連投と再試合にルールの整備を  
〜2006年夏の甲子園決勝戦の早稲田実業×駒大苫小牧から〜


山犬
 
1.過酷な日程の甲子園

 2006年の夏の甲子園は、派手な本塁打合戦と決勝戦の引き分け再試合のおかげで、近年稀に見る盛り上がりを見せた。
 大抵、夏の甲子園の決勝戦は、休日に行われるため、僕は、毎年見ることにしている。2006年8月20日の決勝戦は、1−1のまま延長に入る白熱した試合以上に気になることがあった。青いハンカチではない。早稲田実業の斎藤佑樹投手と駒大苫小牧の田中将大投手の疲労度である。
 特に延長11回あたりからは、もうどちらでもいいから1点入れて試合を決めてくれ、と願いながら観戦していた。どちらの投手も、プロで即戦力としての活躍を期待できる逸材である。その将来を甲子園の連投で壊してしまうのではないか。そんな不安が脳裏を支配してしまったからである。
 試合は、僕の願望をよそに、どちらも点を入れられないまま、延長15回で引き分けとなった。
 何事もなく、終わってほっと一息ついたのもつかの間、翌日に再試合があることを知ってまた不安が湧き上がってきた。
 また、この2人の投手が投げ合うのではないか。再試合は、月曜日のため、仕事のある僕は、残念ながら試合をテレビ観戦すらできない。だが、テレビ観戦したいどころか、すぐにでも甲子園に駆けつけて、登板を止めてやりたい。そんな気分になった。

 僕は、8月21日の再試合をインターネットのニュースをちらちらとのぞいた。駒大苫小牧が田中を先発させずに2年生の菊地投手を先発させていた。おそらく田中の疲労を考えてであろう。だが、早稲田実業は、斎藤が先発だった。斎藤は、4日連続の4連投である。
 駒大苫小牧も、菊地が序盤で崩れかけると田中を投入し、田中も3連投となった。こういうときの不安は、的中してしまう。おそらく世間は、この2人の投げ合いを期待し、その実現に沸いたであろうが、彼らの将来を潰しかねない投げ合いであることにまで気を回して暗い気分になった者は少なかったはずだ。
 試合は9回で4−3のスコアとなり、早稲田実業が全国制覇を決めたが、2人の投手の肩や肘にどれだけのダメージが残ったかは想像がつく。

 特に斎藤は、8月19日から21日まで4連投し、大会を通じて948球を投げたという。これは、早稲田実業の投手力が斎藤に頼りきるチーム構成になっていたことにも原因があるが、同じチームに好投手を2人そろえることは困難な以上、試合があれば投げるのは仕方がない。
 問題は、準々決勝から休養日無しで続く日程と、引き分け再試合をさせる規定に潜んでいる。どうして、高校生は、こうした過酷な日程をこなさなければならないのか。将来を考えれば、このような日程が良くないことは、誰の目にも明白なのではないか。

 それでも、高校野球界は、一躍スターとなった斎藤と田中を休ませようとせず、メディアもまた、2人を追い続けた。そして、斎藤は、日米親善高校野球でも5試合中4試合に投げ、田中に至っては5連投をすることになったのである。
 さらにその後に続く国体でも、トーナメントを勝ち進めば、2連投、もしくは3連投を余儀なくされるのだ。


  2.連投が生む幻滅

 2006年夏の甲子園を見ると、第1日の8月6日から第16日の8月21日まで試合のなかった日はない。
 全ての試合を甲子園という1つの球場だけで行い、しかも阪神タイガースの本拠地を使用しているという極めて特殊な事情が過酷な日程を作り出しているのだ。
 斎藤は、準々決勝の2日目となる第13日から決勝の再試合となる第16日まで投げ続けたから4日連続の4連投となった。
 通常であれば、決勝まで進んでも最低2連投、最高3連投で済むようにはなっている。だが、通常でも3連投をしなければいけない日程にそもそも疑問を抱かざるを得ない。
 1回戦から1日5試合行ったり、甲子園だけでなく、神戸や大阪の他球場を使用して日程に余裕を持たせればいいではないか、と言いたくなる。そうすると、高校生に夜遅くまで試合させるはどうなのかとか、高校生は伝統ある甲子園で試合をしたいのだから他球場が当たった選手たちはかわいそうだ、といった新たな議論を生むことになりそうである。
 それでも、僕は、現状のような1日も休みなく、決勝まで試合し続ける過酷な日程には賛成できない。たとえ、2006年のように4連投と3連投の死力を尽くした投げ合いだからこそ、感動的な結末を生んだのだとしても……。

 それほど、僕が連投を嫌うのには、2つの幻滅した思い出が根底にある。
 強烈な印象として残っているのは、1984年夏の決勝戦である。2連覇への期待という重圧を背負って投げ続けてきたPL学園の2年生エース桑田真澄投手にいつもの球威はなかった。前年の優勝投手として、注目を一身に集め、全国の球児から攻略の標的にされていた桑田は、準決勝まででかなり疲れていたのだ。それでも、桑田は、何とか9回まで相手の取手二高打線を4点に抑えていた。
 試合も敗色濃厚で、8回表までスコアは1−4。ところが相手の取手二高も優勝を意識したのか、PL学園は、8回に2点を返し、9回に1点を返して4−4の同点に追いついてしまったのだ。ここでPL学園が逆転をしていれば、感動的な伝説になっていたかもしれない。桑田は、1年生と3年生のときに夏の甲子園を全国制覇している。PL学園のKKコンビは、このとき、チームがあと1点奪っていれば、3連覇を果たしていたことになる。
 が、同点のまま延長戦に入った途端、何とかだましだまし抑えてきた桑田は、もはや余力すら残っておらず、取手二高に4点を奪われて負けてしまったのである。万全の休養をとっていれば、大量失点などありえない能力を持っていただけに、日程による影響で、せっかくの好試合を台無しにしてしまったことに僕は、大きな憤りすら感じた。

 もう1つは、1991年には沖縄水産高校の大野倫投手が投げた決勝戦である。大野は、肘に痛みを抱えたまま、連投をよぎなくされたが、チームが接戦をものにして勝ち進んだため、決勝戦でも投げざるをえなくなってしまったのである。決勝戦の前、大野の肘は、疲労骨折の状態にまで悪化していたという。しかし、投手力は、大野に頼りきっていた沖縄水産は、大野が決勝戦でも先発完投を果たしたが、大量というよりはあまりに悲惨な13点を奪われて敗れてしまった。負けてもいいからと割り切って他の投手を使うべきではなかったか、という議論もあったが、僕は、やはり一番の問題は、その日程にあると感じた。
 この決勝戦で、沖縄水産は、大きなものを背負っていた。当時、沖縄県にまだ甲子園の優勝旗が渡ったことはなかった。沖縄水産は、優勝旗を持ち帰ることを願う、いや、アメリカの占領下の置かれていた戦後を終わらせることを願う沖縄県民の期待を受けて戦っていたのだ。この試合、沖縄水産は、8点を奪っている。大野がこの大会をある程度の登板間隔で投げていれば、勝てた可能性も高い。だが、現実は、まるで戦争を再度思い起こさせる壮絶な敗北だった。日程が歴史を塗り替えるはずの大会を壊したのだ。
 沖縄県勢は、1999年春のセンバツで沖縄尚学が優勝して優勝旗を持ち帰ったが、夏に限っては2006年現在、未だ優勝はない。それだけに、この敗戦は、未だに惜しまれる敗戦なのである。


 3.現代的な考えをするプロ野球やWBCを参考に

 甲子園という舞台に立つことは、野球をする者にとってまず最初に抱く大きな目標だという。そして、その舞台に立った者のほとんどが、人生における最大の思い出として語る。だから、無理をしてでも勝ち進むことにこだわるのだ。
 だが、それでも尚、甲子園において、その後の野球人生を棒に振るような故障を抱えてしまった選手が多くいる以上、その後の人生に悪影響を及ぼす部分を黙って見過ごすわけにはいかない。

 もちろん、こういったことは甲子園にだけ言えることではない。地方大会でも決勝までのトーナメントになっているが故に準々決勝から決勝までの日程は、大抵が過酷である。
 現在では、スカウト活動が充実しているため、甲子園で決勝まで勝ち上がらなくとも、充分に実力は大学や社会人、プロの世界に知れ渡る。
 それゆえに、現在のような日程であるならば、無理をしてまで優勝にこだわる必要はないとも言えるのだ。
 確かに伝統的な郷土愛やひたむきな高校生らしい美談を要求する世間に対しては、風当たりがひどくなるかもしれないが、僕は、科学的な見解をもっと尊重して連投のルールや日程を現代的なものに変えることが不可欠だと言いたい。

 プロ野球は、既にローテーション制という考え方が定着しており、先発投手が連投することはよほどの事情がない限りありえない。まだ、リリーフ投手の場合は、3連投、4連投というのが頻繁に見られ、そのせいかリリーフ投手の選手生命は短かったりするため、改善の余地はある。それでも、プロ野球界は、ある程度、連投の歯止めは効いていると考えていいだろう。

 そのプロ野球以上に歯止めの効いた斬新な考え方を打ち出したのがWBCである。
 WBCの連投制限は、以下のようなものである。

 1試合50球以上投げた場合:登板間隔は中4日以上
 1試合30球〜49球までの場合:登板間隔は中1日以上
 1試合29球未満の場合:連投は可能、但し連投後の登板間隔は中1日以上

 この球数の考え方が妥当なのかどうかまでは判定が難しいが、現代の野球を考える上で非常に参考になるルールではなかろうか。高校野球だけでなく、すべての野球界にとって、参考となるはずだ。
 もちろん、こういったルールをそのまま甲子園へ適用してしまうと、重要な準決勝や決勝が二線級投手同士の投げ合いになってしまう恐れがあるので、そのままではまずいだろう。それに、ある程度日程に余裕を持たせて準決勝以降を3戦で2戦先勝のシリーズにするとかいった対応策も考えねばなるまい。
 それでも、現代的とは到底呼べない先発投手の3連投、4連投を阻止するには、何らかの改善をしていかなければならないのだ。

 さらに気になると言えば、引き分け再試合である。
 日本のプロ野球では、かつて再試合ありだったり、延長が勝敗決定まで、といった時代もあったが、2001年以降はセ・パ両リーグとも、延長12回まで、再試合なしということで統一されている。
 WBCでは1次リーグ、2次リーグは延長14回までで再試合なしとなっていた。さすがにその後は、決着がつくまでということにはなっていたが、際限なく延長が続くだけで再試合はない。
 大リーグにはそもそも引き分けという概念はないため、延長は際限なく続くが、再試合はない。アメリカン・リーグにある午前1時の消灯ルールにより、試合続行をやめた場合も、再試合ではなくその続きから再開、つまりサスペンデッドということになる。

 こういったプロの事情を見てみると、そもそも、引き分け再試合というものが必要なのかという疑問が出てくる。
 引き分け再試合が導入となったのは、1958年の第40回大会からである。そのときは、延長18回終了時点で同点なら再試合となった。
 その後、1998年に松坂大輔のいた横浜高校×PL学園戦が延長17回にわたる疲労困憊な激闘となったこともあって、ルールの再考がなされて2000年の大会から延長15回で同点なら引き分け再試合と変わった。
 引き分けの概念は、日本にあってアメリカにはないため、和を尊ぶ集団主義の日本と、白黒はっきりさせる個人主義のアメリカの象徴として論じられることも多いが、高校野球のように結局、再試合で決着をつけるのなら、最初から引き分けというものが必要ないのでは、と感じるのだ。
 つまり、アメリカン・リーグが行っているようなサスペンデッドでいいではないかと。
 たとえば、延長12回でその日の試合は打ち切り、その翌々日にでも、延長13回から始めれば、また無駄に9回を費やすことはなくなるのだ。うまく点が入れば、その日1イニング目の延長13回で決着がついてしまうのだから。

 2006年夏の甲子園のように、決勝で延長15回178球投げた翌日に9回118球を投げるなどということは、どう考えても常軌を逸している。
 もし、プロ野球でそんな起用をする監督がいれば、一斉に批判を浴びて謝罪する羽目になるだろう。
 現在の高校野球のルールは、伝統や全力でひたむきな精神という名の下に、現代化とは程遠い実情を見せ続けている。野球技術の方は、年々進化を見せているだけに、余計にそのアンバランスが目立ってくる。
 高校野球が本当の意味で進化をするためには、日本プロ野球、大リーグ、WBCの考え方を吸収し、選手たちの肉体に優しいルール作りをしていかなければならない時期に来ているのだ。




(2006年9月作成)

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