充実した落合監督8年間の記録と記憶(12)
〜2012年&あとがき〜


犬山 翔太
 
 36.落合退任後の展望

 2011年11月22日、落合は、中日監督の退任会見を開いた。
 このとき、落合が後継者に指名したのは、谷繁だった。振り返ってみれば、8年間、投攻守の3方面から落合野球を実践してきたのは、谷繁ただ1人である。
 落合や森の意図を素早く汲み取り、ダイヤモンドの中でチームを動かしてきたのは、まぎれもなく谷繁だ。それゆえに、落合政権の8年間が終わったとき、谷繁は、チームの浮沈を左右する存在となっていた。
 逆に言えば、谷繁が元気であれば、チーム成績が大きく崩れる心配はなかった。それに、落合が8年間鍛え上げた選手たちがそろうだけに、年が明けただけで一気に弱体化してしまうことも考えにくい。

 2011年に打撃陣が苦しんだ統一球への対応さえ、上手くいけば、打線も、2010年以前の勝負強さを取り戻すはずである。
 2010年がチーム打率.259、2011年が打率.228と3分以上も落ち込んだのは、過度に統一球を意識しすぎて各選手が打撃を大きく崩してしまったのが原因だった。特に和田は、2011年に腰への負担軽減と理想のフォーム追求に向けてオープンスタンスからスクエアスタンスに変えるという打撃改造を行っていた。それが統一球導入と重なったことで、和田は、長いトンネルに入り込んでしまったのである。打撃フォームと統一球という大変革に対応するには、酷な年齢にさしかかっていることも事実だった。

 落合は、2011年中日打撃陣が統一球に苦しんだ理由を「統一球を意識しすぎて、ボールを振りすぎ」と指摘している。これは、おそらく落合が中日に言い残した最後の指導発言である。中日の打撃陣が本来の姿に戻るためには、統一球への対応だけが課題だった。
 打線は、2011年よりはよくなる。落合も、予測していたように、2012年には統一球にそれなりに対応できることは目に見えていた。
 また、大島、平田、堂上兄弟、野本ら、若手野手も、順調に成長してきており、今後に期待が持てた。

 投手陣も、左のエースだったチェンが大リーグ移籍のために抜けることになったが、代わりに大リーグに移籍していたかつてのエース川上憲伸が中日に復帰した。そして、大リーグで通算44勝を挙げた投手ソーサも、入団テストで獲得した。
 そのうえ、若手投手の山内、岩田、大野らが順調に成長しており、上手くいけば2011年以上の強力投手陣となる。
 それぞれの投手が実力通りの働きをしてくれれば、投手陣は万全である。

 むしろ不安の種は、ほとんどが入れ替わった中日首脳陣にあった。前回監督時にリーグ優勝の経験がない高木守道監督と、73歳の権藤博投手コーチ。そして、中日OBで固められたその他コーチ陣である。リーグ連覇を達成した首脳陣を一掃して、あくまで観客減を防ぎ、「Join us ファンと共に」というキャッチフレーズで観客動員増を目的とした布陣である。

 そんな中日にとって、例年以上に脅威となるのが巨人だった。巨人は、2011年の日本シリーズ前日にお家騒動とまで言われた清武代表の電撃辞任があった。これにより、巨人は、育成によるチーム作りから、かつての資金力を生かした大型補強によるチーム作りへと転換を図る。
 そして、日本一となったソフトバンクからエースの杉内俊哉、最多勝のホールトンを獲得し、横浜から不動の四番打者村田修一を獲得したのである。さらに、高年齢のラミレスを放出して、大リーガーの外野手ボウカーを獲得し、MAX163キロの剛腕投手マシソンも獲得する。
 獲得した選手たちが実力通りの働きをすれば、独走する可能性を秘めていた。
 
 巨人を中心にペナントレースが進み、それを追うのが3連覇を狙う中日、2011年2位のヤクルト、4位の阪神。この4チームのいずれかがリーグ優勝する可能性は高かった。


 37.2012年巨人独走優勝の陰で

 首脳陣が高木守道監督と権藤博投手コーチの体制となって、中日の戦い方は、大きく変わった。その戦いぶりには、8年間にわたって落合野球に慣れてきたせいもあって、大きな違和感を持たざるを得なかった。
 まず2012年の中日は、シーズン序盤から目先の1勝だけにこだわり、長期的な展望を欠いた戦いに終始した。先発投手を見切るのが早く、早い回から中継ぎ投手をつぎ込む試合が増えた。さらに、中継ぎ投手も、好調な投手には連投を強いて、かなりの登板過多となる状況を作り出した。
 また、四番打者には、衰えの隠せない山崎武司を据え、不調な野手を途中交代させる采配も頻繁となった。
 どことなく、落ち着きがなく、その場その場をしのいでいく戦いぶりが目についた。
 それらの反動がシーズン終盤に出てくることも分かっていた。それだけに、2010年と2011年に見せたシーズン終盤の圧倒的な強さが影を潜めるのも明らかだった。

 それでも、中日は、シーズン序盤から投手陣が好調で、野手陣も統一球に対応し始めたこともあって、順調に勝ち星を重ね、4月と5月を首位で切り抜ける。中日の要となる谷繁も、元気だった。
 しかし、巨人がシーズン終盤も好調を維持して貯金を積み重ねていく一方で、中日は、6月以降、失速ともいえる足踏み状態に陥る。そして、7月1日に首位を明け渡してからは、徐々に巨人に引き離されていくばかりで、何の見せ場を作ることもできず、巨人の独走優勝を許す。
 そして、8月22日から9月21日の巨人優勝決定日までのちょうど1か月で中日が残した成績は、13勝12敗2引分である。2011年の中日が優勝を決める前の1か月間が17勝6敗3引分であったことを考えれば、その落差は歴然となる。
 「Join us」で増員を図った肝心の観客動員も、東日本大震災の影響を受けた2011年の214万人から、2012年は208万人へと減少してしまった。

 シーズン序盤から中日は、明らかにおかしかった。昨年MVPの浅尾は、見るからに投球フォームが崩れているのが分かったし、先発投手をすぐに交代させるため、中継ぎ陣は、酷使されていた。
 そして、浅尾が調子を修正できないまま、2軍落ちになって2軍で故障し、今度は、岩瀬にまで過度の負担がかかっていた。
 それでも、中日は、全試合を勝ちに行く作戦を変えなかった。驚くべきことに6月28日に岩瀬がシーズン25セーブ目を挙げた阪神戦は、シーズン67試合目だった。このペースで投げ続ければ、シーズン54セーブを達成できてしまうという驚くべき登板過多になっていたのである。
 これでは、さすがの鉄腕岩瀬も、いい状態が続くはずがなかった。7月半ばから8月1日にかけて3度の救援失敗。左肘を故障してしまい、球威が落ちた上に、精密なコントロールさえ狂い始めていたのだ。そして、岩瀬は、登録抹消となった。

 それでも、この年は、奇跡的に新人の田島と、テスト入団で獲得したソーサ、そして、先発から中継ぎに回った山井がフル回転して穴を埋めていく。そして、田島も、シーズン終盤には故障してしまうのである。
 その状況は、リリーフ陣だけでなく、先発投手陣にも負担がかかることになった。この年は、シーズン前に故障したネルソンに始まり、吉見やソト、川上、中田といった主力先発陣も、次々と故障で離脱してしまう。落合政権下では考えられなかった異常事態が次々と起こっていったのである。
 そういう状況に陥った中日は、チーム防御率を2.46から2.58に落とした。

 逆に、統一球にようやく対応した打撃陣は、前年の不振から脱却する。2012年の和田は、2011年のスクエアスタンスから2010年との中間にあたるオープンスタンスにまで戻し、調子を取り戻していった。和田以外にも、2011年に大きく打率を落としていた井端、大島、森野も、打率を上げて、ようやくにして統一球に慣れた野球ができるようになった。特に、ドラフト5位入団ながら、落合がルーキー時代から開幕1番センターで起用し、「打撃・守備ともに頭一つ抜け出している」と評価していた大島が打率3割と盗塁王を獲得する活躍を見せた。
 そのせいもあって、チーム打率は、2010年と2011年の中間にあたる打率.245まで回復したのである。

 私は、5月頃、巨人が独走優勝する情景が目に浮かんでいた。その理由は、まず変わり果ててしまった中日の戦いぶりがあった。そして、前年に明日なき戦いを挑み続けたつけで、故障者が続出しているヤクルトの疲弊ぶりがあった。さらに、主力選手の高齢化による衰えと若手有望選手不在による阪神の弱体化が目に余ったからである。
 7月以降、セリーグのペナントレース観戦は、極めて退屈だった。中日は、独走する巨人に引き離されていくのをただ見送るばかりで、3位のヤクルトも追ってくる気配がない。まるで序盤で各選手の差が大きく開いてしまったマラソンレースを見ているようだった。
 私が2012年のセリーグをあまりにも退屈に感じてしまった理由は、1位・2位間、2位・3位間だけでなく、5・6位間に至るまで、すべての隣り合う順位のチームのゲーム差が5ゲーム以上開いてしまったというところに集約できる。中日から落合をはじめとする首脳陣が抜けたことで、近年に例がないほど、緊迫感のないペナントレースとなってしまったのである。


 38.あとがき

 落合監督が中日監督を務めた8年間は、奇跡のようなサプライズの連続に映った。
 何せ、就任1年目に補強せずに現有戦力の10%底上げでリーグ優勝を果たし、その強さを8年間維持し続けたのである。しかも、8年間、補強と呼べるのはタイロン・ウッズと和田の獲得程度であり、それ以外は、自前の選手と安価な選手を育て上げて、常勝チームを作り上げた。
 これは、FA移籍や海外移籍、大型補強が盛んになった現代では特筆に値する。
 巨人や阪神、ソフトバンクなど資金力にものを言わせた補強によって1990年代以降も黄金時代を築いた例はあるが、それ以外では、野村克也がヤクルトで9年間で4度優勝したことが目立つくらいである。

 落合が指揮を執った8年間の成績を一覧にすると下記のようになる。
 年 ペナントレース CS   日本S  
順位  勝 結果 結果
 2004 79 56 3  優勝    3 4   敗退
 2005 79 66 1  2位
 2006 87 54 5  優勝 1 4 敗退
 2007 78 64 2  2位 5 0 優勝 4 1 日本一
 2008 71 68 5  3位 3 3 1 第2S敗
 2009 81 62 1  2位 3 4 第2S敗
 2010 79 62 3 優勝 3 1 優勝 2 4 1 敗退
 2011 75 59 10 優勝 3 2 優勝 3 4 敗退

 それぞれの年については、既に語ってきたので省略するが、1990年代以降、14年間で1回しか優勝していなかった中日を、8年間で4回優勝させた。
 そして、8年間を通してすべての年でAクラスに入り、2007年から始まったクライマックスシリーズも12球団で唯一5年連続で第2ステージ進出を果たした。
 どうして8年間、すべての年でAクラスに入れたか。
 落合は、その回答を著書『采配』の中で、こう述べている。
「選手時代に下積みを経験し、なおかつトップに立ったことがあるから」(2011.11.17 ダイヤモンド社)
 落合は、高校時代も大学時代も無名の存在だった。社会人野球で頭角を現したものの、プロ1年目はほとんど2軍で過ごす。レギュラーとして活躍するのはプロ3年目からであり、エリート選手とは異なる社会人生活、下積み生活がある。そのため、まだプロのレベルに達していない若手選手の苦労を知り尽くしているのである。
 
 そして、自らバッティング技術を研究して独自のフォームを身に着け、3度の三冠王に輝き、長年最高年俸の選手として活躍した。そして、4球団を渡り歩いて、様々な指導者を見てきたのである。
 それらの豊富な人生経験から導き出したのが、豊富な練習量で鍛え上げた「投手を中心とする守りの野球」だったのである。

 しかし、8年間の好成績は、落合1人の力で成し遂げることが可能だったか。
 その問いに対しては、否定せざるを得ない。プロ野球は、監督1人の力で勝ち続けられるほど甘くはない。落合にとって、幸運だったのは「投手を中心とした守りの野球」を実践できる人材を最初からそろえられたことである。
 それが森繁和投手コーチであり、谷繁捕手であり、川上・山本昌・岩瀬らの好投手であり、荒木・井端の名内野手であり、高代延博コーチであり、福留・英智・アレックスの名外野手だった。指導力の高いコーチをそろえ、素質の高い選手たちを徹底的に鍛え上げることによって、チーム力を強化した。そして、豊富なコーチ陣、スカウト陣をそろえていき、体力・知力・技術力といった様々な面から強化して、安定した常勝チームを作り上げたのである。

 監督として、これだけの実績を残したからには、今後、いずれはどこかの球団で監督を務めることもあるだろう。
 そうなれば、中日監督就任のときと同じようにコーチの人事権を契約条件とするはずである。
 果たして、落合がどこの球団で監督をしても、中日と同じような成績を残せるか。
 その答えは、これまでに見てきたとおり、落合がたどり着いた「投手を中心とした守りの野球」を正確に実践できるコーチ、選手がいるかどうかにかかっている。中日での8年間を見る限り、特に重要なのは、投手コーチと捕手である。

 1980年代以降、名監督として偉大な実績を残したのは、まず西武黄金時代を築いた森祇晶とヤクルト黄金時代を築いた野村克也が挙げられるが、2人とも、弱小球団では苦労を重ねている。
 森は、横浜で最下位となるなど、優勝を果たすことができずに退任し、野村も、阪神では3年連続最下位、楽天でもついには優勝を果たすことができなかった。
 あまりにも、弱体化した球団で監督をするとなると、チームを立て直す時期が訪れる前に退任を余儀なくされることもありうる。

 それでも、私は、落合が弱小球団の監督をしてほしいという願望がある。たとえば、長年優勝から遠ざかっているオリックスや横浜、あるいは未だ優勝経験のない楽天などである。
 そういった球団で、落合が描く「投手を中心とした守りの野球」をどこまで作り上げることができ、どれだけ強くなるのかを見てみたい。その過程で凡人には考えつきもしない采配や言動をきっとこれまで以上に楽しめるはずだからである。






(2012年11月作成)

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