充実した落合監督8年間の記録と記憶(8)
〜2007年後半〜


犬山 翔太
 
 22.日本シリーズ第5戦に至る流れ

 2007年の日本シリーズは、2年連続で中日×日本ハムとなった。しかし、状況は、両チームともに少しずつ違っていた。 
 まず、中日は、アレックスがいなくなった代わりに中村紀と李炳圭が入り、打線が変わった。また、日本ハムは、新庄が引退して小笠原が巨人に移籍したため、打線に迫力がなくなったものの、ダルビッシュ・武田勝が成長した上にグリンが加わり、鉄壁の投手陣となっていた。

 札幌ドームで行われた第1戦では、中日打線がダルビッシュにわずか4安打に抑えられ、エース川上もセギノールに3ラン本塁打を浴びて1−3で敗れる。
 この日本シリーズは、第5戦のみが語られることが多いが、日本シリーズの流れを見ると、中日は、早くも第1戦で追い詰められたのである。
 なぜなら、第2戦に勝たなければ、ナゴヤドームで日本一を決める可能性がなくなる。この日本シリーズは、札幌ドームが4試合、ナゴヤドームが3試合であるだけに、中日にとって第2戦を落とすと日本一の可能性が極めて低くなる。
 そういう意味で、第2戦は、重要だった。中日の先発中田は、期待に応えて8回1失点と好投し、日本ハムのグリンが4回に四球を連発して崩れたため、中日が8−1で勝利する。この大勝は、いったん日本ハムに行った流れを引き戻した。

 1勝1敗となった中日にとって、第3戦からのナゴヤドーム3連戦で1試合でも落とすのは避けたかった。何としてもナゴヤドームで日本一を決めたかったのである。1試合でも落とした場合、第6戦からは札幌ドームへ移るため、日本ハムに2連敗して逆転されてしまう可能性が高くなる。そのため、落合は、第6戦以降にもつれたときのことも考えながら、第5戦で日本一を決めるという戦い方を強く推し進めていくことになる。

 何せ、中日は、1954年に日本一になって以降、1974年、1982年、1988年、1999年、2004年、2006年と、ことごとく日本シリーズで敗れている。2分の1の確率で勝てる勝負に6回連続で敗れたのである。ここぞという勝負どころで勝ちきれない精神的なもろさを抱えたチームだったのだ。

 だが、そんな懸念を吹き飛ばしてくれたのがシリーズ新記録となる7打数連続安打だった。4番打者のタイロン・ウッズがセンター前にタイムリーヒットを打った後、中村紀・李・平田・谷繁・荒木・井端とヒットが続いたのである。
 先発朝倉の好投もあって、この試合を9−1で圧勝した中日は、波に乗る。小笠原が先発した第4戦でも先制・中押し・ダメ押しという理想的な展開に持ち込み、4−2で接戦をものにして3勝1敗と王手をかける。

 この3連勝は、粘り強く投げた先発投手陣と3試合で1点も与えなかった救援投手陣の踏ん張りと谷繁のリード面も大きかったが、それをしのいで大きかったのがことごとくチャンスで打ち続けた中村紀の存在である。
 中村紀は、この年から中日の選手となっただけに、中日がずっと持ち続けていた日本シリーズアレルギーとは無縁だった。しかも、野球浪人寸前の育成選手から日本シリーズの大舞台に主軸として立つという奇跡的な運を持ち合わせていた。
 もはや、流れは、完全に中日の方にあった。
 そして、中村紀もまた、第5戦という宿命の試合で重要な働きをすることになる。


 23.社会現象となった山井交代賛否の裏で

 日本シリーズ史上、江夏の21球と並んで最も有名な試合となった2007年日本シリーズ第5戦。
 私は、この試合を見るために仕事を無理やり定時で切り上げてテレビの前に座ったことを覚えている。ただ、私は、この試合で勝てる可能性はかなり低いと見ていた。

 後のない日本ハムは、札幌ドームへ戻りたいからエースのダルビッシュを先発させてくる。それに対し、決して先発投手に無理をさせない中日は、5番手の投手を先発させる。そうなれば、いくら流れが中日にあって、ナゴヤドームの試合だからと言っても勝つのは容易でない。

 中日は、五番手の山井大介を先発に立てた。
 この年、山井は、シーズン後半からローテーションに定着し、6勝4敗、防御率3.36を残していた。山井の投球スタイルは、伸びのある直球と鋭いスライダーのコンビネーションである。83回で32四球という適度に荒れるコントロールが打者を幻惑させる。
 好調なときは、相手打者が手も足も出ない完璧な投球をする反面、球威がないときやコントロールが定まらないときは序盤から崩れるという極端さを併せ持つ。

 幸い、この日の山井は、好調だった。1回表の上位打線をあっさりと3者凡退で片付けた。
 打線も、2回にダルビッシュからウッズがレフト前ヒットを放ち、続く中村紀が右中間を破る2塁打を放って、無死2、3塁のチャンスを作る。そして、平田が先制の犠牲フライを放つのである。
 中村紀の2塁打がこの先制点を生み出したと言っても過言ではなく、中村紀は、4勝すべてに貢献したことでシリーズMVPを獲得することになる。

 山井は、好調ではあったが、内容を見ていると安打になってもおかしくない場面が2度あった。
 まず最初は、2回1死から工藤が放った3塁線へのゴロである。このゴロに対して3塁手の中村紀は、斜め上にジャンプして捕球するや、ノーステップで1塁へ矢のようなノーバウンド送球を見せてアウトにした。
 さらに、4回表には森本の痛烈な二遊間への打球を荒木が横っ飛びで補球し、これもノーステップで送球してアウトにした。
 しかし、この2度の場面が仮にヒットになっていたとしても、山井の投球は、危なげないものだった。山井が好調で、守備も完璧だったことに加え、3勝1敗と余裕があること、ナゴヤドームであること、そして、相手投手ダルビッシュも好調で、リズムよく試合が進んでいたこと。そうした様々な要因が重なって、山井は、難なく8回までを無安打無四球で切り抜けたのである。 

 日本ハムは、試合を動かそうとしたのか、8回裏には投球数が100球を超えたダルビッシュに代えて、セットアッパー武田久を送り込んできた。その武田久も、簡単に中日打線を3者凡退で退けて、ついに9回表が訪れる。

 球場が山井の完全試合を期待して騒然とする中、山井が登場しない。球場にはファンからの山井コールが響き渡った。
 そして、代わりに落合と森コーチが出てきた。落合が投手交代を告げる。
「ピッチャー岩瀬」
 そのコールで、球場がどよめく。歓声と、ブーイングと、驚きと、悲鳴が入り混じったかのようなどよめきだった。

 この投手交代は、試合終了後に物議を醸した。中日ファンは、53年ぶりの日本一になったことに満足している印象が強かったが、それ以外のプロ野球ファンにとっては、山井が史上初の日本シリーズ完全試合を達成するのを期待していたからである。
 東京を中心とするマスコミは、こぞって山井交代の采配を批判した。ただ、一部の現役監督と監督経験者は、その采配を擁護した。

 山井の交代については、落合の『采配』、森の『参謀』で詳しく語られているように、山井が右手のマメをつぶして投げており、8回を投げ終えた時点で森コーチに岩瀬への交代を申し出て、落合監督が了承して投手交代を告げた、というのが真実である。山井が交代を申し出なければ、落合監督も森コーチもそのまま投げさせざるをえないと考えていたわけだが、山井は、この試合で必ず日本一を決めなければならないチーム事情を理解して自ら交代を申し出たのである。
 落合は、そういった内情は、包み隠したまま、そのシーズンオフの間、自らが批判を浴び続けた。そういう形ですべての責任を負ったのである。この一連の結束こそが中日の強さの象徴だった。

 交代を告げられた岩瀬もまた、プロ野球史上最高の守護神にふさわしい働きを見せる。小走りに出てきた岩瀬は、緊張した表情ながら、普段通りの投球を披露していく。金子を三振、代打高橋をレフトフライ、小谷野を2塁ゴロに打ち取った。あっさり3者凡退で切り抜け、ついに中日は、53年ぶりの日本一を達成したのである。

 この投手交代から試合終了までの経過の中で、私は、1つ見逃していたことがある。通常であれば、最後の守りを固めるということで、レフトに上田が入り、レフトの森野がサードに入り、サードの中村紀がファーストに入るという守備固めがあるはずだった。守備に難のあるウッズは、ベンチに退くのである。
 実際、第2戦から第4戦までの3試合は、いずれもその守備固めで守り切っている。
 しかし、この第5戦では、落合が9回に代えたのは、投手だけである。緊迫が続く1点差だけに、4番打者ウッズをベンチに下げなかったのだ。つまり、岩瀬で確実に勝ちに行く投手起用をしながら、野手は、1点を失って9回裏が訪れてもいいように手を打ったのである。

 そこには、おそらく次のような目論見があったはずだ。
 岩瀬ならファーストにウッズがいたとしても0点で抑える可能性が高い。なぜなら岩瀬は、これまで日本シリーズで11回1/3連続無失点中だからだ。しかし、万が一、岩瀬が1点を失った場合、延長戦を考えると相手投手の武田久は2イニング目に入らざるをえない。そうなると、投球の精度は落ちるから、9回裏の先頭打者となるウッズは、そのまま残しておいて、9回裏にサヨナラで勝てる確率を上げる。山井・岩瀬のリレーで完全試合を成し遂げるよりも、まず勝利を最優先させたのだ。
 落合の采配は、岩瀬投入という究極の選択をしたときでさえ、冷静に野手と試合状況を見極めていた。そして、完全試合を逃して、さらに試合を落としてしまった場合、日本ハムの本拠地で行う第6戦・第7戦に勝つ可能性はますます低くなる。
 岩瀬投入を決断したとき、落合は、9回裏であっても、延長戦に突入しても、この試合を決死の覚悟で勝ちに行く采配を選択したのである。

 結局、岩瀬が尋常でない緊張感をものともせず、並外れた集中力で2人の投手リレーによる完全試合を成し遂げたため、9回裏以降は存在しなかった。マスコミは、いまだに投手交代ばかりに目を向けているが、落合が見ていたのは、さらにその先があった場合の展開なのである。
 この試合では、あえてウッズを下げないことで、9回裏の攻撃というプレッシャーを日本ハムに与え、日本ハムを逆に追い込む効果を作り出した。
 結果は、4勝1敗であったが、その差以上に緊迫したぎりぎりの戦略によって、生み出された日本一なのである。


 24.53年ぶりの日本一、初のアジア一

 試合後、世間では、<山井が日本シリーズ初の完全試合達成>という大記録がなくなったことに対する失望の声が大きかった。
 2007年時点で完全試合を達成した投手は、過去15人しかいない。すべて公式戦での達成であり、日本シリーズでの達成はまだない。
 それだけにプロ野球ファンにとっては、史上唯一となるであろう山井の日本シリーズ完全試合達成を見たかったのだ。

 しかし、山井・岩瀬の継投で達成した完全試合は、日本シリーズだけでなく、プロ野球史上唯一の記録である。継投でのノーヒットノーランは、公式戦で3度達成されているが、継投での完全試合はない。
 つまり、1人で完全試合を達成するよりも、遥かに価値が高いのである。
 さらに、山井が1回から8回まで打者24人を連続パーフェクトに抑えたのも、日本シリーズ新記録である。

 そして、おそらく今後、継投での完全試合が見られることもないだろう。通常なら、完全試合をしている先発投手を代えることはまずない。突如故障をして交代し、次の投手がそのまま完全に抑えて完全試合というのは起こる可能性はあるが、ほんのわずかな確率でしかない。
 この試合で8回まで完全に抑えた山井も、2010年8月18日の巨人戦では8回まで無安打無失点3四死球に抑えるノーヒットピッチングを見せながら、9回表の先頭打者坂本勇人にレフトスタンドへ本塁打を浴びてノーヒットノーランを逃した。そのとき、私は、これがあの2007年日本シリーズ第5戦だったら、と背筋が凍る思いをした。

 球史をひも解いてみると、他にも8回までノーヒットピッチングを続けてきた投手が9回に打たれたり、0点に抑えてきた投手が9回に失点する事例は、数えきれないほどある。それだけに、1点差しかないあの試合で、勝つ可能性が最も高い方法は、岩瀬への継投だった。それが奇跡的に、あのタイミングで完全試合になってしまっただけなのである。完全試合というインパクトに惑わされるか、惑わされないか。その違いが続投派と継投派に分けたのだ。

 史上初の継投による完全試合で53年ぶりの日本一を決めた中日は、初めてアジアシリーズに出場することになった。
 しかし、アジアシリーズの位置づけは、クライマックスシリーズや日本シリーズに比べると、極めて低い。中日は、右肩に不安を抱える川上を休ませ、アメリカ人選手のタイロン・ウッズは帰国させる、という飛車角落ちの戦力で挑むことになる。
 エースと主力抜きの戦いは、総当たりの予選から苦戦を強いられる。初戦の韓国SKワイバーンズ戦でで早くもその影響が出て、先発中田が崩れ、打線はSK先発金に7回途中3安打に抑えられた。そして、試合は、3−6で敗退するのである。
 2戦目の台湾統一ライオンズには朝倉から岩瀬まで5人の継投で4−2と勝利する。そして、中国チャイナスターズ戦では、4回まで0−1とリードされながら、先発小笠原の踏ん張りと5回以降の打線奮起により9−1で勝利する。

 上位2チームが争う決勝では、予選で敗れたSKワイバーンズとの対戦となった。ここでも、中日は、先発山井が日本シリーズに比べると、目に見えて不調で、4回まで1−2とリードを許してしまう。その後、、いったんは5−2とリードしたものの、8回に中継ぎが打たれて5−5に追いつかれるという苦しい戦いを強いられる。それでも、9回表に井端のセンター前タイムリー安打が出て、何とか岩瀬で逃げ切る、という薄氷の勝利でアジア一の称号も手に入れた。

 クライマックスシリーズ以降の12勝2敗という成績だけ見れば、圧倒的な強さでアジア一まで走り抜けたように見える。しかし、現実は、苦しい戦いの連続だった。大補強で強力な戦力を誇る阪神や巨人に比べ、最小限の補強しかしてこなかった中日は、投手を中心とした守りの野球で接戦をものにしていく勝ち方で戦い抜いた。その象徴が日本シリーズ第5戦であり、アジアシリーズ決勝でもあった。

 また、この年は、二軍の中日も日本一になるなど、若手の成長も著しい年となった。ファーム日本選手権では、平田と堂上剛裕が本塁打を放つ大活躍を見せ、投手は川井が3回を投げて自責点0でしのぎ、そのあと8回までを吉見が無失点に抑えて7−2で快勝する。MVPは、吉見が受賞するなど、その後の中日を暗示させるような成績を残している。

 落合が望むチームがついに出来上がった。これで当分は、中日の黄金時代が続くのだろう。私は、日本一のパレードを見ながらそう考えていたが、2008年、その想いは、無残にも砕かれることになる。





(2012年6月作成)

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