているのだから。
 著者は、そのトップをどう見るかということが、人々のその後を決めてしまうことを論じたかったに違いない。
 手の届かない存在と見るか、まだまだついて行けると見るかである。
 前者の場合、自らへの疑いや当然視といった世間並みの方向性が強くなる。真似できない。叶うはずがない。自分が勝った場合でも、それが偶然と考えてしまい、その存在感の大きさを習慣として見てしまうのである。
 一方、まだまだついて行けると見れば、それは競争意欲となり、可能性が開けてくることもある。そのおかげで、自らを一段上の領域に引き上げた者だっているのだ。
 または、双方の考えを交錯させる者もいるだろう。自らの限界と可能性を交互に感じながら進んでいくのである。
 清原という巨大な存在は、数々の中小の思惑を至るところへ捻じ曲げながら、幸不幸を巻き起こして去っていく。中小の存在は、巨大な存在が去って行った後、思い返してみて初めてそのことに気づくのである。
 これは、世間に起きるブームによく似ている。ブームに乗せられる人々は、それが一つの波のような変化の過程であることに気づかない。ブームが去った後、ようやく「何だ、そういうことだったのか」と冷静に顧みられるのである。

 清原のPL学園時代の怪物としての姿も、ルーキー時代の輝かしい姿も、次第に過去の一つの記録となって化石化してゆく。
 そして、人々は、いつも新しいものに目を移す。そうなると、習慣となった非凡さは、それ以上の非凡さをもってしか受け入れられなくなっていく。
 人々は、あくまでも貪欲に、新鮮さと上限を打ち破るものの出現を求める。だからこそ、著者も、プロ野球を愛し、並外れたルーキーを待ち望んでいたのであろう。

 

Copyright (C) 2001 Yamainu Net 》 伝説のプレーヤー All Rights Reserved.

inserted by FC2 system