2007年、セパ両リーグともにアドバンテージなしのプレーオフが行われた。
 これは、巨人が強硬にアドバンテージなしを主張し続けたことで、セパ両リーグともにアドバンテージなしでプレーオフは、日本シリーズへの出場をかけた大会という位置づけになってしまった。
 しかし、巨人は、前年4位に沈んでいるだけに自らリーグ優勝はないという想定でアドバンテージなしだったのだろうが、皮肉にも巨人はリーグ優勝を果たし、アドバンテージなしでクライマックスシリーズの第2ステージを戦うことになり、2位中日にあっさりと3連敗で敗れ去るという結果になった。
 逆に中日は、勢いに乗って日本シリーズ、アジアシリーズを制し、リーグ優勝の巨人を差し置いてペナントレース終了後の主役の座を勝ち取った。

 巨人にとっては、せっかくのリーグ優勝の喜びも、クライマックスシリーズの3連敗で消え去り、優勝パレードと優勝旅行さえも立ち消えになるという悲惨な状況に陥った。
 仮に巨人に1勝のアドバンテージがあったならば、結果は、もっと異なるものになっていたかもしれない。短期決戦は、そのときの選手たちの好不調の波に大きく左右されることは確かである。それゆえに長いペナントレースを勝ち抜いたチームには何らかのアドバンテージがなければ、ペナントレース自体が無意味なものになってしまう危険性を2007年の巨人は示してくれたのである。
                              2007年12月 山犬

 パリーグは、2006年から無条件でシーズン1位チームに1勝を与えるというアドバンテージをつけた。
 これにより、シーズン1位チームがプレーオフを勝ち抜いて、リーグ優勝を成し遂げる可能性は高まった。
 2勝2敗の5割の成績でもリーグ優勝を果たせるからだ。逆に相手チームは、最低3勝1敗の成績を残さない限り、敗れることになる。これによって、ソフトバンクは、ほぼ確実にリーグ優勝を手にするかと思われた。

 しかし、ソフトバンクは、2006年のシーズンを3位で終えることになった。まさかの展開である。
 それでも、プレーオフの第1ステージを何とか2勝1敗で制し、第2ステージのリーグ優勝決定戦に進む。ところが、シーズン1位となった日本ハムに連敗し、1勝もできぬまま、夢はついえた。
 3年連続でプレーオフ第2ステージで敗れてリーグ優勝を逃したのである。

 それでも、プレーオフ開始以降、3年目にして初めてシーズン1位チームが日本シリーズに進出できた、という意味で、シーズン1位チームに与えた1勝のアドバンテージは、成功を収めたとも言える。
 だが、2位に全くアドバンテージのないプレーオフ第1ステージは、シーズン2位の西武には酷な結果となってしまった。最低でも、第1ステージを第2ステージと同じように、2位チームに1勝のアドバンテージを与え、先に3勝したら第2ステージ進出という方式に変更すべきだろう。

 プレーオフは、シーズン1位以外のチームに夢を与えるための戦い、言わば敗者復活戦である。
 夢がいとも簡単に現実になったのでは、シーズン自体がしらけたものとなってしまうだろう。やはり3位よりも2位、2位よりも1位が有利になるシステムでなければならない。長いシーズンで積み重ねてきた努力が報われないようなシステムを、一時的に盛り上げるだけのために実施してはならないように感じる。
 2007年からセリーグもプレーオフが導入となるが、私の心情としては、シーズン3位同士の日本シリーズだけは永遠に実現してほしくない。
                              2006年10月 山犬

最善のプレーオフ制度とは?


山犬
 1.パリーグのシーズン1位球団が2年連続プレーオフ敗退

 以前から野球ファンの間で実現を待望する声がありながら、なかなか実現しなかったアジアシリーズがついに開催され、記念すべき初代アジアチャンピオンには、日本のロッテが輝いた。
 現状のアジアでは日本が最強であるというのは事実だとしても、2005年のロッテは強かった。バレンタイン監督が連れてきた外国人選手が活躍し、中堅の主力選手がきっちりと仕事をして、若手も急速に成長してきた。アジアの頂点に立つにふさわしいチームであることも間違いない。

 だが、日本にはもっと強いチームが実は存在する。そう口を挟みたくなるプロ野球ファンは多いのではないだろうか。
 ロッテは、2005年公式戦でパリーグ2位のチームである。そのロッテに4.5ゲーム差をつけて1位になったのはソフトバンクだった。そのソフトバンクは、球団名がダイエーだった2004年もシーズン1位だったし、2003年もシーズン1位だった。
 つまり、2003年までのルールであれば、ソフトバンクは、パリーグ3連覇を成し遂げていたことになる。
 なのに、2004年のパリーグ優勝は西武であり、2005年のパリーグ優勝はロッテなのだ。2004年から始まったプレーオフ制度によって、ソフトバンクの3連覇は幻となってしまったのである。

パリーグ優勝 パリーグ・シーズン成績1位
球団 成績 貯金 勝率 球団 成績 貯金 勝率
2004 西 武 74勝58敗1分 16 .561 ダイエー 77勝52敗4分 25 .597
2005 ロッテ 84勝49敗3分 35 .632 ソフトバンク 89勝45敗2分 44 .664

 なぜシーズン成績1位となったソフトバンクが2年連続してプレーオフで敗れてしまったのか。短期決戦では主力投手や主力打者の好不調が大きく勝敗を左右するから、その差が出たのだという意見もある。1位のチームは、プレーオフ第1ステージを戦わなくてもいいから試合勘が鈍ってしまったのだという意見もある。そもそも、シーズン1位球団がホームグラウンドを使える以外に何のアドバンテージもないのがプレッシャーになったのだという意見もある。
 おそらく、それらすべての理由によってソフトバンクは敗れたのだろうが、それに加えて2005年にもし西武がリーグ優勝していたら、このプレーオフ制度は根幹から崩れていったかもしれない。なぜならば、シーズン成績3位でプレーオフに進出した西武は、あろうことか借金2を抱えていたからである。

 2004年に始まったパリーグプレーオフは、2年目にしてあまりにも多くの問題点を抱えてしまったようである。もし、ソフトバンクがこのまま10年連続シーズン1位にでもなろうものなら、プレーオフは大きな罪を背負ってしまうことになる。
 プレーオフをこのまま続けていくのなら、改善の余地は大いにある。2年連続でルールによって涙を飲んだソフトバンクの心情を考えれば、そう言わざるを得ない。


 2.1973年〜1982年のパリーグプレーオフ

 パリーグは、1973年から1982年までシーズンを前期65試合、後期65試合に分けて前期、後期それぞれの優勝チームがリーグ優勝をかけて5戦3勝制で戦うというプレーオフ制度を導入していた。
 前期優勝チームがリーグ優勝したのが5回、後期優勝チームがリーグ優勝したのが3回、前期後期を制して完全優勝したのが2回。それが10年間の結果だった。完全優勝してしまうとプレーオフで戦う必要がなくなるため、実際にプレーオフが行われたのは8回だったが、前期優勝、後期優勝、リーグ優勝と1年に3回の優勝争いを楽しめるというシステムは、エンターテイメントの側面から考えるとある程度の成功を収めたと言ってもいい。

 だが、1年を通して強かったチームがリーグ優勝に値するのだという考え方をした場合、それは当てはまらなくなる。
 たとえば、1975年の阪急は、前期を38勝25敗2引分で優勝したが、後期は低迷し、26勝34敗5引分で最下位に沈んだ。シーズン成績は、64勝59敗7引分と辛うじて勝ち越した程度に終わってしまったのだ。
 一方、後期優勝した近鉄は、前期も3位でシーズン成績は、71勝50敗9引分という成績だった。
 この2チームの差は、近鉄が貯金21に対し、阪急は5、近鉄が勝率.587なのに対し、阪急は勝率.520という大きな開きができてしまった。
 それでも、シーズン成績の通りに近鉄がプレーオフを制してしまえば、何のケチもつかなかったのだが、この年のプレーオフは、阪急が長池徳ニや山口高志の活躍もあって3勝1敗で近鉄を破ってリーグ優勝を果たす。
 日本シリーズに入っても、阪急の勢いは止まらなかった。2引分を挟んだものの、広島を相手に何と4連勝して日本一を決めてしまったのである。
 
 シーズン通算勝率1位のチームがプレーオフで敗れて日本シリーズに出られなかった例は、この年の近鉄だけではない。
 パリーグがプレーオフ制度をやっていた10年間で4回もあるのだ(下表参照)。

パリーグ優勝 パリーグ・シーズン成績1位
球団 成績 貯金 勝率 球団 成績 貯金 勝率
1973 南 海 68勝58敗4分 10 .540 阪 急 77勝48敗5分 29 .616
1975 阪 急 64勝59敗7分 5 .520 近 鉄 71勝50敗9分 21 .587
1979 近 鉄 74勝45敗11分 29 .622 阪 急 75勝44敗11分 31 .630
1982 西 武 68勝58敗4分 10 .540 日本ハム 67勝52敗11分 15 .563

 実際にプレーオフが行われたのが8回だから、半分は、シーズン成績2位以下のチームが勝ってしまったことになる。
 長期戦では圧倒的に強かったチームが短期決戦ではあっけなく敗れて日本シリーズ進出を逃すこともある。1970年代から1980年代にかけて行われたパリーグのプレーオフは、1年間地道に積み重ねた貯金がプレーオフという短期決戦で敗れることにより、全くの無駄になるという根本的な問題を抱えてしまったのだ。
 つまり、観客を引き寄せるというエンターテイメントとしての興行は、成功であったとしても、その年の王者を決めるというスポーツとしてのシステムは、成功とは言いがたい結果を残したのである。


 3.1973年〜1982年の日本シリーズへの波及

 2004年、2005年とパリーグのプレーオフを制したチームが日本シリーズも制したことによって、プレーオフは、日本シリーズでパリーグ球団が勝つ大きな要因になっているのではないかという懸念が出始めている。
 特に2005年の日本シリーズは、ロッテが阪神に1度のリードも許すことなく4連勝で優勝を決めてしまったことで、セリーグファンからは不公平だという声が挙がっている。

 確かに高校野球では下馬評の低かったチームが初戦で強豪チームをなぎ倒したことで勢いづき、破竹の快進撃で一気に優勝を決めてしまうということがある。
 そういうことを考え合わせるとパリーグのプレーオフは第1ステージ、第2ステージと勝つことによって徐々に調子を乗せていき、最後の日本シリーズは最高の状態で臨める環境ができるという理屈は分からぬでもない。

 それなら、1973年から1982年の日本シリーズは、どうだったのだろうか。10年のうち2年が阪急の前期後期完全制覇だったため、プレーオフが実際に行われた8年のうち、パリーグ球団が日本シリーズを制したのは4回である。日本シリーズでパリーグ球団が敗れたのも4回であり、4勝4敗でセパ双方が勝ちを分けたことになる。
 ということは、仮にセパ両リーグの実力が互角であったとするならば、プレーオフによる日本シリーズへの影響はほとんどなかったと言える。
 故障でしばらく試合を休んでいた選手が復帰した途端、ホームランを打ったりすることもあるのだから、試合をしなかったことで試合勘が鈍ったというのは、言い訳に近いものがあるかもしれない。

 とはいえ、毎年毎年、公式戦終了後の日程間隔も違えば、優勝までの過程も異なる。日本シリーズで対戦する相手の実力も毎年変わるわけだから一概に影響の有無を断言することは不可能である。なぜなら、プレーオフが始まる前の1963年から1972年までの10年間は巨人の黄金時代だったこともあり、パリーグ球団は日本シリーズを1回しか制してないのだから。
 結局のところ、プレーオフが生み出す微妙な差がどこまで次の試合に影響するのかを判定するすべはないが、パリーグだけプレーオフを開催するという不公平感はどうしてもぬぐえない。
 あちこちから不満が続出しがちな1973年から始まったパリーグのプレーオフ制度は、10年目となった1982年を区切りとしてシーズン1位とシーズン2位の差が5ゲーム以内であったときのみの開催と変更になり、結局1回も開催がないまま1985年限りで廃止となった。
 そして、2004年にパリーグがプロ野球人気の活性化を目指して、19年ぶりに形を変えたプレーオフ制度を導入することになったのである。


 4.最善のプレーオフ制度とは?

 それにしても、パリーグは、「実力のパ」と呼ばれるだけのことはある。あれだけ多くの名選手がセリーグや大リーグへ移籍して行くのに、セリーグと同等の実力を保ち続けている。
 だが、人気の面で言えば、常にセリーグに圧倒され続ける状況にある。2リーグ分立以降、常にスポットライトを浴びてきたのは巨人が所属するセリーグだったからだ。
 1973年から10年間続けたパリーグのプレーオフ制度も、セリーグと同等の人気を得る手段とはなりえなかった。
「パリーグは参議院みたいな存在だね」
 そんな陰口さえ聞いたことがあるが、パリーグは、本来対等であるはずのセリーグからいつも見下されてきた感は強い。亭主関白の夫の陰に隠れる妻のような存在で成り立ってきたのだ。
 でも、時代は変わってきている。今、プレーオフ制度やアジアカップによってようやくパリーグが注目を集める存在になりつつある。
 2005年のプレーオフが僕の住む地域でテレビの地上波放送がなかったことには落胆したが、今後、ソフトバンクや楽天といったIT関連企業のバックアップによってメディアの前面に押し出されてくることは充分期待できる。

 それならば、今のプレーオフ制度を最善のシステムに作り上げていく必要に迫られるだろう。
 ソフトバンクの王貞治監督は、ロッテと西武がプレーオフ第1ステージを戦っている間に全く自分達が試合をできないことに不満を漏らしていたようだが、そういう声は、積極的に取り入れていくべきである。
 2位と3位の球団が対戦している間は、他の4球団を有効活用すればいい。たとえば、パリーグ最下位を決めるプレーオフとして、4位と5位の球団を3戦2敗制で対戦させ、その間に1位と6位に練習試合をさせておく。そして、4位と5位の対戦で2敗した球団は6位のチームと最下位決定戦を5戦3敗制で行い、2位と3位の勝者と1位によって5戦3勝制のリーグ優勝決定戦を行うのだ。
 そうすれば、1位チームも2位、3位とほぼ同等の条件でプレーオフを行えるし、最下位決定戦はファンの間でそれなりに盛り上がるはずである。

 また、2004年、2005年と1位と2位、3位の間に全くアドバンテージがなかったのが、ソフトバンクの2年連続V逸につながった最大の要因でもある。2位に5ゲーム差以上つければ、1勝のアドバンテージがあるのだが、2005年のように4.5ゲーム差では全くなしというのもいただけない。
 ゲーム差をそのまま得点として与える方がシーズン成績が反映されるという意味でいいのではないだろうか。2005年のような4.5ゲーム差であれば、四捨五入して5点をソフトバンクに与える。それを対戦が始まる前に各試合へ自由に振り分けることができるようにしておく。
 1試合目を重視するなら1試合目に5点全てを投入してもいいし、5試合をフルで考えておくなら、それぞれの試合に1点ずつ振り分けてもいい。そうすれば、毎試合、ソフトバンクは1−0のスコアから試合開始できるのだ。
 もちろん、2位と3位が対戦するときも、同じようにゲーム差分の得点を2位に与えるのである。ただ、このアドバンテージは、野球そのもののルールを考えれば、実現は困難かもしれないが……。
 もし、このアドバンテージが無理なのであれば、1位と2位の対戦のときは、2位チームの中で打率トップの打者と防御率トップの投手を出場できなくしたりすればいいのだ。

 これは、僕が考えただけの案ではあるが、そういった制度の改正が必要不可欠な状態であることに多くの人々は異論がないだろう。
 大リーグのプレーオフはホームアドバンテージ以外のアドバンテージはないじゃないか、と言われるかもしれないが、大リーグはそれぞれ各地区の1位6チームと強すぎる1位チームのせいで2位にしかなれなかった強豪2チームの救済措置として8チームで争う形のため、日本のパリーグと比較するには無理がありすぎる。
 また、プレーオフは、パリーグだけ開催するという不公平感を拭い去るため、できる限りセ・パが同じ条件でプレーオフを行う方がいいだろう。

 新しいものを作り、それを成長させていくには柔軟な考え方で対応した方がいい結果が生まれる場合が多い。野球の試合の中でアドバンテージを付けるなんて、と言わないで欲しい。ゴルフや将棋の試合なんかでは日常的に行われているではないか。
 僕にとっては、シーズン1位にあまりにも不利としか言いようのない現在のプレーオフ制度の方が常軌を逸しているようにしか感じないのである。



(2005年11月作成)

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