閉ざされた夏 〜PL学園6ヶ月の対外試合禁止〜
山犬

  序 世間を揺るがす処分

 6月29日、高校野球界だけではなく、全国に衝撃が走った。PL学園の夏の全国高校野球選手権大会大阪大会への参加差し止めが決まったからである。そして、7月6日、日本学生野球協会は、対外試合禁止6ヶ月と竹中徳行野球部長と河野有道監督に1年間の処分を言い渡した。これらは、今まで課していた処分の中でも最も重い部類だという。
 厳罰となった理由は、野球部内の練習中・及び寮生活で暴力行為が多発していることが発覚したためである。日常的に上級生から下級生への暴力が行われ、昨年の新入部員17人のうち、7人が既に退部している過酷な内情が明らかになった。
 どうしてあの名門野球部内で暴力事件が起こり、それに対してどうしてここまで重い処分となったのだろうか。そこを構造的に解明していきたい。


 1 高校野球教育の中のPL学園

 これまで、PL学園は、甲子園出場の常連として春夏合わせて32度出場。そのうち、春3度、夏4度の優勝を誇っている。
 よく知られた現役のOBだけ挙げても、桑田・清原・野村弘・松井稼・立浪・前川・福留……と枚挙に暇がない。
 それだけ見ても、PL学園がプロ野球界に貢献してきた度合いは、他の高校に比べても抜きん出ていることが分かる。その理由は、PL学園が全国から選りすぐった才能を集め、寮生活ですべてを統制しているためである。

 野球に関する日本人論で有名なロバート・ホワイティングは、PL学園を甲子園を目指す高校野球教育の日本的な象徴として取材し、紹介している。
「PL学園では、すべての上級生にひとりずつ<後輩>が割り当てられる。そして、後輩は、先輩の下着を洗濯したり、夜遅くまで練習を手伝わされたり、その他先輩の命じることをこなすことになっている。そのため、彼らは自分の練習や勉強のための時間をわずかしか持つことができないという。
 しかし、このシステムに文句をいう者はほとんどいない。というのは、選手にとって野球部に籍を置くことが、日本の悪名高き”受験地獄”から逃れるためのひとつの手段になっているからだ。日本の教育制度のなかでは、中学生や高校生は授業だけでなくそれ以外の勉強も含めて、1週間に7日―すなわち1日も休むことなく、1年間にわたって勉強し続けなければ厳しい大学入試を勝ち抜くことはできない。そして、一流大学に入学してこそ、一流企業に就職することが可能となり、生涯を通して高い地位に就くことができ、エリートコースに乗ることができるのだ。
 しかし甲子園は、もうひとつのエリートコースといういい方ができる。大会に出場すれば、選手の名前が全国に知れわたって一挙にスターダムにのしあがる、ということも決して夢ではない。じっさい、日本のプロ野球の選手の半数以上が甲子園大会でスカウトされた選手なのだ。そして、たとえ高額の契約金でプロ入りするという夢が果たせなかった者でも、社会人野球のチームを持っている一流企業に就職し、まずまずの給料を手にする道が開かれている。日本の社会では、甲子園の出場経験のあることが、生涯を通じてのあらゆる場面で名誉と実利を手にするチャンスを得ることにつながっているのだ」(『和をもって日本となす』1990年3月・角川書店)

 ここに記されているような、上級生1人に対し、後輩1人が割り当てられる制度が今回の暴力事件で最も問題視されている「付き人制度」である。
 「付き人」という言葉は、日本の大相撲でよく耳にする。関取の身の回りの世話などを任される若い力士がそれである。この伝統をかたくなに重んじる大相撲の付き人に象徴されるように、こうした上下関係を持つのは、極めて日本的なやり方である。
 事件の11年も前から、この制度に対して社会構造の側面から冷静に分析しているホワイティングの眼力には驚かざるを得ない。彼の着眼はこれだけに止まらず、別の部分では高校野球の中で体罰が当たり前のように行われていることの異常性も指摘している。頻繁に集団の中で暴力行為が繰り返されているのを暗に批判していたのである。
 下級生が上級生の生活の世話までをし、もしそれが気に入られなかったら、バットで殴られたり、足で蹴られたりする。
 甲子園の表舞台を晴れやかに駆け巡る裏で、ひどい軍隊のような状況が繰り広げられていたのだ。


 2 高校野球史から見える構造

 高校野球は、歴史に登場したときから精神修養のためのスポーツであった。「野球の神様」と呼ばれた飛田穂洲は、「高校野球は精神鍛錬のための教育の場であり、グラウンドは純粋な精神と道徳を学ぶ教室である」と述べている。
 1915年に第1回の全国高等学校野球選手権大会が行われているが、それは、第1次世界大戦の真っ只中である。
 そのため、高校野球は、外来で駆け引きばかりの野蛮なスポーツとしてではなく、精神鍛錬と統制されたチームプレーのスポーツとして扱われることとなった。甲子園は、欧米列強の中で勝ち抜いていく戦意を高める上で、それなりの役割を得た。
 その流れは、第2次世界大戦戦後も引き継がれ、高校野球は、「純粋さ」「さわやかさ」がイメージとして残っていく。そして、地域の代表として地元を応援する、という要素が次第に高まっていった。春夏の甲子園を日本古来からある「祭り」に重ね合わせる研究者もいる。
 だから、美談も多い。怪我をおして出場し続けた選手もいたし、連投で腕が上がらなくなっても投げ続けた投手もいる。敗れたチームの千羽鶴を勝ったチームに引き継がれていく話や父子で甲子園出場の夢をかなえた話など。

 プロ野球と違って、高校野球は、常に傷のない美しい存在として今まで受け継がれてきた。
 そのため、伝統的な高校野球の精神に反する出来事が明らかになれば、罰則も重い。部員の暴力はもちろん、無免許運転、飲酒、喫煙といったことでも、対外試合禁止などの処分が課せられたりする。  
 たとえ1個人がやったことでも、チーム全体に対してである。集団の和を大切にする日本では、そういう連帯責任を当然のこととして受け止められている。
 今回のPL学園での処分についてもそれが見受けられる。実際は、そうした暴力事件に関わっていない部員も少なからずいるはずである。
 しかも、恒常的に暴力が行われてきたとすれば、はるか以前から上級生から下級生へ暴力的な上下関係の体質が受け継がれていたはずである。なぜ今の部員だけが重い処分になるのか。どこか不公平ではないか。そう考えられなくもない。
 それだけに、チーム全体に重い処分を課すことは、あまりにも集団本意の考え方であり、毎回かなりの抵抗を感じざるをえない。たとえ、全国の同じタイプの高校に向けての見せしめであっても。

 しかし、注目すべき点は、高野連が「部の体質を変える必要がある(※)」という見解を示し、さらに日本学生野球協会が「今までのやり方を変えてほしい(※)」と要請し、野球部長と監督に1年間の謹慎までをも命じたことである。
 ここに、私は、今回の処分の二面性を考えずにいられない。
 一方で純粋な集団主義を踏襲して、チーム全体に連帯責任を被せておきながら、もう一方では厳しい集団主義を変えるように要求している。
 今までのやり方を変えることを要請したなら、処分もチームへの対外試合禁止処分を軽くし、せめて公式試合にだけは出られるようにしてやればよかったのではないだろうか。問題が伝統的な体質の中にあって、個々の選手の単位ではどう変えることもできない状況だったことは確かなのであるから。 


 3 今後の高校野球教育に向けて 

 今回のPL学園の事件に対する高野連と日本学生野球協会の厳しい対応の中で、古い体質からの転換を求めた点は、日本社会の根幹を大きく変えようとする動きととらえることもできる。
 なぜなら、これまでは、数多く存在するであろう、このPL学園風の全寮制の英才教育システムが当然のこととして容認されていた。厳しい縦割りの上下関係と、自由のない生活統制も、甲子園出場の常連高となるには、それくらいしないと無理だろう、という見方をされていたのだ。そして、それがあたかも将来立派な社会人となるための精神と肉体の訓練であるかのように、賛美さえも受けているところがあった。
 しかし、高野連と学生野球協会は、それに対して指導者の更迭と伝統的な体質からの脱却を求め、全国に警鐘を鳴らした。
 時代は変わり、そういう古くからあるシステムが既に現在の日本社会のシステムに合わなくなってきていることを示している。縦社会の崩壊と、集団に埋没するよりも個性を重視した個人主義への転換が見えてくる。それは、楽しく余裕をもって個々の才能を伸ばす、という政府が進めるゆとりの教育政策の流れを組んでいると言えなくもない。
 PL学園の事件は、激しい学歴社会や縦型の集団主義が生み出す弊害、つまり外からは見えにくい歪んだ内部事情を鮮やかに映し出してくれた。
 かといって、全く逆の教育システムが良いか、と言えば、そうとも言えないのが実情である。
 あまりに過酷に締め付けすぎた教育を緩めて、欧米型の個性と自由をとり入れていく、という新しい形への方向転換が必要な時期に来ているのではなかろうか。そう痛感している。




        ※参照資料:中日スポーツ朝刊8月8日

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