1.空白の2日
3億円が当たった宝くじを失ってしまったのと、最初から宝くじを買っていなかったのとは、結果だけ見れば同じである。しかし、その過程にはあまりにもかけ離れた天と地ほどの差が存在する。
あるはずのものがなかったのと、最初からなかったのとでは全く意味合いが違う。2004年9月、それを痛感した2日間があった。
日本プロ野球史上初となるストライキの話だ。
ストライキ決行は電撃的だった。
まず、9月6日にプロ野球選手会が9月の土日に毎週ストライキを行う決議を通した。だが、2リーグ制維持が決まったこともあって11日(土)、12日(日)のストは回避となる。
そのとき、僕は、すべてのストライキがオーナー会議から小出しにされてくる妥協案によって、回避という結果に落ち着くだろうと考えていた。
事実、日本ではストライキという行為が実施されることは、全くと言っていいほどない。
「今日は、ストライキで会社に行かなくていいんだよ」
そんなふうに自慢する人に僕は、いまだかつて出会ったことがない。日本では、毎日規則正しく仕事に行くのが当たり前。ただでさえ、勤勉だけが取り柄と外国人から評される始末の日本人である。たとえ賃金が低くとも社員が団結してストライキを決行するなんてことはまずありえない。社員の不平不満は、いつも経営者側の強い権力にいとも簡単に丸め込まれる。それが日本の労使間というものなのだ。
当然、僕自身もストライキなんて体験したことはあるはずもなく、日本で最も注目度が高い職業の一つであるプロ野球でストライキなんて常識的には起こるはずがなかった。
ところがその常識が打ち破られる日がついに訪れる。
9月17日に球団の新規参入時期を巡って労使交渉が決裂し、ついに史上初のストライキが決まったのである。
9月18日(土)、9月19日(日)の2日間、日本からプロ野球の試合が消えた。
ストライキを決行したことについて、僕は、反対というよりむしろ、賛成の立場にある。12球団2リーグ制で行うのが現状では最も安定したシステムであるし、そのためには2005年からの新規球団参入は譲れない条件だからである。
しかも、ペナントは既に終了寸前まで来ていて、既にセリーグの中日もパリーグのダイエーも2位に大差をつけて首位を走っている。試合が2つ飛んだところで、首位争いに大きな影響を及ぼすわけでもなかった。ファンも、選手達も、そして僕も、獅子奮迅の働きを見せる古田敦也捕手を後押しした。
例年ならこれでリーグ優勝に影響もなく、平穏に終わったかもしれない。でも、今年のパリーグは、3位までが日本シリーズ出場をかけて争うプレーオフ制度を導入していた。しかも、日本ハムとロッテは、3位の座をかけて熾烈な戦いを繰り広げていたのである。ここだけが引っかかる問題だった。
2.不意に消されたプレーオフをかけた激戦
9月18日、19日にストライキで中止になったプロ野球の試合を挙げてみると次のようになる。
18日(土)
試合 |
開始 |
球場 |
ヤクルト×阪神 |
18:20〜 |
神宮球場 |
横浜×広島 |
14:00〜 |
横浜スタジアム |
中日×巨人 |
18:00〜 |
ナゴヤドーム |
日本ハム×近鉄 |
13:00〜 |
札幌ドーム |
オリックス×ロッテ |
13:00〜 |
ヤフーBBスタジアム |
ダイエー×西武 |
18:00〜 |
福岡ドーム |
19日(日)
試合 |
開始 |
球場 |
ヤクルト×阪神 |
18:20〜 |
神宮球場 |
横浜×広島 |
14:00〜 |
横浜スタジアム |
中日×巨人 |
18:00〜 |
ナゴヤドーム |
日本ハム×近鉄 |
13:00〜 |
札幌ドーム |
オリックス×ロッテ |
13:00〜 |
ヤフーBBスタジアム |
ダイエー×西武 |
18:00〜 |
福岡ドーム |
中日×巨人、ダイエー×西武という1位、2位の決戦というのも魅力的なカードではある。だが、ダイエーと西武は既にパリーグプレーオフ進出を決めており、中日もセリーグ優勝をほぼ手中に収めている。
そうなれば、何と言ってもパリーグプレーオフ進出をかけた日本ハム×近鉄とオリックス×ロッテの2試合が重要になってくる。
9月17日時点でのパリーグの順位は次のようになっていた。
順位 |
球団 |
勝敗 |
ゲーム差 |
残り試合 |
1位 |
ダイエー |
76勝50敗4分 |
− |
残り5 |
2位 |
西武 |
73勝56敗1分 |
4.5 |
残り5 |
3位 |
ロッテ |
64勝64敗3分 |
8.5 |
残り4 |
4位 |
日本ハム |
63勝64敗2分 |
0.5 |
残り6 |
5位 |
近鉄 |
58勝67敗2分 |
4.0 |
残り8 |
6位 |
オリックス |
46勝79敗 |
12.0 |
残り8 |
3位ロッテと4位日本ハムとのゲーム差は、わずかに0.5。1試合の勝敗だけで順位が入れ替わってしまう僅差である。プレーオフに進める可能性があるということは、日本一になる可能性があるということだ。確かにパリーグ3位なら先は長い。パリーグ2位との対戦で勝ち抜き、さらにパリーグ1位との対戦を勝ち抜き、さらに日本シリーズをも勝ち抜かなければならない。たとえ頂点までは遠い道のりであっても、3位になるのと4位になるのとでは雲泥の差がある。例年のような単なるAクラス争いとは比較できない。
しかも、今年の日本ハムとロッテは、昨年までとは違って、見所が充分にあった。日本ハムは、北海道に本拠地を移して、日本人大リーガー新庄剛志を獲得した。一方、ロッテは、1995年にロッテをパリーグ2位に導いたボビー・バレンタインを監督に迎えた。
3位になってプレーオフに進出すれば、一気に日本一にまで登りつめられそうな期待を持たせてくれる球団という意味でも、日本ハムとロッテは、ほぼ互角だった。
中止になった2試合は、ロッテが最下位のオリックス戦、日本ハムが5位の近鉄戦ということで、順位だけ見れば、日本ハムよりもロッテの方に分がある。ただ、ロッテは、これまでオリックスにシーズン10勝15敗と負け越しており、日本ハムも近鉄に11勝14敗と負け越していた。そのうえ、オリックスも近鉄も合併を控えており、3位争いをするチームといえども、簡単には勝たせてくれそうにない。
見所は、探せばいくらでもあった。
「プレーオフ進出のためには、この週末の2試合がすべてだと思ってた。なのに・・・。もう何もする気力が起こらない」
テレビのインタビューを受けたロッテファンの少年が寂しそうに語っていた。ほとんどのロッテファンは、この2試合の持つ重みを実感していたはずだ。
事実、ロッテは、0.5ゲーム差でプレーオフ進出を逃すことになる。
後日、ストライキで中止になった試合は、開催しないことが発表された。
3.消えた2日間の是非
僕は、あのとき、プレーオフのかかるロッテと日本ハムの試合だけは開催する、という決定がなしえなかったものかと未だに疑問が残る。6試合中4試合をストライキで中止にする、というやり方だ。
6試合すべてを中止にしなければ意味がなかった、というのはある程度理解できる。
確かにプロ野球選手会の活動は、目覚しいものがあった。選手会も、ストライキだけは避けたかったし、避けようと努力を重ねた。だが、経営者たちのあの独断的な進め方を見ればいたしかたのないことでもあった。
2日間の犠牲によって、プロ野球界は、良い方向に動き出した。古田敦也の粘り強い交渉は、シーズンMVPに匹敵するだろう。合併こそ、止めることができなかったが、新規参入球団によってパリーグ6球団が保持されることを確実にできたのだ。
それでも、僕があのストライキを成功と心から呼べないのは、日本ハムとロッテが関わる2試合をどうしても開催してほしかったからである。
パリーグ・プレーオフ制度に導入1年目から水を差してしまったストライキは、皮肉にもプレーオフの盛り上がりにかき消されて行く。プレーオフ第1ステージの西武×日本ハム戦、第2ステージの西武×ダイエー戦がいずれも最終戦までもつれ込む名勝負になったからだ。
西武が日本一になった今、プレーオフの激戦や、パリーグ1位・2位のハンディなしの是非を語られることは多くとも、ストライキでなくなった2日間に目が向けられることはほとんどない。あまりにもめまぐるしく動く今年の野球界で、あの「消えた2日間」は早くも忘れ去られようとしている。
でも、僕は「消えた2日間」をいつまでも忘れたくないし、多くのプロ野球ファンに忘れて欲しくない。
あのプレーオフ進出をかけた2日間に素晴らしい伝説が隠れていたのではないか。たとえ、逃した魚は大きい、と皮肉られようとも、そんな空想をいつまでも持ち続けていたいからである。
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(2004年11月作成)
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