充実した落合監督8年間の記録と記憶(2)
〜2011年後半〜


犬山 翔太
 
 4.落合解任の前兆と快進撃

 2011年の前半戦が終わったとき、中日は、2位ながら借金2と苦しんでいた。通例であれば、落合監督が次の年も続投なら、前半戦終了時に白井オーナーから続投要請がある。
 しかし、2011年は、それがなかった。白井オーナーは、続投について決めかねている、という旨の発言をしていた。だが、それは、後から考えれば、落合監督続投を求めるオーナーと、落合監督退任を求める球団社長・球団代表との間で結論が出なかったからだと推測できる。

 そして、8月5日に中日が5位へ転落したとき、坂井球団社長は、東京スポーツのインタビューに答えている。
「監督人事にも影響しますか」
 という記者からの質問に
「成績は関係ないんじゃないですか。それよりも、お客さんが入らないことを心配しているんです」(東京スポーツ2011.08.06)
 坂井球団社長は、たとえ好成績でも落合解任の方針をほのめかした。

 8年連続で監督というのは、既に中日の球団史上最長だった。新鮮さがなくなってきてファンがマンネリ化を感じてしまうのも事実である。とはいえ、一流選手の大リーグ流出によるプロ野球全体の地盤沈下の中で、中日が突出して観客動員に苦しんでいたわけでもない。
ナゴヤドーム
観客動員数
プロ野球
観客動員数
1997 2,607,500 23,496,000
1998 2,537,000 21,664,500
1999 2,541,000 22,410,500
2000 2,479,500 22,441,000
2001 2,421,000 22,923,500
2002 2,404,000 22,952,500
2003 2,336,500 23,664,500
2004 2,330,500 24,454,000
2005 2,284,400 19,872,215
2006 2,398,698 20,407,538
2007 2,390,532 21,187,029
2008 2,427,805 21,638,197
2009 2,298,405 22,399,679
2010 2,193,124 22,141,003
2011 2,143,963 21,570,196

 これがナゴヤドーム創設当時からのナゴヤドーム観客動員数、およびプロ野球全体の観客動員数の推移である。
 ナゴヤドームの場合、2005年からの実数発表となる前(2004年以前)は、満員を2000人程度水増しして発表していたため、あくまで参考記録として10〜15万人程度はさし引いて考えなければならない。他の球場でも、ほぼ同様のことが言える。
 こうして一覧で見ると、確かにナゴヤドームの観客動員数は、2008年をピークに減り始めて2011年までに28万人程度減っている。2008年9月のリーマンショックの影響をもろに受け、さらには福留・川上・ウッズ・中村紀らが次々に抜け、生え抜きのスター選手だった立浪・井上が引退していったからだ。さらに、WBC不参加でのメディアからのバッシングや巨人人気の低迷によって、巨人戦の地上波中継激減の影響も受けた。

 プロ野球全体の観客動員も、WBCで2度目の世界一になった2009年までは増え続けたものの、そこから2年で83万人程度減らしている。とはいえ、2011年は東日本大震災と原発爆発事故があって日程や使用球場も変わったため、観客減少は参考程度で考えるべきである。
 全体的に見ると、実数発表になって以降、プロ野球全体の観客動員数とナゴヤドームの観客動員数は、ほぼ連動している。つまり、観客動員への課題は、中日だけが抱えているわけではなく、プロ野球全体が抱えているのである。

 しかし、どんなに周囲の状況が変わろうとも、落合の采配は、8年間、常にシーズン全体を見通していて、何人の選手が抜けようとも、揺るがなかった。手持ちの駒を最大限に活用し、前半戦は様々な選手を試しては成長している選手を見極めていき、後半戦に備えていく。故障者は、決して無理をさせずに完全な状態になるまでスタメン復帰を見送って、控えで調子のいい選手を有効に起用して競争力をあおっていく。
 その期待に応えて平田、大島、堂上剛といった若手選手も著しい成長を見せて、野手にも選手層に厚みが出てきた。それが故障したレギュラー選手を万全な状態になるまで調整させられる強みを生んだ。特に谷繁は、7月下旬に1軍復帰しながら、スタメン復帰は8月中旬にするなど、選手の試合勘や疲れも考慮した落合采配が随所に見られたのである。

 そうして、ついに谷繁がスタメンに復帰した8月中盤から中日は、首位追撃を開始する。ソトが日本野球に適応し始めて先発投手として頭角を現し、調子を上げた川井と故障から復帰した山井も先発の一角に加わって、投手陣の厚みが増した。8月下旬には井端・ブランコといった攻守の中心選手が万全な状態で復帰し、ようやくにして落合がベストと考える戦力が整ったのである。

 さらに、落合は、シーズン開始前から8月以降のスケジュールに対して、あらかじめ手を打ってあった。8月は、ナゴヤドームでの試合が17試合あり、すべてをナイターにさせたのである。夏休み期間だけに、デーゲームで家族連れの観客動員を狙いたいところだが、落合は、あくまで勝利を追求するため、疲れがたまる真夏のデーゲームを廃止したのだ。
 9月には23日からの3試合連続デーゲームにしたものの、3試合とも15:00開始として、選手のリズムを考慮している。さらに、リーグ優勝の行方に直結する10月のナゴヤドーム10連戦はすべてナイターとした。

 あとは、もはや疲れが見える他チームとの差は、明らかだった。私が中日の優勝を確信したのは、9月7日の巨人戦である。この試合は、先発山井が好投して3−2で勝利する。山井に目途が立ったことで、先発ローテーションに隙がなくなり、負けが込む要素が全くなくなった。
 落合が8年間かけて作り上げてきたチームの理想形。それは、落合自身が語るこの言葉にある。
「チームで勝つという唯一最大の目標を達成するためには、パフォーマンスをある程度計算できる、投手を中心に試合運びを考えざるを得ない」
「負けない努力が勝ちにつながる」(『采配』ダイヤモンド社 2011.11.17)
 残り試合を全勝できる状態にチーム力を整えた中日は、他チームを圧倒する。9月を15勝6敗3分で勝ち抜けた中日は、10月も優勝を決めた18日まで10勝4敗2分という強さを見せたのである。


 5.優勝の裏側にあった陰謀

 2011年10月18日、球団史上最大の10ゲーム差を逆転して、球団史上初のリーグ連覇を成し遂げた中日。しかし、優勝後、次々と明らかになってくる事実は、まるで映画のような衝撃的裏事情だった。
 数々のメディアで流れた情報を時系列の順に並べると以下のようになる。

3月25日 中日球団社長に坂井克彦が就任し、球団代表に佐藤良平が就任。2人ともアンチ落合派として有名。ここから落合解任ありきの悪意ある陰謀が進んでいく。
6月20日 中日公式ファンクラブ事務局長が株主総会で落合のファン感謝祭欠席などを批判。しかし、後に、ファン感謝祭ではドームで出番を待っていた落合監督を呼ばなかったという事実が発覚。中日は、前日に交流戦を終え、セリーグで唯一勝ち越しを記録していた。
7月後半 前半戦終了時、中日球団から落合監督へ続投要請なし。借金2ながらリーグ2位の成績。
8月5日 5位転落を受けて東京スポーツの取材に中日の坂井球団社長が監督人事に言及。たとえ好成績でも落合解任の方針をほのめかした。
9月6日 中日が巨人に敗戦した試合後、中日球団幹部がガッツポーズをしたのを複数の人々が目撃。
 その後、ヤクルト戦でも、敗戦後にガッツポーズをして目撃される。
9月22日 4.5ゲーム差を追う首位ヤクルト4連戦直前、中日球団が一方的に落合監督解任を発表。解任理由は「新しい風を入れる」
10月4日 前日に首位ヤクルトまで2ゲーム差となり、13連戦初日のこの日、中日球団が石嶺和彦・高木宣宏コーチの解任を発表。
10月6日 前日に首位ヤクルトまでゲーム差なしとなり、中日球団は、森繁和・辻発彦・小林誠二・田村藤夫・笘篠誠治・高柳秀樹・奈良原浩・垣内哲也・勝崎耕世の大量9コーチ解任を発表。
 その日のナイターで、中日がついにヤクルトを逆転して首位浮上。
10月18日 中日が横浜と3−3で引き分け、球団史上初のリーグ2連覇を達成。

 こう見てみると、中日の球団社長坂井克彦と球団代表佐藤良平は、就任当初から、落合を解任させることだけを目的に動いていたと断定できる。そして、中日にリーグ優勝の可能性が高くなっていく9月からの露骨な妨害工作は、あまりにも悪質な手口だった。ここまで自らの球団を優勝させないように妨害した球団幹部は、前代未聞にちがいない。中日ファンでさえ、多くがネット上で失望を隠せなかった。
 だが。落合監督やコーチ陣、選手たちは、そんな妨害をものともせず、プロフェッショナルに徹してリーグ優勝を勝ち取った。特に9月7日からの成績は、他の球団を圧倒して24勝8敗4引分である。
 このシーズンの流れは、そのまま映画化してほしいほど奇想天外なストーリーである。野球は、小説や映画を超えていく。

 私は、今シーズンのはじめ、『シリコンバレーからドラゴンズを語る』というブログを見つけた。中日の試合と落合采配を日々解説しているため、楽しく読ませてもらっていた。落合監督退任とともにブログも幕を閉じてしまうのだが、そのブログのあとがきは、私の想いをも代弁してくれていた。
「中日ファンとして、尊敬できる素晴らしい人が監督を務め、結果これまでに無いペースで勝ちをもたらしてくれたというこの至福の8年間において、論理的に物事を見るスキルがないために逆につまらない8年間を送ってしまったとすればそれはおおいなる損失であるように思う」

 この文章こそ、落合監督の8年間への感謝と、優勝を目指して応援するファンの想いを踏みにじった中日球団への非難が集約されている。
 今回の落合監督解任騒動を振り返ると、中日の球団幹部やOBに、少なからず、中日が勝ち続けるのをつまらなく思っていた人々がいたわけである。
 全国を騒然とさせた敗戦ガッツポーズ騒動には、後日談もある。
 中日球団が球団幹部の敗戦ガッツポーズ報道で実名を記載されたことに対し、デイリースポーツに抗議して謝罪文を掲載してもらったのである。
 本人確認を怠った、ということだが、本人確認して「落合解任を実現するため、敗戦を喜び、ガッツポーズした」とさすがに自白することはないだろう。
 それゆえに、あくまで中日球団の自己満足と世間からの批判対策にすぎないのだが、首位攻防の各ポイントで監督・コーチの解任を連発しておきながら、リーグ優勝してしまったから批判されるのを避けようという魂胆はいただけない。本気で敗北を願っていなかったのなら、監督・コーチの大量解任を即座に撤回すべきなのが筋だからである。
 謝罪文騒動では、中日球団が落合野球を支持しているのか、支持していないのかの方針が世間に全く伝わらない。無駄に表面を取り繕おうとするあまり、球団の方針が見えなくなってしまっている。

 中日球団は、もっとはっきりと自らの方針をファンに伝えた方がよかった。長年、中日を見てきた者からは、既に状況から分かるため、ネットのファンの間ではいろいろ論じられているのだが、表面的なファンやその他の野球ファンには伝わらないからである。

 中日球団は、2012年のスローガンを「Join us ファンと共に」に決めた。落合監督の下では8年間常に「ROAD TO VICTORY」である。私が愕然としたのは、2012年のスローガンに勝利の意味がすっかり消えてしまったことである。
 もはや中日球団が求めるのは、優勝し続けるプロフェッショナルな野球ではない。3試合のうち、2試合負けても、1試合を華麗なホームラン攻勢で勝つ華のある野球だ。0点に抑えて1点を守り切り勝つ強い野球ではだめなのだ。つまり、素人好みの野球である。これは、8月に東京スポーツのインタビューで球団社長の坂井自身が「やっぱりファンは打たないと興奮しない。素人はそうですよ。僕も素人だからそう思います。特にホームランをね。」という同趣旨の発言をしている。
 そして、中日球団は、能力のある指導者で固めるのではなく、生え抜きの元OBの働き場所を確保し、彼らのファンとタニマチでシーズンチケットを売りさばく。強くなってチケットに結びつかない全国的なファンを増やすことよりも、弱くとも地元企業との結び付きを強め、チケットに結びつく地元ファンを増やしたい。

 中日球団が首位攻防戦や首位奪回の過程で、監督やコーチの解任を連発したのは、中日球団が落合野球とは異なる道を選択することへの強い決意である。
 実際、8年間で4回優勝する野球を捨てて、67年間で5回優勝する野球に戻すのは、勇気のいる決断ではある。とはいえ、ホームランを多く見たいファンを満足させる野球を目指すのも、理解できないわけではないので、私は、中日球団の方針を否定はしない。
 仮に中日球団の目指す野球が開花し、落合野球の遺産である投手力・守備力・走塁力を何とか維持できるなら、今後数年は優勝争いできるだろう。
 問題は、中日が緻密で玄人好みな落合野球から脱却することで、本当にファンを増やせるか、である。
 ただ、一つ私が言えるのは、落合が見せた野球以上のものを見せられないという大きな弱点を埋め合わせられるだけのサービスを作り上げるのは極めて困難だということである。

                        (続く)




(2012年1月作成)

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