充実した落合監督8年間の記録と記憶(11)
〜2010年〜


犬山 翔太
 
 32.リーグ優勝だけを目指して

 落合の監督としての力が最も発揮できた年を聞かれたら、私は、2010年を挙げる。他の年には、様々な外部要因があって、大きな騒ぎで野球どころではなくなるような出来事も多かった。
 しかし、2010年は、無風だった。制度が大きく変わるでもなく、五輪やWBCがあるわけでもなく、ストや震災もなかった。
 大型補強で得た強力な戦力を保持する巨人や阪神と、自前の戦力でそれに対抗する4球団という図式も変わらなかった。

 前年に巨人が圧倒的な強さで日本一に登り詰めたこともあって、世間の見方は、巨人が圧倒してセリーグ四連覇だった。2010年を迎える巨人に不安があったと言うならば、わずかに原監督が優勝手記で見せた有頂天なうぬぼれくらいである。
 少なくとも2010年は、巨人が優勝する。私も、そう高を括っていた。

 この年、落合は、巨人圧勝の前評判の中、リーグ優勝奪還だけを目標に掲げた。クライマックスシリーズも、日本シリーズも捨てる。ペナントレースに全精力を注いで燃え尽きる。
 すべては、リーグ優勝のためだけに。そんな強い決意がにじみ出ていた。
 しかし、中日は、これといった補強をしたわけでもなかった。新人以外では、ソフトバンクで鳴かず飛ばずとなった三瀬幸司を獲得し、ドミニカから未知数のセサルとバルデスを安価で獲得したにとどまった。セサルは、抜けた李炳圭の穴埋め、バルデスと三瀬は、抜けたパヤノの穴埋めである。

 巨人は、大リーガーのエドガー、小林雅英を獲得し、シーズン途中には楽天の朝井秀樹も補強してさらなる強化を図った。さすがに2009年に万全の戦力を保持しただけに、例年に比べると補強は小さかった。それに、巨人は、育成選手を大量保有しての補強方針へ転換しようとしていた。
 一方、阪神は、大リーガーの城島健司、マートン、メッセンジャー、フォッサッムを獲得、それ以外にも、元ソフトバンクの投手だったスタンリッジと、海外から大型補強をしてきた。

 戦力を見る限り、中日が巨人や阪神に勝てる見込みはなかった。柔よく剛を制す野球がここから2年間見られるとは、私も、このときは予想だにしなかったからである。


 33.予想通りの展開から予想外の混戦へ

 世間の予想通り、巨人は、圧倒的な戦力を武器に横綱相撲で4月10日に首位に躍り出ると、その後も安定した戦いぶりで勝利を重ねていく。6月30日には、2位阪神に5ゲーム差、3位中日に8ゲーム差をつけて、独走の気配が漂ってきた。
 一方、中日は、一進一退の試合状況で6月も11勝11敗と煮え切らない試合が続く。

 この年の序盤で目立っていたのは、荒木・井端の二遊間コンバートと、冷静に試合を俯瞰する落合の逸話くらいである。
 その有名は逸話は、4月27日の巨人戦で起きた。
 この試合は、森健次郎球審で試合が始まったが、2回表の巨人攻撃中、落合は、森球審の元に突如歩み寄り、交代を勧めた。これは、ダイヤモンド全体を視野に入れて野球を見ていた落合が球審の様子をいつもと違うと気付き、その理由が体調不良にあると見抜いたのである。
 実際、森は、このとき、風邪による発熱により、体調が著しく悪化していた。
 事情を飲み込めない巨人の原監督は、何事かと球審のところに飛んできて確認し、テレビ中継者や観客も訳が分からず、騒然となった。他の人々にとっては、その程度の認識しかなかったのだ。

 しかし、落合は、グラウンドの隅々までに目を凝らして、普段とどこか異なるところはないかと日々研究を重ねる。選手たちがフォームを崩していないか、どこか故障をしてしまっていないか、疲れで動きが鈍くなってないかなど、あらゆる情報をグラウンドから読み取るのだ。それゆえに、球審の体調不良に気づいてしまったわけである。
 戦力で劣る球団が巨大化した球団を相手に長いペナントレースを勝ち抜くには、そうした細かい研究の積み重ねで、自他のチームの状況を的確に把握し、相手の隙を見つけては、そこに付け込んでいく緻密な野球が必要なのである。そのためには相手にも隙は見せない。
 たとえ、部外者には「閉塞感」ととらえられようとも、そこを崩せば、勝つことができないからこそ、落合は、自らの方針を決して曲げようとしなかったのだ。

 この試合は、先発朝倉が崩れたこともあって、0−8で巨人に敗れるが、中日が巨人に与えたダメージは、それ以上に大きかったと言える。
 私も、後で知って驚いたのだが、この試合の後、中日は、巨人戦に14勝6敗と大きく勝ち越すのである。
 この年のターニングポイントは、巨人戦だった。
 8ゲーム差ついてから、最初に対戦した7月9日からのナゴヤドーム巨人3連戦は、7.5ゲーム差で迎える。ここで、中日は、吉見・山井・チェンをつぎ込み、3連勝を果たすのである。
 この年、中日は、巨人戦にチームの柱となる投手をぶつけるローテーションを組んでいた。巨人の戦力があまりにも強大なため、直接巨人を倒さなければ、優勝は難しいからだ。
 中日は、巨人戦に右の吉見と左のチェンという左右両エースをぶつけていった。特に後半戦では安定してきた山井を入れて、完全な表ローテーションで巨人を徹底的に叩いていく。

 7月9日からの巨人戦3タテは、チームにさらなる波及効果をもたらす。打線も投手も好調となって波に乗り、7月16日の広島戦で山井が完封したのを皮切りに、中田・チェン・岩田・ネルソンが先発で好投し、チームとして5試合連続無失点勝利という快挙を達成したのである。
 その勢いで7連勝した中日は、これで一気に首位巨人に2.5ゲーム差にまで迫り、優勝が現実味を帯びてきた。
 中日が得意とする混戦に持ち込んだことで、巨人と阪神にも焦りが出てくる。シーズン前の巨人独走という前評判は、もはや風前の灯となり、7月後半には巨人・阪神・中日が2.5ゲーム差にひしめく予想外の展開となったのである。


 34.落合の計算通りのリーグ優勝

 相変わらず、巨人と阪神が中日の上にはいたが、この2チームは、首位を争いながら、投手陣を酷使して徐々に疲弊の色が濃くなってきていた。
 個々人の才能と実力は、巨人や阪神の方が圧倒的ではある。しかし、中日は、投手や野手を適材適所で起用し、しかも、無理をして目先の1勝にこだわることは避けていた。
 そして、質量ともに豊富な中日キャンプの成果が表れるのは、シーズン後半戦である。
 8月は、目先の優勝争いにこだわりを見せた巨人と阪神が粘りを見せ、8月末時点で1位阪神、2位が1ゲーム差で巨人、3位が2位と1.5ゲーム差で中日という混戦は続いた。とはいえ、中日は、8月17日からの巨人戦でまたしてもチェン・山井・吉見の3人で3タテを記録していた。
 打線では、和田・森野・ブランコを中心とした打線が機能し、投手陣も、吉見・チェン・山井を中心にリリーフの高橋・浅尾・岩瀬も好調を維持している。

 もはや中日が首位に立つ日が近いのは明らかだった。私も、さすがにこの頃には中日のリーグ優勝を確信した。
 シーズン前やシーズン序盤から見れば、まったく予想外の展開ではあったが、3つ巴の接戦は、中日にとって理想的な展開でもあった。落合の我慢強い采配が勝負の9月に生きてくるからである。まさに、落合の計算通りのシーズンとなった。

 9月3日からの巨人3連戦は、吉見・山本昌・中田を先発に立て、調子を上げてきたベテラン山本昌と中堅中田が期待に応えて3度目の巨人戦3タテに成功する。これで2位に上がった中日は、9月10日の横浜戦に勝ち、阪神を抜いて首位に浮上する。
 そうなると、もはや中日が首位の座を明け渡すことはなかった。9月末には2位阪神に2.5ゲーム差をつけて、10月1日には2位阪神が敗れたことにより、4年ぶりのリーグ優勝を決める。
 驚くべきことに、シーズン79勝という優勝ラインは、落合と森が想定していた優勝ラインとぴったりと一致していたという。打率はリーグ5位ながら、防御率は、他チームを圧倒して1位、広く守りやすいナゴヤドームを中心とするホームゲームで53勝18敗1分と圧倒的な強さを誇った。まさに落合が目指していた投手を中心とした守りのチームで勝ち取ったリーグ優勝だった。


 35.ロッテに史上最大の下剋上を許す

 この年の中日は、最大の目標であったセリーグ優勝を果たし、その後の試合には大きな重点を置いていなかった。
 それは、短期決戦があくまで時の運であることを落合は、身をもって知っていたからだ。いかにペナントレースで勝った強いチームとはいえ、短期決戦ではあっけなく敗れることもある。
 2人の投手が好調で、2・3人の打者が好調であれば、短期決戦で先に4勝することは難しくない。
 よほどの力の差がない限り、勢いに乗った選手の多い方が勝つ。短期決戦とはそういうものだからだ。

 とはいえ、完全優勝は、落合の悲願であるだけに、落合は、貪欲に日本一を狙いに行った。
 その1つ目が選手全員を登録抹消という方策である。10月2日にシーズン最終戦を終えた後、クライマックスシリーズのファイナルステージまでには18日間ある。そうなると、全員を登録抹消しても、10月20日までに再登録できる。つまり、競争心をあおり、見極めた万全のメンバーをクライマックスシリーズ直前に登録し、それまでに故障しても、出場するときに登録できるというメリットがある。1回抹消すると10日間再登録できないだけに、そのリスクを回避したわけである。中日は、心理的にも優位な中で、クライマックスシリーズへ突入する。

 クライマックスシリーズは、4年連続でファイナルステージが中日×巨人の戦いとなった。
 2007年とは異なり、1位に1勝のアドバンテージがある効果は大きい。しかもシーズンに圧倒的な強さを誇ったナゴヤドームだけに、中日の勝利は、明らかだった。
 1勝のアドバンテージを含めて4勝1敗で中日は勝ち抜いていく。

 問題は、パリーグ3位から勝ち上がってきたロッテだった。ロッテは、首位と2.5ゲーム差で3位となったものの、2位西武との第1ステージを2戦連続延長戦で勝ち抜き、1位ソフトバンクとのファイナルステージも、1勝3敗とリードされる絶体絶命の状況から3連勝して日本シリーズに駒を進めていた。
 ロッテは、チーム打率がリーグ1位ながら、チーム防御率はリーグ5位という打撃のチームである。
 前評判は、中日投手陣×ロッテ打線。有利なのは、強力投手陣を持ち、リーグ優勝した試合巧者の中日というものであった。

 日本シリーズ前での監督会議でも、主導権は、中日が握った。矢継ぎ早に落合が質問を投げかけたのだ。
 その中で有名なのが「7試合引き分けで第14戦までもつれこんだらどうするのか?」である。会議のメンバーは、そんなことなどありえないという表情を浮かべていたそうだが、第7戦までは延長15回引分制で、第8戦以降が延長無制限であるだけに、理論的には起こりうる。現実的には第7戦の11月7日で決着がつかなければ、第8戦以降はナゴヤドームで試合を行う。仮に第13戦までもつれ込んだとすると、試合日の11月13日は、既に組まれている日韓クラブチャンピオンシップと重なってしまうのである。
 落合は、今年の対戦なら、そこまでもつれることがありうるという見解を示した。だが、日本プロ野球機構は、あまりに予想外の質問に絶句してしまい、結局はお茶を濁された形で終わる。

 しかし、落合の発言が現実味を帯びてまさかと思わせたのが、この日本シリーズが3回も延長戦に突入したからである。第4戦は、延長11回で中日が4−3で勝ち、第6戦は、球史に残る5時間43分の激闘の末、延長15回引き分け。第7戦は、延長12回までもつれ込んだのである。結局、ロッテが延長12回に勝ち越し、4勝2敗1分で日本一になったが、延長15回までもつれて引き分ければ、第9戦まで行く可能性が高かった。
 落合は、延長15回までの試合が増え、第8戦以降がありうることを示し、それに対応できる選手枠25名の拡大、そして、延長無制限の検討を促す意図があったのである。ただプロ野球界に落合の洞察力を見抜ける人物がいるはずもなかった。

 こうして落合が緻密に練り上げた戦略をもってしても、中日は、「史上最大の下剋上」と称して勢いに乗るロッテの快進撃を食い止めることができなかった。
 短期決戦は、よほどの実力差がない限り、どこが勝ってもおかしくない。ロッテの勝利は、世間で想定外の快進撃ととらえられたが、落合にとっては、想定内の敗戦であった。それゆえに、落合は、2011年の目標をリーグ2連覇に定めるのである。






(2012年10月作成)

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